たまに環境音を流したくなる。川のせせらぎだとか雑踏で耳に入るノイズだとか、そういった類だ。そもそもこの類のコンテンツの存在を知ったのは、藤子・F・不二雄の『ドラえもん』でスネ夫が環境ビデオなるアイテムを自慢するコマであった(コロコロコミック 40巻 「環境スクリーンで勉強バリバリ」)。当時は「贅沢だな」とも「本当に価値があるのか?」とも感じたが、オンラインでの動画鑑賞や高画質の映像の身近さが増すにつれて触れる機会が増えているし、実際に欲っする自分がいる。

環境音については、もっとも触れやすいのはラジオ放送だと NHK の「音の風景」が該当するだろうか(というか、この文脈で言えば『世界の車窓から』なども環境ビデオ型のコンテンツか)。ラジオ以外、スマートフォン登場以前の歴史はあまり知らないが、スマートフォンが登場してからアプリ型で環境音を提供するコンテンツがとても入手しやすくなったというのが個人的な実感だ。

それで、ここまでは完全に余談でした。

先日、あてもなく「環境音」でググろうとしたら、その日は間違えて「環境音楽」とした。こうなると別のジャンルで、この記事を書くにあたって知ったが、いわゆる「環境音楽」はいわゆる「アンビエント」を指し、これはブライアン・イーノの提唱した概念なんだな。といっても、明確に定義されているわけではなさそうだが、大雑把にいって本来的にバックミュージックとして機能するように制作された音楽、あるいはシチュエーションに応じて適当と選曲された楽曲のまとまりとか、そういったものだろう。というわけで、どういうわけか、以下の記事を読んでいた。

私は記事内のすべてのアーティスト、アメリカのアンビエントユニット Visible Cloaks も アーティストの 尾島由郎 も ピアニストの 柴野さつき も知らない。そもそも日本の 20 世紀末のシティポップが海外で再評価、再発見される流れは知っていたが、その流れに日本の環境音楽も乗っていたらしいことも知らなかった。そいで、『serenitatem』というアルバムを聴いてみたが、これが非常に心地いい。

電子音とピアノが交じり合いについて、演奏した柴野さんは、以下のように述べている。

私はピアノを弾いたけど、できあがるにつれて次第に、電子音と生楽器の音の境界線がわからなくなっていった。それがこのアルバムの質感だと思うんですよね。

https://mag.mysound.jp/post/451

まさしくといった感じで、大雑把に昨今の音楽制作やその環境においては、いずれに限ったことではなく認められる傾向ではあるのだろうけど、なんといっても心地いい。ここのところ、Spotify がセットした[Classical Meets Electronica]というプレイリストを聴いているのだが、これも似たような感覚で楽しんでいた。

環境音楽については、動物豆知識bot さんの以下の note 記事に詳しいようだ。深堀していくと楽しそうだが、私はそういう楽しみ方は苦手なのであった。

それで、ここまでは大分余談でした。

いい音楽に新しく出会うと、なるべく、もっといい環境で聴いてみたいと思うのが人情ではないだろうか。できるだけコンパクトに、安価で取り回しのきく環境が欲しいなと思い Bluetooth の スピーカーを探してみたが、外れのなさそうな無難な選択肢は、Anker か JBL 、SONY くらいしかないな。なんならサウンドバーでも検討してみてもいいのかもしれない。

本題は 3 文で終わった。

Read More →

私が頭脳警察のファンになったのは、20 年ほど前であったか、そのころは解散状態で活動は休止していた。頭脳警察名義のアルバムは 8 枚目の『歓喜の歌』まで出ていた。幸か不幸か、というか幸運だったのだが、近所の中古 CD ショップを歩き回ったらほとんどのアルバムが手に入ったので、大体すべての曲を聴き込んだ。

PANTA 個人としても表立った音楽活動は最小限に抑えられていた時期だろうと思う。『CACA』(2006)や前後あたりではじめてリアルタイムで、彼の音楽に触れた。そこから『俺たちに明日はない』が頭脳警察名義の 9 枚目のアルバムとして発売されたが、これも 2009 年のことか。時間の経過はあまりに早い。

