《薄暮》をテアトル新宿で観た。だいぶ前の話だ。なんとなく文章に起こしていなかったことに気がついた。それでいいような気もするが、気がついてしまったからにはメモとしておきたい。
福島県はいわき市の高校生、 バイオリンを弾く小山佐智は音楽部に所属している。学校にはブラスバンド部もあるが、こじんまりとした音楽部のほうが性に合ったらしい。現在彼女は次回の文化祭で弦楽四重奏会を披露するべく練習に勤しんでいる。
小山佐智はひとりの時間を大切にしたいタイプの人間で、放課後の帰り道を友達と別れ、遠回りして別のバス停まで歩くことも屡々で、「薄暮」は、まずここで提示される。歩きながら語られるモノローグが、思春期の若者らしく、こそばゆくても一方で真実味があり、夕暮れの田舎の描写とともに流される。悪くはない。
ある日、ある時期から遠回りのバスで乗り合わせることが度々あった高校生 雉子波祐介 と知り合う。祐介は風景画を描くらしいが、よいスポットがあったら教えてほしいと佐智に頼むという流れだ。すがすがしい、いっそのこと潔いくらいナンパな声のかけ方だ。アニメ的誇張も含めて、祐介はちょっとヤバい感じのコミュニケーションを駆使し、少しコミカルで、単純な、でも誠実な男子で、最後までクスクスと笑わせてくれる。
エンディングは、文化祭の終わり、キャンプファイヤーがはじまる直前くらいだったと記憶しているが、日が暮れている。高校生くらいの年代の子たちにとって、まさしくこの時間帯というのは、少しドキドキするときではないか。運動部、文化部を問わず、バリバリの部活動者を除けば、夏から秋にかけて空が暗くなるまで学校に残っているということは少ない。お祭りが終わりに近づき、けれどまだ興奮は冷めず、そこにはいつもの放課後、日暮れを越えたワクワクがあった(言うまでもなく、個人差があります)。
エンディングも捨てがたいが、喫茶店でだべる少女たちも捨てがたいが、やはり家庭でのシーンが好きだったかな(好きと言いつつ、あんまり覚えていないのだが)。震災をめぐる被害をあとにした佐智の変化をそれとなく観客に提示する表現や、彼女をさりげなく支える家族の描写にはかけがえのないものがあった、ような気がする。
さて、初恋を描いている、夕暮れ時を描いている、となると直近では《君の名は。》を連想せざるを得ないが、一歩だけ踏み込んでおくと、そこはやはり日常感、それを支えるもの、日常的とは言えないもの、それらの相克、あるいは並存、融和といったテーマがアンサーとなっているのではないか。運命めいたものなど必要ない。
2019年12月20日追記
以下の記事を読んだ。以下の引用のあたりがおもしろい。
山本:ああいう描写をあえて入れていて、生っぽいというのかなあ……。「どうだエロいだろう」「リアルだろう」と言いたいというよりも、作品全体に対するフックというか刺激を与えていかないと、あっさりしすぎて具なしのお吸い物みたいな感じになるとヤバイなと思ったんですよね。じゃあ具にはアサリを入れておくか、出汁をちゃんととるか、みたいな。そういうことですね。
https://anime.eiga.com/news/109613/3/
台風だった。直撃する台風に見舞われるのは久しくなかったのではないかと思うが、過去を調べる気にもならないので事実関係はよくわからない。たまたま、前日に《台風家族》を観た。感想をアップするかもしれないし、しないかもしれない。そこまで面白くはなかった。
台風、静岡あたりを中心に上陸すると首都圏あたりが勢力図の東端に位置することになり被害が甚大にならん。ということだったが、どうやら東京あたりを中心に上陸したようで、千葉あたりの被害が一番多きということになったようだった。我が寝床の近辺は、やはり2時から4時ころが風雨共にピークだったのではないか。まったく眠れなかった。 Twitter をみると、やはり似たように眠れない人々がいた。
強風にあおられて倒れ、それが原因で亡くなった方がいるらしい。現時点で私が確認できた安否情報はそれくらいだが、残念なことだ。
このブログで以前「Massigura」を紹介した(アプリ:Massigura)。Windows のフリーウェアはほとんどエネルギーを失ってしまったように思える。寂しいものだ。というわけで「Mery」を紹介する。
現行で開発が続いているフリーのテキストエディタだ。フリーのエディタ界隈は割と元気が残っているように思えるが、それはツールの特性故だろうか。私の知る限りだと「さくらエディタ」もちゃんと更新されている。フリーではないが「秀丸」「EmEditor」なども現役だ。Mac に比べてもこういったタイプのエディタの種類だけはいまだに Windows のほうが勝っているのではないか。
