読書:『三体』

劉慈欣の『三体』を読んだ。読んでからしばらく経ったが、どういう感想を残すか、困っていた。

作品は、おもしろかった。おもしろかったには、おもしろかったが、おもしろさ故のアレだが、兎にも角にも、おもしろさはあった。読み切るまで 三部作の第一作であることを失念しており、読了の満足とともに置いてゆかれた期待が寂しさをも呼び出した。

本作を SF 作品たらしめる面白さのポイントは並行的に何箇所かあり、それぞれの強度にかなり差があるように思え、そこに若干の違和感を感じないではない。ただ、これは好みの問題だったり、SFというジャンルそのものの問題だったりするので、なんともかんとも。

本作のおもしろさ

まず 1 つ目のおもしろさは、ポリティカルな話であることはないか。興味が無けりゃおもしろくもないだろうと言えばそこまでだが、文化大革命が扱われている。第 1 の主人公、葉文潔は革命に翻弄され、人生が狂った。読んでみれば分かるが、とても文化大革命が肯定的に扱われているとは言えず、思いっきり否定的に読める。本国の事情は詳しくないが、ここまで書けるものなのかと感心してしまう。

その裏で、政府は極秘の天文学的な実験を遂行していた。ここが本作を含んだシリーズの機転であり、おもしろいところの 2 つ目だ。世情と離れた田舎の天文台で、実験は繰り返されていた。葉文潔はこの実験に参加するとともに、この革命に対する復讐を達成するための希望をも見い出す。

3 つ目。本作の肝とも言える。三体星人の侵略行為のおもしろさだ。これには、彼ら三体星人史を VR ゲーム機で人類に追体験させることに秘密がある。規則性なく生存不可期間が訪れる三体世界は、あまりにも過酷といえる環境を経て進化した。その文明は地球人類よりも進んでいる。

だが、である。彼らはより安定した生存世界を望んでいる。説明するまでもなく、地球こそが理想郷だ。地球を発見した時点では彼らにとって取るに足らないレベルの地球人類であるが、侵略のスケジュールを組んでみると安穏ともしていられないということが分かる。おもしろい。

地球人の洗脳、文明の進歩の遅延行為、これらを VR 三体世界を体験させながら行う。すごくスリリングだ。ただし、三部作の 1 作目ということなので、最後は打ち切りエンドのような勢いのよさで締めくくられる。「俺たち人類は負けない」といった感じだ。第 2 の主人公である汪淼は、まぁ活躍らしい活躍もないような感じで、次回作に期待したい(登場するのかもわからん)。

本作の受け取り方

この感想を残すにあたって困ったのは「現代中国で描かれた作品であるということ」を個人的にどう受容していいのか分からない点だ。作家と作品、社会とは別物であり、その峻別については厳密であるべきだが、であるからこそ、この作品をどのように楽しんでいいのか、あるいは単純に楽しかったと言っていいのか、勝手に悩んでいる。

大森望のあとがきによると、作者の劉慈欣は中国の文学文化的な事業の面でそこそこに重要なポジションに就いているようだし、中国国家としても SF というジャンルを大きく育てたいみたいなところもあるようだ(インタビューを読むと劉慈欣としては「市場が小さすぎて話にならない」ということも言っているようだが)。

とまぁ、そういう背景を踏まえて、劉慈欣が現行の中国をどのように見ているのかがよく分からない。たとえば、本作で描かれる過酷な三体世界の描写は、序盤で描かれる文化大革命の最も苛烈な時期のパラフレーズとしても機能しているわけだが、現行に於いてこの中国の苛烈さは、香港でのデモ騒動、ウイグルへの弾圧や洗脳へと移行し、大きく表面化している。あるいは、NBA のスポンサーとして国家体制への批判を抑圧するなど、国力の増大とともに内外への圧力を増し続けている最中だ。

劉慈欣本人が、これらの事態をどのように捉えているか。あるいは内側から何かを変えようとしているのか。彼の心は計りようもないが、少なくともポリティカルな内容を直接に扱う作家として、中国国内でそれなりに地位を築きつつある作家として、現状の世界、中国に対しての態度を伝えてほしい。少なくとも『三体』では分からなかった。そのような作品であるからこそ中国内での発表が可能という面もあるだろう。だが、そういう作品の力ってなんなんだろうか。本作は絶妙に奇妙なバランスのうえに立っている。作品は間違いなくおもしろかったが、そういう心残りがある。