どうしてもPANTA寄りの話になってしまいがちだが、彼は映画の出演も増えており、メディアへの露出がここ数年で本当に増えたと思う。ということで、新聞などにも取り上げられており、世代違いのファンではあるが、なんというか隔世の感がある。

ここのところライブ活動も盛んなようだし、50 周年ということでドキュメンタリー映画が放映されるらしいが、どうだろうな。今の私のテンションだと観に行く気にはならない。

以下、メディアの記事へのリンクをメモ代わりに張っておく。

Read More →

午前中にふと、ある本のことが思い出された。ところがその本のタイトルを覚えていない。おぼろげなキーワードで検索するものの目的の書籍はヒットしなかった。10 年ほど前に発行された書籍であること、一部のブロガー界隈で話題になっていたことは覚えていたので、当時よく閲覧していたブログを辿ってみて、ようやく見つけた。

正しく 10 年前の書籍であったが、まだたった 10 年前なのかと実感する。書籍はとっくに絶版になっていたが、Kindle 版は存在するようであるし、なんなら Unlimited に登録していれば読めるようであった。今月、たまたま同サービスの無料体験を使っており、つまりほぼコストを意識せずに読むことができる。

ところで本書は、話題になった当時に購入して読んだのであったが、手元の記録には何も残っていないのである。というか、記録がない。記録っていうのはつくづく大事なものだなぁと思う。

読むかもしれないし、読まないかもしれない。

Read More →

アカデミー賞 2020 作品賞を受賞した《パラサイト 半地下の家族》を鑑賞したのは、本年の1月のことであった。原題の《기생충》はまさしく「寄生」で、同じく英題は《Parasite》、「半地下の家族」を副題として添えたのは配給会社だかの判断だろうか。取っつきやすさを感じるので個人的にはよいのではと。

本作、とりあえず社会派サスペンスという括りでいいだろうか。笑える要素やお得意の猟奇的な描写も豊富で味わい深く、おいしい。あらすじといえば、半地下のアパートに暮らす一家が息子、キム・ギウのバイト先である高級住宅地に住まう一家に寄生する。その顛末を描く。

私は、不幸な顛末になることが確実に予想される状況で登場人物が調子にのっている描写や展開が苦手で、前半の流れを面白おかしく楽しめた一方、徐々に胸が締め付けられてツラかった。そのピークは、泊まりで外出する家主家族の入れ替わりに、寄生の家族がリビングで晩酌するシーンで、心の中は地獄と化していた。今後の展開が怖すぎる。

ところで、本作のキーポイントである「匂い」あるいは「臭さ」は、そのままに読み取れば半地下で暮らす人間たちのシケっぽさがイメージしやすい。生乾きの衣類が醸す臭さは、あるいは学校で使う雑巾にも似ていて、それが日々の生活に浸透してくるとしたら耐え難い。そういう耐えがたさと同居し、慣れ切っていたのが、半地下の家族だ。

後半の地獄絵図が、その内容に反して美しい。丘の上の豪邸エリアから流れ落ちる雨水はそのまま半地下の世界にまで侵入していく。同じように転落してく親子は、濁流とともに世界を下っていく。その姿には愛おしさすらある。小高いエリアから大嵐の中を下へ下へ、ずんずんと降りていく。どこまで降りていくのか。この図は現実か虚構か、そういった絵作りがなされており、非常に楽しくもあった。

直前まで戦々恐々とスクリーンを眺めていた自分が、すでにワクワクしているという事実を自覚するのも痛快な体験である。沈みかけている半地下の家で感電する危険をいとわず家財を運び出す父子、便座の蓋に座って逆流する排水を抑えながらタバコを燻らす娘、圧巻の光景に笑わずにはいられない。

カラリと晴れた、あまりにも明るい空の下で展開される第3幕は、丘の上の陽の世界と半地下の世界、さらに背後の世界を巻き込んで、予想もつかない結末として混乱の中に終わった。思い返せば、家政婦であるムングァン(イ・ジョンウン)の怪演は、確実に本作を面白くしていたな。

