岩明均の連載作品『ヒストリエ』の第11巻が発売されたことを知っているか。早速、読んだ。おもしろいのだがあっという間に終わってしまう。いや、おもしろいからあっという間に終わってしまう。いや、もっと話を圧縮すればいいのでは、などなどと思うが、おもしろいことには変わりない。

岩明均の主な作品だが、『寄生獣』(1988-1995)のあいだに『骨の音』(1990)が発表されている(表題作は書き下ろしだということだ)。その後『七夕の国』(1996-1999)となり、『雪の峠・剣の舞』(2001)となる。『ヘウレーカ』(2002)を経て、ヒストリエの連載が2003年から始まる、といったところか。Wikipediaの情報をアテにしているので精度についてはあしからず。

《天気の子》が上映中の新海誠ではないが、岩明均もある一定のテーマを変奏させている節がある。そう思って本文を書き始めたが、ここまで書いてそうでもないような気もしてきた。ヒストリエの主人公、エウネメスの人物造形は、「雪の峠」の渋江内膳に近いように思えた。終始、決してピュアなだけの男ではないという点においてだ。

なんでこんな文章を書こうと思ったのかといえば、あらためてどの作品が好きかなと思ったからなのだが、むずかしいな。『雪の峠』か『ヘウレーカ』かな。あぁ、無常。

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2018年、ヨルゴス・ランティモス監督の最新作。当時劇場で鑑賞して、しばらく下書きを取っておいたんだけど、整理して上げる。

とにかく笑えばいい

なんだかんだ、これはコメディ映画なんですよね。当年のいくつかの映画賞ではコメディ部門で出品されているわけで、やたらとシリアスなので飲み込まれがちだけど、どこもかしこもふざけている。私が1番笑ったのが鳩撃ちのシーンで、アビゲイルの射撃によってサラの顔が汚れるところ。まさに面汚し。アビゲイルがマシャム大佐を処理したシーン(2回)も絶品の趣味の悪さで笑うしかなかった。劇場で一緒に見てたひとたちはあまり笑ってなかったけど。

本作、ほとんどのシーンを自然光で撮影したとのことらしいが、どの情景も、それぞれの登場人物の心象をうまく反映している。女王の自室は、どの時間帯でもほぼほの暗いままなのだけれど、廊下はいろいろな表情を見せる。本作の主役は廊下と言っても過言ではなかろう。というわけで、廊下に焦点をあてたメモを記す。

暗さにも種類があり、明るさは暗さを強める

蝋燭が照らす

第1に暗い廊下。時代が時代だけに、夜は完全に暗い。闇を照らすのは蝋燭のみ。暗い廊下を照らす蝋燭は繊細で美しく、同時におどろおどろしさを演出する。大きく覚えているのは2箇所だ。

まずは、夜会の最中に女王が癇癪を起こすシーン。サラに連れられて自室へ戻るなか、廊下には異様なほどの数の蝋燭が配置されている。ディズニーランドのアトラクションかというような装飾具合。女王の機嫌をとるためにサラは、徐々に車椅子のスピードをあげていく。狂騒というか狂走であって、ほの暗い廊下を駆け抜けていく女王とサラは、まるで魔女のよう。まぁ、そういう(どういう?)秘密をかかえているんだなという憶測が立ち、割とあっさりと開示される。

もう1箇所は、正にこのシーンから反転した状態にある。女王に嫌厭されたサラが頼りない蝋燭を1本たずさえて、秘密の廊下を歩いていく。女王の部屋に向かったのである。女王の寝台に直通している扉を開いた彼女の灯りに映った光景とは。いやー、ズルかった。

廊下に戻ったサラはショックでフラフラと歩く。全編に渡ってしっかりピシッとしている彼女だが、このシーンだけは例外的に不安定で、それが表現されている。ふらふらと左右に揺れる蝋燭は危ない。この映画の蝋燭、どんだけたくさん灯がともっていても火事になりそうな気配はまったくなかったが、さすがにこのシーンだけは燭台をこぼさないか心配だった。完全に名シーンですね。1番好きかもしれない。