で、「Mery」だが、テキストエディタ界隈では割と新参者だと思う。少し調べると、2008年に窓の杜で編集部賞を受賞している(受賞時のアプリ名は「mEditor」だった)。
私はそれほど凝った使い方はしておらず、テーマを「iPlastic」、標準フォントを「Ricty Diminished」にして表示色を反転させているくらいだ。なので、別にこれといったハック的な活用方法の提案はできないが、まぁなんとなく書きたくなったので、こうしてメモとして残している。
ちなみに、開発者の方の Twitter は @haijinboys だ。
アプリの Wiki は以下だ。いや、とにかく Windows ユーザーなら入れておいた方がいい。
竹宮恵子の『地球へ』を読んだ。恥ずかしながらというか、竹宮恵子をちゃんと読んだのは初めてで、本作も圧倒的に支持されていると認識していたが、なんとなく摂取する機会がなかった。ところで先日、たまたま Kindle 版が超安価で販売されていたのですかさず購入し、その晩に読んだ。
トォニィがよい。人類、ミュウ、そして完全なミュウとしての第三極として誕生したナスカ生まれの純粋なミュウだ。何がよいというと十分に理性的でかつ情をもった人間として育ったことが描写されていることがよくわかるところが好い。幼少のトォニィがキースを敵視し、爆発的な成長を見せた際、ジョミーは戸惑いを見せていた。精神年齢が若い一方であまりにも強大な力に振り回されるというところだが、危ういキャラのまま終わることがなかった。そのバランスが見事ではないか。
大人になり(身体的に)人格を持ったトォニィが物語の前面に出てきたとき、わちゃわちゃとやってジョミーを困らせる役だろうかと少し不安だったが、あまりそうではなかった。トォニィは後続の仲間たちのリーダーでありつつ、ジョミーの葛藤にも理解を示そうともする。いくつかの状況で思い余った行動をするが、決定的な悪手としては描かれない。思慮が足らない人物ではない。それでこその新人類である。人類やミュウを放って宇宙に飛び出したっていいのだが、彼はそうしない。
夢のなかで何度か訪れたことのあるピザの名店があり、今日の夢で久々に訪問した。坂の多い海辺の町の、大きな坂の途中の、商店街の入り口の付近にある。隣にはガウデイ調の不可思議にデザインされたマンションが建っており、外からの観光客はこのマンションを撮影したがって、よく来訪してる。とはいえ、このマンション自体は非常に地元に馴染んでおり、人びとに愛されている。
ピザハウスには大学時代の友人と訪れた。入店間際、もう一人も参加し、二階へ案内される。いつも食べる定番は決まっており、若者3人であれば3、4枚ぺろりと食べられるだろうというところ、注文する前に目が覚めた。
まだ上映中の映画なので感想をあげてしまうか迷ったが、このタイミングであげないと多分止めてしまうのでアップした。
カナダの片田舎で起こる恐怖。設定のひとつに《Don’t Breathe》(2016)に似ているところがなくもない。ホラーの定番的な設定といえば、おそらくそうだろう(そこまで詳しくないけど)。というと、多少のネタバレになってしまうかもしれないが、まぁホラーの仕掛けとは別のところなので許してください。で、この設定は微妙というか、ちょっと社会批判みたいなところものあるのかなとは思うけど、どうなんだろう。これ以上は触れないけど、人を選ぶところは大きい(ホラーでそれを言うかというツッコミはあり得る)。
最低限のあらすじとしては、空き家になった伯母邸に越してきた母と姉妹(ヴェラとベス)がある事件に巻き込まれ…、という感じだ。
上記とは別に、トリック的な仕掛けがあり、まぁ巧いのだが、さまざまに想定されるパターンから遠く外れているとも言い難く、個人的なビックリ感は少なかった。難しいよなぁ、たとえば《カメラを止めるな!》(2017)だって人によってはビックリ感ないだろうけど、あれはあれで個人的には劇場で見たときに新鮮さを感じたものだ。といった感じで、驚き成分としてのトリックの作用はそこそこだ。だが、それを含めた演出および作中の没入感はよくできており、最後まで楽しめた。
なお、ラヴクラフトが作中で扱われているが、そこまで詳しくないのでどれくらいオマージュされていたりするのかは分からない。あと、「ゴーストランド」って地名っぽいんだけど、実在はしないようだし、本作はゴーストはあんまり関係なさそうだし、これもよく分からない。