山水景石

息子、ギウの友人ミニョクが土産に置いていった「山水景石」というアイテム、幸運をもたらすという触れ込みだったが、まったくそうはなっていない。要所要所で象徴的で、解釈の余地も大きい。そもそも事件のきっかけをもたらした当友人の采配が奇妙であることを持ち出すと、理解は面倒くさくなるような…。

物語の大方は父であるギテクを中心に展開するが、全体は山水景石を携えたギウの冒頭と終盤によってサンドされている。山水景石については、ググればそれなりにまとまった解釈がいくつか出てくるので参照されたい。

さて、父と息子の物語だというと雑に過ぎるが、ギテクの無計画という計画の果てが、明確な夢や目的を見い出せずに生きていたギウになんらかの道筋を与えることになったのは、それが贖罪のようなほの暗いものであっても、いくらかの救いを感じる、そんなまやかしがある。ということで、冒頭では社会派サスペンスではといったが、ベースはエンターテインメントなんだよね。

Read More →

『三体Ⅱ 黒暗森林』を上下巻ともに読み終えた。読むまでにもう少し期間が空くかなとイメージしていたが、先週中にふと購入して週末までに何ページか読み進めてしまい、日曜日の昼に上巻を読み終え、そのまま勢いで下巻もあっさりと読み終わってしまった。

何故か? 電子版で読んだので実際には分からないが、店頭で見た限りではそこそこのページ数だと思われたし(その事実として上下巻に分かれているわけだが)、あまり時間がかからなかったのは熱中したためだろうか、読みやすかったためだろうか。

ところで、最初からずーっと「暗黒森林」だと思っていたが、読み終わって気がついてみたらようやく「黒暗森林」であることに気がついた。恥ずかしい。

大雑把にいうと『三体』よりも面白かった。前作は、ゲーム内世界で再現される三体世界の様子と彼らの社会の発展、地球文明との邂逅が、作品における描写や展開のキモであったように記憶しているが、本作は三体世界との対峙が描かれている。その分だけ、単純に物語にスリリングさが増している。ゲーム内の奇妙な世界がオマケ程度にしか登場しなくなったのは寂しいが。

主人公である羅輯のキャラクターも嫌いではなかったが、前作の主人公-と言っていいのか判断しづらい葉文潔、羅輯の役割というのが彼女の構想の範疇を出ていなかったのではないか、という歯痒さはある。これは解説でも指摘されていた。

また、キーポイントとなる概念の要素が冒頭から明かされているが、これについては勘の悪い私でもおおよその流れは読むことができた。だからといって本作の面白さや読書体験が損なわれるものでもなかったが、的中した嬉しさ半分、物足りなさ半分といった心持もなくはない。

話はめちゃくちゃ面白いのだが、登場人物がイヤにみんな素直に思えてしまうのは何故なのだろうか。人類 VS 三体世界 という構図とそこで展開される戦略は魅力的で、重ねて「人類の敵は所詮人類だ」という命題もサブテーマ的に描かれるのだが、その人類の敵というのは、愚かで、かつ絶望しきった民衆ということに尽きるのでは。三体世界へ宗教的な恭順を示す地球三体組織、通称 ETO も時の流れには勝てずに消えていったということだが(続編では定かではない)、このへんも割とアッサリしていた。そもそも…、まぁいいや。

袋小路の人類

本作のもう1人のキーパーソン的な人物である章北海と、彼の辿る結末が最もよく分からない。この人物が担った思想的な役割と、描かれる展開にはなんらかの史実的なメタファーがあるようにも思えるが、パッと分かるものでもなかった。

章北海の信念のバックボーンは最期の最後まで明かされない。自らの信念に基づいて行動する彼は、読み進める限りにおいては、一見すると、面壁者テイラーがある意味で求めたような軍人のイメージに近いようにも思える。盲信あるいは諦念、信仰あるいは憎しみを抱いて、自らの命を省みずに最後まで戦い続ける、というようなタイプの戦士、軍人だ。

表面的にはそれは間違っていないだろうが、彼の信念と行動を支えた、バックボーンと思考は、根本的には盲信の類とは正反対、と言ってよさそうで、この信念は限りなく感情的ではなく、思考や理由が担保された、少なくともそのように整えられていたはずだった、のか?