太陽が照らす

第2に明るい廊下。印象に残るシーンは1本だけだったが、かなり重要だ。女王に気に入られはじめたアビゲイルは、彼女の車椅子を引きながら気持ちのよい陽の射す廊下を移動していた。そんななかで2人が耳にしたのは、中庭で演奏される弦楽四重奏。窓辺から中庭を見下ろして微笑みながら聴きいる2人。あからさま過ぎるくらいに幸福な情景で、このまま終わればハッピーエンドかとも思われる。狂走していた2人との対比も見事だ。

一転、女王の気が触れてアビゲイルを拒絶。車椅子を蹴飛ばしてヨタヨタ歩きながらも暴走。歩行もままならない彼女は、フラフラと廊下を彷徨しはじめる。グルグルグルグルと歩き回り、しまいには自分がどこにいるのか分からなくなる始末で、そこらにいる衛兵に八つ当たりをはじめる。女王が溜めこんできた業は、明るい、昼間の、美しい廊下には耐えられない。ましてアビゲイルが癒す、癒せる類のモノでもないことがハッキリするのであった。

監督ならではの森、その役割

過去作《ロブスター》《聖なる鹿殺し》を見るかぎり、監督は木立のなかにカメラを走らせてギュギューッってやるのが好みだ。《ロブスター》は半分は森が舞台であったし、《聖なる鹿殺し》は都市から自宅への経路は郊外を抜けるときに、木立のなかを小気味よく駆けていった。本作はどうか。本作では馬が森を駆けるが、目立ったシーンは3つかな。というか、屋外のシーンは庭以外は森だけなんだよね。

キッカケの疾走

アビゲイルが森を駆けるのは1回(森にいるシーンは2回かな)。それがここで取り上げる3回の森のシーンの最初。痛みに苦しむ女王への薬草を採取しにいくところだ。下働きレベルの彼女がどっから馬を調達して乗ったねん、というツッコミが成立するということは、それだけの強引さが求められたということで、それがアビゲイルの執念すらも表していると捉えられなくもない。

女王の変節

女王がサラと乗馬に出るシーンがある。駆けるというか散歩だが、サラと女王の分岐が決定的になる場面である。直前にサラが女王に乗馬の装備を着せている描写があるのだが、甲冑のような木製の乗馬具が拘束具のようにもみえ、2人の関係性がエグく視覚化される。散歩での話題はアビゲイルであり、女王の気持ちはアビゲイルに傾ていることが本人の口から明らかになる。

訣別のサラ

アビゲイルの努力、策略によって女王から遠ざけられたサラが城外に飛び出していく。暗い夜の森を駆ける。サラはこのとき、馬から身を落として大怪我を負う。怪我の原因はアビゲイルにある。アビゲイルによって森は女王を癒すためにも使われ、サラを追い落とすためにも使われた。便利過ぎるだろ、森。

という感じで、ランティモスの森を堪能したい。

まとめ

たしかに前作の《聖なる鹿殺し》よりも作家性は丸められているように感じるが、それにしたってヒドイ作品で(褒めている)、なんという後味の悪い最高の作品を大スクリーンで鑑賞できるのか。アカデミー賞にはあまり興味がないが、今回ばかりは感謝した。

ヨルゴス・ランティモス監督、Twitter などで検索すると「変態」というキーワードをよく目にする。なるほど、否定できない。だが、私本人としては、この監督の脚本面での作家性は大仰に言うと「人間の美醜、その一義-両義性の追及」にあると思っている。

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梅雨が長いというが、例年の平均を比べてみても大差はない。気温が低いというが、日本海側はそれなりに暑かったりする。私は、2010年前後くらいに梅雨らしい梅雨が来なくなったことを嘆いていたが、ここ5年くらいは関東にも梅雨らしい梅雨が帰ってきたなと思うようになった。まぁ、これも南関東限定の話で他の地域に関しては感知できない。