姉妹はなぜホラーするのだろうか
ホラーと姉妹というのは、《The Shining》(1980)を連想してしまうが、こちらは驚かす側の人物たちだ。双子のような気もするが、彼女らは姉妹という設定らしい(以下の記事で確認した限りではあるが)。
私の知る限り、直近だと《ゆれる人魚》The Lure(2015)は、ホラーというよりはアダルトなファンタジーといった感触があるが、人魚の姉妹が主人公となっている。これも別に人魚の姉妹がホラーに巻き込まれるというわけでもないな。
2016年の《RAW〜少女のめざめ〜》RAW でも姉妹が主人公となっている。こちらはベジタリアンの娘が無理やり肉を食べさせられた結果…、というあらすじだが、これも別に…、まぁいいや。
とにかく、ホラーと姉妹というのは相性がよさそうだというメモを残しておきたいのさ。なんなんだろうねぇ。たとえば、そもそもホラー映画の主役に女性が多いとすれば(そうなのかは知らない)、なるほど親子よりも友だちよりも兄弟・姉妹を選び、そのなかでも姉妹関係を描くのがおさまりがよい、という理屈は成り立ちそうだ。
本作の惨劇とその時間経過について
本作、時間の経過がよく分からない部分がある。終盤に少々ヒントが提示されるが、明確な判断はできなかった。
そもそもヴェラとベスの姉妹には若いタイミングと大人に近づいたタイミングとで、それぞれに2人ずつ配役されている。で、オープニングから惨劇発生までと、惨劇の途中から結末までで役者が切り替わるのだが、最終的にはどれほどの時間が経過しているのか割と微妙だ。ではあるのだが、上述のヒントについての私の解釈が正しければ、おそらくそこまで時間は経っていない。
そこでおもしろいのは、惨劇の途中からは大人の役者が演じている点で、そのまま結末するのだ。これは上述のトリック的な仕掛けも関連しているのだが、撮影上の意図や物語的な意味づけはもう少しはされているだろう。これ以上は書かないが、その辺りもそこそこおもしろい。
《よこがお》という映画をみて、なんとなく他の人の感想を漁りたくなって、いつもはFilmarksをぼんやり眺めるくらいで、今回はどうしようかなということで、Yahoo!映画 でいくつかの感想をみてみた。
Yahoo!映画だが、割と辛口なコメントが多い。Filmarksは逆に、高得点(好意的)な感想が多く、これはこれで辟易とすることもあるのだが、やっぱり、感想はヘタに辛口を吐くよりもポジティブなほうが害が少ないなぁと思ってしまった。
おもしろいのは「リアリティ」の捉え方で、いくつかの描写に「こんなのはあり得ない」というコメントが複数あった。御説、ごもっともでございます。観客が「リアリティのなさを理由に映画に入り込めない」「おもしろくない」というのも、究極的には制作側の下手となるのだろうが、その線引きをどこに設けるのか。「あえてリアリティを外した演出なのだろうが、上手く作用しているとは思えない」という指摘なら分かるが、そういう例は少ない。
たとえば、今回観た映画ではないが、 私は今年の映画《新聞記者》について、リアリティの扱いにだいたい失敗していると考えている。この作品は社会派、と言ってしまえばそれまでだが、実際に起きている事件などを題材にしており、攻めた姿勢がウリのひとつのはずだった。ではあるが、少なくとも作品内の事件の展開や幕引き、各機関やメディアの描写のあり方、いずれも微妙にファンタジーしていて硬くない。私がターゲットではないと言えば終わりだが、これで社会派作品はないだろう。
というように、《新聞記者》については社会派作品であるはずという「ジャンル」にもとづくリアリティについてネガティブにコメントしてみた。言うまでもなく、作品をジャンル前提に見る必要はまったくない。むしろジャンル前提にすることの弊害の方が気になるが、リアリティというのはその辺の線引きと関りが深いところもあるのだろう。鑑みてみると、リアリティが外れてて違和感を感じるとき、制作側が本来は意識していない側の視点で眺めているのかもしれない。いずれにせよ、生産的な消費をしたいものだ。
昨日の雑記(epub形式で購入した書籍を読むにあたって)の続きだが、GoogleのPlayブックスで読書をしてマーカーを引くと、そのまとめがGoogle Driveに転記されることがわかった。便利だ。Kindleにも類似のシステムがあるが、まとめを記載されたページにアクセスしづらく、またページ上のテキストとして表示されるので、再利用がめんどくさい。実際、ここまで使いやすさに差があると、テキスト系の書籍は全部Playブックスでいいのではないかという気になる。
