20241103追記

2024年11月いっぱいをもって Omnivoreサービス終了とのこと、他のサービスを探すたびに出ます。

    以前に Pocket を長く愛用してきたと書いたことがあったが、完全撤退を狙っている。もし、この記事を読むひとがいれば、Pocket が Firefox アカウントに統合されることになったことも既知と思うが、そういうことらしい。これはどうでもいい。

    問題は昨今の調整で、どうも私のデータの保持が上手くいっていないようで、無料アカウントで利用している身なので文句を言う筋合いも小さいのだが、スマートフォンからは閲覧できる Read later のリストが Web だと読み込みエラーでリストは空になり読めない。問題がしばらく解消されない。

    エラーメッセージから軽く解決方法を探したが、どうもうまくいかず、考えうる手段はめんどくさく無い範囲でとった。もう諦めており、スマートフォン側からアクセスなりサルベージなりするしかない。

    で、ここまではPocketへの愚痴(応援)と今回の経緯の発端だ。

    もうひとつ、最近Glaspというサービスをちょっと触っていて、Webで読んだ記事をハイライトするのが割と有意義だなと再確認したのであった。で、さらにこのハイライトをローカル、つまるところObsidianでカバーできれば便利やろと思ったのだ。

    だが、Glasp側ではObsidianとの連携を特にサポートしておらず、技術に疎い人間としてはスマートな術がない。で、自然に Omnivore が選択肢に上がった。これが移行の切り札になった。

    Omnivore、オープンソースで開発されているらしいが、アカウントさえ作成すれば雑魚でも利用できるサービスとなっている。2年前くらいから存在は知っていたと覚えているが、当時はノータッチだった。開発をスタートした方からして Read Later に取りつかれており、Pocket の利用についても言及している。これは信頼できる。

    また、Pocketでは、特に日本語サイトの読み込みで信頼できずにいたサービス内のリーディング機能も(直近では機能することもあるのかも?)、Omnivore では利用している。というのも、ハイライトがここからしか付けられないので利用するしかないが、割合、困ることは少なく、機能する限りでは便利であるとも気づく。

    なお、Obsidian単体でWeb Clipper的な挙動を実現することは素人設定でも実現できそうだが、Webサービス内で完結できるなら、そこはそこで済ませたいという意識が私のなかにはあり、現状ではそうしている(技術も拙いし)。

    また、記事からハイライトのみの同期という選択肢が地味に重要とも捉えている身としては都合がいい。無駄となりうる分量の情報は、とりあえずはいらない。

    そう、幸いなことに、Omnivore は PKM なりの昨今のサービスとの連携も重視しており、Obsidian も対応している。公式で提供されているコミュニティプラグインをインストールし、適当に設定すればブックマークをファイルとして同期(実行されているのはダウンロードだろうけど)できる。

    同期はブックマークすべて、ハイライトした記事のみなどと設定できるようだが、上述の理由で、私はハイライトした記事のみとしている。同期のタイミングだが、気づいたときに、たまにOmnivoreのプラグインのボタンをクリックすると、サクッと完了するという程度だ。

    タグの設定などをいじるともっと実用性が増しそうだが、Obsidianのタグ運用も微妙に揺らいでいるので、おいおい手を付けたい。

    まぁ、というわけで、感謝しきれないくらいありがとう Pocket。そしてOmnivoreを使いはじめたよという話でした。

    話が逸れるが、もともとEvernoteのClipper機能にもハイライトは存在したと覚えているが、あのときはハイライトに興味がなかった。サービスとの関係は難しい。そして人生は空しい。

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    6月はティアーズ オブ キングダム についてしか書かないと述べたし、実際にはそうなった。本当のところは、もっといろいろと書きたく、そのつもりだったが、そもそも6月の後半はゲームどころではなくて、どの話をするということもできなかった。

    とはいえ、6月半ばにはクリアするつもりでいた。

    6月の前半時点でメインストーリーとなる4つの神殿のうち残り1つ、風のボス戦を残す段階にはいた。ゴールは近いが、もう少し探索したい、うろちょろしたい、というなかでタイミングを計っていたら、後半はゲームどころではなかった。

    結果、2023年7月12日にクリアした。プレイ開始が5月20日なのでひと月半くらいだ。

    もともと飽き性なのと、つまらないなと感じたり、まとまった時間がとれなくなったりすると平気で投げ出す体質なので、ゲームをちゃんとクリアすることが少ないが、前作に引き続いて今回もなんとかクリアにはこぎ着けた。

    6月に書いた雑文以外にも書きたいことはいろいろとある(あった)が、少なくとも今回は、クライマックス付近からエンディングまでの思い出にネタを絞る。

    ハイラル城のゼルダを意図せずして無視する

    神殿も押さえ、ハイラル城に乗り込もうと思ったが、その方法である。おそらく鳥望台が正攻法だが、プレイ時点でその発想に至らず、近くにある板とアイテムを組み合わせるなどで登るのがベストかと勘違いした。そしてその方法を避けた。

