ある本を読み終えたので感想を書いてたら〆の文章が消えてしまって、下書きを放置することにした。このようなケースでは似たような文章を焼き直すか、開き直って今ある部分までで公開するか、などの対処をしてきたが、放っておいて書き直すのが一番だ。そもそも書きたてほやほやだったし。

前回の記事で《天気の子》の感想をあげたら、同作にまつわる話題がチラホラと目につく。なんちゃら効果というやつだろうか。そのなかで、坂上秋成さんがの現代ビジネスに掲載された 8 月の記事をこき下ろしているツイートを見た。言及先の記事は目にした記憶がなく、パラパラと読んだが、まぁ興味はない。リンクも張らない。

社会反映論と言われるような批評は、東浩紀主宰のゼロアカ道場で非常に流行っていたように思う。それが作品や社会に対して、なんらかのポジティブな視点を与えるのならいいのだが、そうでない場合は話にならない。それにしても遠回りでややこしい方法なんだよな。何も言っていないに等しい場合が非常に多い。

そうでない場合は話にならないとは言ったが、これは非常に難しいところで、ネガティブな批評というのは、問題提起や一周回ったところにある希望などを見出さなければならないはずだが、それが単純に褒めるより難しいということも当たり前に分かることではないか。だというのに、有象無象の文章が多いのはなぜか。作品の欠点や難点(に見えるところ)をあげるという行為は必要であるが、それはそこで思考停止するためのものではなく、作品理解への橋頭保であるべきだ。

まぁいいか。

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