中国語の原題が「江湖儿女」、英題が「Ash Is Purest White」となっている。原題の意味がわからず、幾つかのウェブ翻訳にかけた結果「世の中の子供たち」というようなニュアンスに訳出された。どういうことなのか。追記(20220113):DeeplL に翻訳をかけたら「ヤクザの娘」と訳出されたが、これが正しそうだ。

英題は「灰こそが純白」といった感じか。いやー、各国で表現がまったく異なるタイトルとなる作品か。日本での公開は 2019 年の 9 月だったか。しばらくはどこかのミニシアターなどでも上映されているかもしれない。

本作、物語は2001年からはじまって、結末は2017年で着地する。15年以上ほどの長いスパンを扱っている。ざっくり言うと、田舎ヤクザのカップルが紆余曲折の末に別々になって、それでもなんだか寄り添って、でもやっぱり道は繋がらなかったという切ないやら何とやらの物語だ。主役はヒロインのチャオ、恋人のヤクザはビンという。

どうしたって中国社会の変遷が背後に描かれるわけだが、三峡ダムの開発で環境が激変した奉節が全体のキーポイントになる。奉節、山奥の谷側に挟まれた土地に町がポツンと存在するのは秘密基地みたいでおもしろい。

ビンを追ってチャオは奉節までやってくる。ビンは彼女を避けて何とか会わないようにと工夫するのだが、後のないチャオは力技で再会を果たす。といっても元鞘に収まらないことは 2 人とも分かっている。チャオの宿でのお互いのやり取りが最高にクールだった、と記憶している。

端的には、別れ話をビンがはっきりと切り出せずに、チャオが問いつめて凝り固まった関係を解していくのだが、最後に厄払いのような儀式をしようとビンが言い出す。盥に新聞紙、火をつけて煙をチャオが越すという日本にもあるような方法だ。ピリッとした表情を崩さないチャオを映したカメラが非常に美しかった。

変化する中国は山峡ダムに終わらず、本作では発展した内モンゴルも描かれる。主人公 2 人の出身地、山西省の大同は内モンゴル自治区の隣接地なんだなぁ。やたらと立派なターミナル駅だが、そこは閑散としており、冷たい風が吹きすさぶなかに夢が破れたビンは到着する。そこでチャオと二度目の再会を果たすのであった。

また、終盤に登場人物が使うスマートフォンにも何らかのメッセージが込められているように思うが、どの機種だったか忘れてしまった。iPhone か Xiaomi の類の中華スマートフォンだったか、どちらも使われていた気もする。

ビンは大成せずに帰京し、もっとまともな人生を選択できたであろうチャオも故郷の場末の雀荘を切り盛りするに至る。チャオからも、監視カメラからも逃れるように消えたビンに託されたのはどういうニュアンスだったか。新しい社会に違え、そこに何とか居場所を確保した古く懐かしい者達とも違えた草臥れた存在が、どこへともなく消えていく。

以下は読んだ関連記事のリンクだ。

賈樟柯(ジャ・ジャンク―)監督の作品は見たことがなかったが、《長江哀歌》《山河ノスタルジア》には興味があった。主演の趙濤(チャオ・タオ)は監督と夫婦なんだってね。ファンなら基本知識なんだろうけど知らなかった。監督の出身地が山西省なのね。

同じく朝日の記事だ。監督の主張と中国の検閲の状況などが本人の口から語られるのが貴重ではないかしら。香港映画の凋落については、検閲の問題も語られるが、アジア各国独自の映画文化の勃興も一因と考えているらしい。へぇ。

タイトルが長い。これはコアな中国映画ファンでないと気がつかないだろうが、色々な監督がカメオ出演していたとのこと。各監督の演技を思い出すと、なるほど面白い。

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