フワフワと考えていると、結局のところ彼がなにを実現したかったのか、掴み損ねるのかもしれない。彼が、その信念を燃やし尽くしたと思われる瞬間には何が起きていたか、なぜそれで彼は満足したのか、考えてみると、おもしろそうではある。

人類 VS 三体世界 という終末戦争が、実感とリアリティの薄い現実であった時点まで、ときには人類は恐怖し、あるいはそれを忘れて日常を取り戻し、大なり小なりのいざこざを抱えつつも地球文明を持続させていた。羅輯や章北海の抵抗が、一過的なものであったり、そもそも行き詰まりしか見いだせない類のものであったり、というときに実は本作は読んでいるときの印象以上に、ただただ影のみが濃い作品なのではないか、とかね。

完結作の邦訳は順調に進めば、来春ということらしいので、楽しみだ。今度は発売と同時に読みたいという気分になっている。

追記:以下が「三体Ⅰ」「三体Ⅲ」の感想となる。

Read More →

また私は Web ブラウザーの話をするのか。たいしたことじゃないけど、なかなかおもしろいなと思ったので備忘録がてらに。

2015年、Windows 10 に搭載された新しいブラウザを “Edge” と呼んだ。2014 年に開発されていた段階では “Spartan” というコードネームだったそうだが、この名称に込められた意味とはなんだったのか。

“Edge” にせよ意味はよく分からない。だが “Internet Explorer” の “E” との整合をとる-同じようなアイコンにしたい-という目的は多少にかかわらず有ったようだ。

その “Edge” も 2020年には Chromium 製となり、アイコンの “e” も抽象的になっている。 Firefox のアイコンと類似したイメージを与えられるのは皮肉のようにも思える。もはや Internet Explorer から引き継いでいるのはアイコンだけだろうに。

ところで “Explorer” は Windows のファイルマネージャーの名称でもあるが「探検者」とか「冒険者」などという意味が本義である。インターネットを切り開くアプリというニュアンスが与えられていたのだろう。

そもそも Internet Explorer が安定して使われるようになる前までの標準的なアプリであったのは “Netscape Navigator” と思われるが、これも愚直に訳すと「ネット風景の案内人」みたいな感じになるだろう。

そしてそして、私は OS X 以前の Mac には明るくないのだが、2003年の Mac OS 10.3 からは “Safari” が搭載されて Mac は独自の Web ブラウザーを得た。これもググれば出てくるが、語源はスワヒリ語にあるらしく、「狩猟旅行」だとか「長い旅」だとかと意味するらしい。

ここまで並べてしまうと、もう話はほとんど終わったようなものなのだが、インターネットが未知であり、案内人が必要なほどのアドベンチャーであった時代が終わったことは、Web ブラウザーのネーミングの変遷からも察せられる。そういう意味では Safari には頑張ってほしいナという気持ちにもなる。

Read More →

前回の雑記に書いた Kindle のフォント問題だが、書籍データの同期の不完全が原因だったようで、しばーらく同期の完了を待ったのちに実行したらほどなく完了した。身も蓋もない結果であった。

『暗黒森林』の上巻をパラパラと-スマホの画面で読んでいてこの擬音語もおかしいか-読み進めている。おもしろいっちゃおもしろいが、なんとも表現が淡々としているように思える。まだ序盤だからだろうか。『三体』のときの感触は忘れているので比較もしづらいのだが、こんなもんだったか。

そもそも前作までの展開はほぼ記憶しているものの、登場人物をあまり覚えていないのであった。が、そのへんは雰囲気で読んでいる。話は変わるが先日、《推理小説の読み方がわからない(追記有)》という記事があった。推理小説の楽しみ方として、きちんと推理に参加する楽しみ方を扱った内容だ。

私もさすがに「ノックスの十戒」や「ヴァンダインの二十則」は知っているが、推理小説は推理に参加せずに楽しむタイプだ。考える過程を楽しむ前に物語そのものの展開に熱中してしまう。同じタイプの人間としては、上記で引用した記事の執筆者の葛藤も分かる。だが、いまさら推理作法を身につける気にもならない。