先日、epub形式の書籍を購入した。まぁ大抵PDFでも読めるようになっているが、ほとんどの場合はepubのほうが軽いようだ。epubのほうが使いまわしが利くような気もするが、リフローが使える以上のepubのメリットがよく分からない。
iPhoneなどのApple製品ではiBooks(であってるかな?)でepubの書類を表示できたはずだ。ただまぁどうなのだろう。メール添付されたepubファイルが開けるのだろうか。最近はますます直接のファイルやり取りはしづらくなっているように思えるが、どうやって自前のepubファイルをiBooksに送るのか、あるいは送れるのかはよくわからない。調べる気もないので、とりあえず、iBooksについてはここまで。
Android、ファイルの直接操作はApple製品と比べると天と地ほど簡単だが、どうにもよさげなビュアーアプリがない。いくつかのアプリから最もまともそうなアプリを見繕ってダウンロードした。その後、epub書籍をGoogle Drive経由で渡したら、Playブックスが反応するではないか。
だがまぁ、まずは落としたアプリで表示してみた。やはり海外製なので文字組が崩れる。読むことはできる。Playブックスも試す。どこに書籍が入ったのかよくわからなかったが何とか見つけて開くと、これがまぁやっぱりそこそこキレイだ。読み上げソフトで音読もしてくれる。悔しいが便利である。
ただまぁ、Googleプレイ周りのアプリは個人の持ち込んだデータとGoogleプレイが販売・管理しているデータのフワッとしたごちゃ混ぜ感があまり得意ではない。しかし、どうなんだろうねぇ、epubは。
ところで、いわゆるPCの場合だが、Macは前述のとおりiBooksがある。こちらはファイルの管理も楽だろう。GoogleのChromebookの場合は、同様にPlayブックスが使えるだろうし、Chrome拡張系のepubリーダーがいくつかあったはずだ。読みやすいとは言わないが。
Windowsは私には未知の領域で、なにやらWindows 10以降の標準ブラウザー「Edge」が表示に対応しているようだが、試したことはない。Windowsストアや個別に開発されたリーダーなどは探す気にもならない。こういうところにもコンシューマーにとってのメインのコンピューターがスマートフォンに移ったという実感が生える。
《天気の子》が米国アカデミー賞の国際長編映画賞部門に出品されることが決まったらしい。外国人にこの作品の骨子がわかるのか謎だなと思うものの《The Shape of Water》(2017)がありなんだから好かろうよ。
どうでもよいが水の表現というのは、おそらくあらゆる芸術活動での最大のテーマのひとつであろうが、先日の金曜ロードショーで《崖の上のポニョ》(2008)が放送された。あの作品、まともに見たのは1回だけだが、あの怪作をテレビでやるのだから凄い(なにがとは言わない)。
今年のアニメ映画《波に乗れたら》は、湯浅政明監督が《夜明け告げるルーのうた》(2017)に続けて水を描いている。スクエア状の特徴的なヤツで、あれは水ではないのかもしれないが、まぁ海なんで水なんですな。
ふたたび海外の作品に目を向けると《モアナと伝説の海》(2016)がある。水の描写が飛びぬけていいということだったが、思い返してもあまり印象に残らない。絶賛する記事はググればたくさん出てくるが、どうにも書き捨てたような内容ばかりではないか。
忘れてならないのは、今年の《海獣の子供》で描かれた海というのは、そのエネルギーが尋常ではなく、今ここまで文章を書いていた気分的には、この文章で上げる作品のなかでは最も重要だと感じたが、ポニョはやっぱりすごいのは、あの物語には話を進めるためのガソリンがほぼないにも関わらず、エネルギーがあるからだ。文章が破綻してるが、まぁいい。
そういえば、雨が街を水没させる作品といえば《ドラえもん のび太と雲の王国》(1992)がある。あれはたしか世界中の文明に鉄槌を下すというような文脈だったと思うが、作中ではまぁ練馬区あたりが水没しているところが描写されたんだろうな(コミックスのみ既読)。私の東京水没初体験は、この作品に捧げたのだったな。
ほとんど興味ないけど《アクアマン》(2018)とかはどんなんだったんだろう。