九州を中心とした西日本の地域は、毎年のような豪雨被害にあっているし、これに関しては梅雨明け以降、台風の季節がやってきたら南関東もその他の地域も同じような危険にさらされるだろう。

毎年。毎年、今年は特別に何かが起きているという思い込みをしやすい。

生活実感として野菜の価格がやや高騰ぎみのように感じるが目立った報道はない。しかし、東北は太平洋側の親類の農家ではあまり芳しくないようであることは耳にした。何もわからない。と思って調べたら、7日前の毎日新聞で「日照不足、都心で20日連続 野菜高騰、生活を直撃」と報じられていた。

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茶化すことでしか精神の安定を図れないということもあるだろう。なにかしらの思いのたけを書き連ねて心を落ち着かせるということもできるだろう。あるいは情報を遮断し、もしくは情報をしらみつぶしにし、そういう操作によってバランスをとっていくということもあるだろう。

身近な第三者に降りかかった厄災にまつわる理解や感情、その原因に対するスタンスの取り方、それぞれの人がそれぞれの方法でもって対処するしかない。

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お札を入れる財布と小銭入れを別々に使っている。

先週の金曜日、行きつけのお店で夕飯を食べて会計を済ませようと思ったら小銭入れがカバンにない。その前に寄り道していたが財布は出していない。つまり最後に職場を出たときに小銭入れを忘れているハズだということになった。

カレンダー通りに3連休を過ごすので、3日間は職場にいかない。土曜日を過ごした時点で小銭が溜まる溜まる。あふれるあふれる。日曜日に職場の近所まで行くことになったので急ぎ足で寄り道してみた結果、デスクの周りに小銭入れはない。あー、もう見つからんかも。見当がつかない。どこで落とした。足早に去る。

日曜の後半から月曜まで、さらに小銭が溜まる溜まる。あふれるあふれる。どうしようか。彼はどこへいった。火曜、出勤して隣のデスク(空き机)の端のほうに小銭入れが居た。

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時代劇はほとんど鑑賞しないが、なんとなく劇場で《居眠り磐音》を観た。そのときの感想を今になってまとめた。

松坂桃李が出演している作品は、《ユリゴコロ》(2017)と《不能犯》(2018)くらいしかまともに鑑賞したことはなかった。一応のヒロイン役、木村文乃は《羊の木》(2018)くらいしか見たことがなかった。だが、よくよく辿ってみるとこの2名はTVドラマ《サイレーン 刑事×彼女×完全悪女》(2015)で主役を共演していた。家族が鑑賞する傍らで私もたまに目にしていた。また、同作でのヒール役、菜々緒を加えてみんな同年齢なんだね、という感じである。

本作のストーリーの前提を大まかに残す。

主人公の磐音は、同藩の若手仲間である琴平、慎之輔とともに九州は豊後に帰京した。江戸への出向と修行を終え、藩を盛り上げていくはずだった3人。だが、悪玉にハメられた同志たちは次々に非業の最期を迎え、磐音は江戸で浪人となって生きることとなったのであった…。

4つの殺陣

大きくは4つあったと記憶している。時代劇映画で演じられる殺陣の数の大小などはわからないが、満足感は高かった。どれも意味づけがしっかりしているうえに、ワチャワチャせずに緊張感がある。個別に感想を記そう。

琴平と慎之輔

殺陣と言っていいのか。正気を失った慎之輔を琴平が切り捨てる一瞬のやり取りです。このシーンは、琴平が一家の長子として冷静に事態を収めるスマートさが光っていて、さらに次の殺陣との対比が美しくなる仕組みがある。