似たような話としていいかわからないが、長編のロシア文学作品では登場人物の氏名があやふやになることがある。これも本来は都度に同定したほうがよかろうが、雰囲気で読み進めてしまうことが多い。いずれかの段で前の展開と交錯したとき、「あぁこの人物だったね」となる。

これは乱読の類だろうな。

Read More →

6 月には記事をまったく更新しなかった。途中まで書いた記事もあったが、投稿する感じでもなくて止めてしまった。コロナの影響がジワジワとというか、巧妙に分かりづらく、心身を蝕んでいる、実にそう思う。

記録にも残した『三体』の続編『暗黒森林』が 6 月 18 日に発売され、ちまたの書店には平棚に堂々と詰まれていた。いずれ読もうかと思ってはいたが、それがいつになるかは定かではなかった。先日、洗濯中に上巻を買った。前作となる『三体』も Kindle だったので本作もそうしたが、やや困っている。

削除していた Kindle アプリを『暗黒森林』を読むために再インストールしたのだが、適切な日本語フォントがダウンロードできない。そのままでも文字は追えるが、括弧類の記号などは倒れて表示される。読めないことはないが、1 冊を通してこれでは耐えられない。

状況に少しずつ違いを与えてダウンロードを試しているがうまくいかないので節も読み終えていないのに怠くなってきた。解決策を探して試せることは増えたが、本日中にでもやるだろうか。そもそも前作は、Kindle の Web で読んだ気がするが記憶は定かではない。

内容について。ほんの数文を読んだだけだが、単調な文章がわずかに気になった。これって英訳からの翻訳なのだっけ。

Read More →

つい最近ほどまでは毎日 10,000 歩が健康に繋がるという話をベースに考えていたが、このところ -2,000 歩の 8,000 歩で考えるようになった。特に根拠は出さない。

歩数を計測することの機器を一般に「歩数計」という。「万歩計」という有名な名称は山佐時計計器株式会社の登録商標らしいが、これもそもそも「一万歩」をベースにネーミングされたものだろう。ググると 2013 年のプレスリリースで、2014 年に本登録商標が 30 周年となる(なった)ことが分かる。最初の販売は 1965 年でこのときはまだ「万歩メーター」だったらしい。いずれにせよ、10,000 歩が基準になっていたことに変わりはないが、この基準はいつから生まれたのか。

歩数計がデジタルになり手に入れやすくなったのも 90 年代半ばくらいかと思うが、東海道五十三次相当を計測できるとか、ポケットピカチュウ(1998)とかが懐かしい。

今では携帯電話、スマートフォンに標準的に装備されているし、スマートウォッチなどでは当然の機能だ。持って歩いているだけで勝手に歩数や運動強度を計測される。スマートフォンはほぼ毎日身につけて生活しているわけだが、すべてのシーンで持っているわけでもないので、ちゃんと計測したいならスマートウォッチを手にしたいという気分になる。

現状、もっとも製品としてのクオリティが高いのは Apple Watch だろう。iPhoneユーザーなどはこれを使えばいい。次点あるいは他の候補が難しく、Fitbit などがいいのか、中華製の安い端末で済むのか判断しづらい。GPS性能や連携機能や充電の効率、耐水性などがポイントになる。

昨年、Withings の Steel HR Sport を購入して使っていた。これは、文字盤がいわゆるアナログ時計で、小さい小窓のようなデジタルパネルが付いているタイプだ。メッセンジャーアプリなどの通知は連携機能として備わっているが、単体で操作できることはない。歩数、距離、心拍、カロリー、睡眠の時間と位相くらいは計測してくれる。あとはアラーム機能か。

強みといえば、電池の持ちがよく、月に1、2度のそれで済む点があげられる。これは、ずぼらな人間には非常にありがたい話だ。パッと見、スマートウォッチに見えない点にも利点はある。

弱みだが、盤面が弱い。すぐに傷がつく。製造や価格の問題でランクが下げられたのだろうが、これは残念で、傷のついた盤面を眺めることによる不愉快さは拭いがたい。

もうひとつの弱みは、シリコン製のベルトだ。装着感はいいのだが、夏場はすぐに臭くなる。お前の体質が悪いといえばそれまでだが、それにしても日持ちしない。毎日洗ってもなんとなく晴れない。肌との接着面側に溝があるのもよくない。しばらく放っておいたら、素材が劣化してとても装着できなくなった。

