たまに読み返すコミック『ケンガイ』(大瑛ユキオ)のことを記す。映画《エレファント・マン》を観たキッカケになった作品だ。

本作は『月刊!スピリッツ』にて 2012年 3月号から 2014年 8月号まで連載されていたらしく、私は 1 巻が発売したタイミングで単行本を読んだ(全 3 巻)。それももう 8 年ほど前のことか。作者の大瑛ユキオは、同誌 2016年 7月号に読み切り作品『シスコンじゃない』を描いてから商業誌へのマンガの掲載は無いようで、残念である。創作活動を続けているのかもよく分からない。

なお、以上のことは作者のブログからまとめた。こちらも現在では未更新であるし、いつか無くなっているかもしれない。

タイトルの「ケンガイ」とは「圏外」であり、いわゆるガラケーを使っていた人たちには馴染み深いキーワードだが、最近のスマートフォンでは「圏外」と表示されることは、ほぼ無いのではないか。同時に、作品掲載時の 2012 年時点でも既にスマートフォンは普及が進んでいたし、「圏外が、日常用語としてやや耳慣れなくなっている」という状況は、連載当時でもあったのではないか? とも推測する。まぁ些細なことだけど。

ついては、本作におけるケンガイとは「恋愛対象外の異性」を指す。こういう使い方が巷の若者たちのあいだで実際にあったのだろうか? これもよく分からない。これも些細なことのように思うが、もし作者の発明だとしたら面白いし、そうでなくてもやっぱり面白い。個人的にはこのタイトルに痺れている。

本作の主人公である伊賀君は、おそらくそこそこの大学に通っている(通っていた?)学生だが、特に具体的な目的もなく、就職氷河期も相まって明確な未来像が描けない。そんな折に彼はレンタルビデオ店でアルバイトを始めるが、そこの同僚である白川さんに惚れる。ところが、白川さんは職場のリア充系男子たちには「ケンガイ」な女子と揶揄されていた。ここでタイトルが回収される。

シネフィルの白川さんに近づきたい伊賀君は、映画を見ることを習慣化していく。本作冒頭、彼女の立ち話を耳にした彼は、言及されていた映画《エレファント・マン》を見ることにする。だが、彼にはこの映画のどこが白川さんの琴線に触れたのか、分かっていない。

生い立ちを含めた白川さんの人間性、抱える問題が徐々に明かされていくのであるが、つまり彼女は「エレファント・マン」に共感する側の人間だ。バイト生活にその日暮らしを重ね、映画を観るために人生を費やしている。映画を扱うバイト先であってもマイノリティー側であることに変わりはない。

一方の伊賀君は、マジョリティー側に所属しそうな側の人間なのだが、白川さんに惚れてしまっては仕方がない、恋の力は無限なので。職場においてはケンガイとされる彼女を、逆に、自分自身を彼女の圏内に置くために試行錯誤するのだ。かっこいいではないか。実際に伊賀君のとる手順や態度、考え方はだいたい真っ当で、単純に好青年なのが、むしろよくできている。つまり彼も、生きるのが下手なんだよね。

ストレートにアプローチする伊賀君、アプローチを正面から受け取れきれない白川さん、という状況が続く、が、さてどうなる。全 3 巻という比較的コンパクトなまとまりになりつつ、破綻も後腐れもない終わり方は見事だ。

恋愛作品というよりはセラピーというか人間関係の修復という面もあるわけだが、作中で引用された《エレファント・マン》の当該シーンと台詞を本作にどうやってパラフレーズしていくのかを考えたりすると、楽しい。

という感じで、オススメしたい作品だ。

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