琴平と磐音

今度は琴平が半ば正気ではない。が、最後に磐音と「尋常」(ガチンコ)での試合に臨む。柄本佑の演技がねぇ、怒りながらも冷静さを保っていた姿から一転しての狂気ですよ。もう磐音をやっつけかねない勢いで切り結ぶ。よいです。

磐音と毘沙門の統五郎ら

本作唯一の室内戦にして複数戦かな。取り得もよくわからない浪人として扱われていた磐音が本領を発揮する清々しさよ。バサバサやっつけるので残忍さも孕んでいる。狭い部屋のなかというドキドキもある。うん、本作では1番好きかもしれない。

磐音と黒岩十三郎

悪役浪人のひとり、二刀流。この殺陣がいっちゃんアクションしていたのではないだろうか。なにせ二刀流だし、敵に豪傑感があるので細っこい磐音では勝てないのではないかという不安が大きい。ていうか、かなりピンチだったんじゃないかしら。どさくさで決着つかなかったんだっけか。しかし、黒岩の二刀流、ガサツでかっこよかった。

その他のよしなしごと

磐音の暮らす長屋だが、立地がおもしろい。水路沿いにあるのだが、手前の路地の構造がおもしろい。どこかで交錯していてブリッジのような立体になっている。このような状態の路地があったのか、どこかにモデルがあるのか知りたい。夜の部屋、川に面している側の障子に水面が映っていたように思える。ちょっとオシャレすぎる気もしたが、きれいだった。

統五郎、黒岩と結託していた浪人のひとりに、天童赤児という浪人がいた。彼も強者ぽかったが、ストーリーの都合のうえ派手な剣術は披露せずに舞台を去るのでちょっと肩透かしというか、残念であった。

悪役のひとり、柄本明。バタ臭すぎないかという感想もあったが、これくらいベタベタのほうがいいっちゃんね。もうひとり、奥田瑛二。ピエール瀧の代役だったとのことだが、こちらのほうがハマっていたのではないだろうか。ほのめかしの具合がよかった。

なお。磐音の元許嫁で、可哀そうな顛末を迎える。序盤の印象付けと中盤での想起、終盤での登場など、本作のなかで、決して悪くはないが、どれもイマイチピンと来ないシーンが多かった。これは原作のボリュームを映像で補わなければいけないうえでのギリギリの結節点だったのではないか。

木村文乃が演じるおこんとその父、中村梅雀が演じる金兵衛の親子漫才も作品の味付けとして忘れがたい印象を残す。

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センター試験のようなテストを受験している夢を見た。だが、試験の運営は異様におおざっぱでカンニングも私語も自由なようだった。そうではあるものの、私はひとつの解答もできずにいた。設問を見つけることができなかったのだ。周りのひとたちは一通り解答を終えたようで、のんびりとしている。見たところ私の仲間はいない。

このテストで良点を獲得しないとヤバいという感覚があるなか、無情にも試験時間の終了が告げられ、白紙の解答が回収される。そこで目が覚めた。

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専用のスマートフォンアプリで配信されたシン・エヴァンゲリオンの特報を見た。2019年7月6日に各地で上映されたスクリーンを映したライブ映像だ。最初に上海版をみて、新宿版をチラリと見た。撮影した環境の次第もあるだろうが、上海版のほうが観客の反応に抑揚があって素直におもしろかった。臨場感である。その他の地域の版は見ていないので場所によってはもっと盛り上がりをみせていたかもしれない。

10分くらいの映像だったと記憶している。話に内容があるかないかも分からない状態の内容だったが映像のハッタリが上手い。ここでいうハッタリというのは、なんだかんだで魅せられたという話だ。最初は10分は長いな、飽きるかな? と不安半分に眺めていたが、終盤に差し掛かるともう終わってしまうのかと残念な気持ちになる。そして、これがエヴァンゲリオンらしいところなのだが、その見ているものがおもしろかったか? と振り返ると、よく分からないといんだよね。「Q」の物語終盤でも劇場の座席で似た感覚に陥っていた。なんだか凄いものを見ているが「いったいこれは何だ?」となるのだ。思えばシリーズ全体もそんな感じだったねぇと感慨に浸っている。