公式サイトで替えのベルトは販売されているが、革製ベルトが 5,000 円を超えており選択しづらく、シリコン製は同じ穴の狢となってしまう。Amazon で布製の適当なバンドを見繕って注文し、装着しなおしたらそれなりに見れる状態になり、装着感もよい。

ところが、これは失念していたが、このセッティングだと本体の裏面がベルトに遮断されて心拍数が計測できない。どうにもうまくいかないものだ。

とにかく君はあるけばいい。

Read More →

キーボードを新調した。自宅でそこまで本格的な入力作業を想定していなかったので、マシンを揃えたときは2,000円もしない安キーボードにしたのだが、昨今の事情で家で作業をすることが増えた。

現在、使っている安キーボードの叩き心地も嫌いではないのだが、まず土台が安定していないようで机との設置の次第ではガタガタと揺れる。こんなことでは話にならない。次いで、テンキーがないモデルであったので、痒いところに手が届かないというか、まとまった値を入力したいときはどうしても作業がもたつく。最後に、配線がどうしても邪魔なので、無線のキーボードが望ましい。というような不満に囲まれた。

今回、在宅勤務者が増えたということで Web カメラをはじめたとした所謂 OA 機器が品薄状態という話を耳にしてはいたが、高パフォーマンス型のキーボードも例外ではなかったようで、ロジクール製の業務向けのキーボードにひとつ目を付けたものの、どの量販店でも売り切れており、公式サイトでも販売がなされていないという状況になっていた。

多少値が張る商品ではあるので、納得できない製品を手にしてもしょうがない。しばらく様子見をしようかということで当分は諦めようと決意した矢先のことであった。

SANOGRAPHIX BLOG さんの最新の記事を読んでいたら、出会った。

自宅の PC 環境の記事だが、使用しているキーボードの Esc キーはビビットなオレンジ色でちょっと怪しいが、かっこいい。これが第一印象だ。古いコンピューターを思い出させられる。紹介されている『Keychron K2』というキーボードは、もともとクラウドファンディングで注目を集めた企画だったそうだが、それがオンライン通販で購入できるとのこと。上記の条件をほぼクリアしており、これはよいものだと直感した。

他に情報を提供しているブログを見てみると、以下のブログは熱心に購入して記事化してくれている。ありがとうございます。

いろいろと情報を読み漁ると、K2 シリーズの次に テンキーが付随する K4 シリーズが出ており、現在はさらにフルキーボードっぽい K6 シリーズのアーリーアダプターを募集しているという状況のようであった。最終的に公式サイトを開くことになった。

最初に K2 シリーズのラインナップを見たが、これらは売り切れていた(と思う)。次に目をつけた K4 シリーズも売り切れが目立つ。駄目かと諦めかけたが、バックライトが RGB つまりフルカラーで点灯するバージョンの赤軸がかろうじて残っていた。本当はバックライトは要らないので、White のバリエーションばかり注視しており、見落とすところであった。この際である。条件を満たしたキーボードが手に入らないよりはマシと思い、これを勢いで購入した。茶軸か赤軸であればいいと思っていたので、これも幸運であった。

注文を確定したのは先週の半ばのことであったが、受注の知らせがない。 Paypal での決済報告で受注完了ということかと思うが、不安はあった。そのまま様子をみることにしたが、週末には発送の知らせが届いていた。この知らせを開封したのが、本日の午前中のことで、そのまま本日中に届いた。製造も販売も特に気にしていなかったのだが、発送元は深圳となっていた。いままで深圳にそれほど注目していなかったが、完全にお世話になることになってしまった。

キートップを Windows 向けのキーに変更し、基本的な使い方をなんとなく覚えてから、ちょろちょろとこの文章を打っている。よいものである。さまざまなバリエーションでイルミネーションが変わるのも気分転換になる。メカニカルキーボードということで本体の厚みが増し、リストレストがあったほうがいいのではという気分になっているが、ますます道具が増えてしまうので、これは要検討といったところだ。

Read More →

Close Search Window