これだけネガティブさを前面にした作品も珍しいワケで、それこそが熱狂的な愛憎を生み出した理由のひとつだが、完結編と言われる本作はどのようなゴールを見せてくれるのか。 見るか分からないけど、楽しみではある。まぁ、ほぼ確実に観るんだけど。

あと、シリーズを通してこれまで見てきて、本シリーズにあまりガンダムっぽさを感じたことはなかったのだが、特報で描写されていた浮遊戦艦の連携によるシールドみたいな防御には近年のガンダム味を見た。少し寂しい。

「特報」って言葉、今日日あまり目にしないなと思いググってみたけど、やはりあまり使われていない言葉だなという印象が強まった。

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6月の半ばくらいか、ウェブ版のPocketのUIが刷新された。どこかにドキュメントが転がっているのかもしれないが、探していないので詳細は知らぬ。少なくとも日本語圏で話題にしているひとを発見もしていない。Pocketというサービスの立ち位置はまことに絶妙で、そもそも「あとで読む」サービスとしては登場当初は、Instapaperのほうが人気があった。いや、いまでもInstapaperのほうが人気なのかもしれないが、Pocketは読者数の指標やブログパーツなどとしてもある程度まで定番化しているようだし、そこそこの日本語対応もなされている。断言したい、Pocketのほうが定番化しているハズだ。

そもそも、この記事を書くにあたってザクッと調べてたら思い出した。PocketはもともとFirefoxのアドイン「Read It Later」だったんだ。なつかしい。2007年ということらしいのでChrome登場前夜であり、言うなればFirefox最盛期ではないか。そういえば、Firefoxの何バージョン前から連携があらためて強化されたが、これも2017年にFirefoxの一部門として買収された結果なんだろう(Wikipedia調べ、あしからず)。

で、ウェブ版のUIの変更だが、おそらくスマートフォンでウェブ版を見たときの挙動を安定させようとしたことが伺われるデザインだ。分かりやすい変更点のひとつとして、トップ画面における記事へのリアクションに必要な動作がひとつ増えた。マウスオーバーすればいいだけなのだが、少し違和感がある。一方で、個別の記事表示はこなれた印象があり、こちらは好感触だ。だが、記事ページを直接開き直すとバックボタンを押下してもトップ画面に戻らないことがある(ような気がする)。

このあいだ、Pocketを指して「ソーシャル・ブックマーク」サービスとしている文言をどこかで見かけた。そういった機能も確かに実装されているのだが、英語対応のみなので使い勝手の実感がわからず(日本語記事がサジェストされたこともあったような気もする)、いくらか腑に落ちない。

ついでのメモだが、堀正岳さんが最近のEvernoteへの檄文だったか、最近のウェブでのリーディングリストのフローについてのメモか何かでPocketに頼りきりみたいなことを書いていたが、どの文章だったか忘れた。探しても見つからない。半年以内くらいに目にしたと思う。

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先日、「検索できないのは弱さか」という雑記を書いた。デジタルで日記を入力するのに何を使えばいいのかという話題だった。Notionを諦めてScrapboxにしようか試すというところで話を終えた。

いろいろな事ができる多機能なツールというのは、基本的に玄人向けであろう。素人は、まず、ツール内にたくさん用意された機能から適切なものを選択する必要に迫られる。これは怠い。

で、日記だが、Scrapboxは合わなかった。1日の行動ログ、記録庫とするならいいのかもしれないが、 ダラダラとした雑文は合わない。思考を文章化したり、それを深化させたりするのには合うので、そういう意味で、やっぱりScrapboxはよくできているなとは、思った。機能のごまかしがきかないという点で。

6月の末からしばらく日記を残していない。そろそろ気持ちが悪くなってきたのでどうにかしたい。

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