    深穴の中央からせり出す岩からトーレルーフできるもんだと思い込んで、地底に迷い込んだというのがオチで、あれよあれよと進んでいくと、なんか最終戦が始まった。始まってしまったものはしょうがない。下準備も対策も無いので利用可能なハートが10を切っており、なんやかんやと粘るものの、軍団のラッシュの終盤でこと切れる。

    踏まなくていいネタバレ的な要素をひとつ踏んだ結果として、城のゼルダを無視するとこっちでの軍団戦の苦労がちょっとだけ増える、という学びを得て地上に戻る。

    ハイラル城を巡る

    開き直って地底のゴーレムから手に入れた2艘式気球でハイラル城に乗り込む。まだ鳥望台には気づいていない。バカと煙はなんとやら、城の頂上やらなんやらでコログに会う。城内だけで結構おるやろな。歩き回ってやたらとコログに会う。前作の懐かしいトロッコに乗る。そこらじゅうを見学、探索する。モンスターらを倒す。

    ようやく散歩が終わったのでゼルダに会いに行くと、なんやかんやで戦闘が始まる。ここまでの経緯で何が起こるかは察せられたが、散歩し終えた城内をまた練り歩くことになったのは痛かった。別に構わないのだけれど。

    しかし、思い返すと、前作のハイラル城内がどんなだったかあまり覚えていない。特に王の間はあんなんだったけか。図書館や食堂、牢などの違和感は小さかったが、どうでしょうね。変更もほぼ無いとは思うんだが。祠はあるだろうと踏んでいたが、設置された位置がまた微妙でな。まぁ上にも下にも行きやすい場所ではあった。

    ふたたび、地底に戻る

    無事にゼルダのイベントを終える。パーティーにミネルは既にいる。

    地底の最奥、最終決戦やなというエリアにふたたび移動するのが面倒だったので、上述のタイミングで、飛び込み台の手前にワープマーカーを拵えてあった。ので、最終戦には直接向かった。ゼルダとの面会@ハイラル城も済んだので、最初の軍団戦よりは楽になるという見通しも立っており、割と気楽だった。

    軍団戦はさほど苦労せずに終わった。

    ミイラ姿のガノンとも戦うのかと思っていたが、そんなこともなく。あの状態のデザインも好きだったが、気合で復活しよったな。しかしである。万年前の賢者6人が敵わなかったガノンに、それが病み上がりとはいえ、最終的には1人で立ち向かうリンク君、君はいったい何者なんだい。ポテンシャルがヤバいだろ。

    退魔の剣がヤバいのかな?

    ガノンがラッシュで攻撃を仕掛けてくるかはしらんが、ジャスト避けはする。このジャスト避けも多分だけど、決戦の段階で精度がよくなっていったのではないか。最後の方は下手くそなりにこちらの攻撃が全然決まらず、焦っていた。焦っていたので、最後の一撃は弓に頼ったよね。切なかった。

    相手のゲージが振り切れる演出も(実際にゲージ増加分だけ正確にHPが増えていたのか否かは気になるが)、リンクのハートが割れるだけでなく文字通り消滅していく演出も、なかなか心臓に悪い。まぁでもなんだ、ファントムガノンとの初遭遇時の心臓への悪さほどでないというのは、体験としてはどうなんだろうな。

    最後の空戦に舞う

    さんざんいろいろなレビューで擦られていると思うが、本作が「飛び込む」とそれに起因する空中アクションに前作以上に注力しているのはたしかで、これは最初から最後まで一貫していた。で、前作のイノシシだかようわからん獣との最終戦とは違い、今作ではストーリーの整合ともすっきり、龍と戦うことになる。ほいでそのためにも龍に乗る。

    ブレワイのアタリマエを見直す

    いいですか、前作では龍には乗れませんでした。今作では乗れます。ぶっちゃけ、直近で私が気になっている最大のポイントはこれで、他の方の感想で言及を見かけたことがないので主張だけしておく。

    おそらくというか当然、制作スタッフも考えたんだろう。「これ龍に乗れんままでええのか?」と。前作で主人公が足を踏み入れられない、絶対に登れないエリアとしては、マップ外、祠内の設備、そして龍があった。ほかにもあるだろうけど。

    で、今作、この龍への物理的な接触が解禁されたのである。アホかな? 実際のところはストーリー上の要請が先に来たと思うのだが、とにかく龍に乗れるのだ。龍に乗れば、そのまま採取できる素材もある。なんならずぅっと乗ってられるし…。地底とも行き来するし。そりゃ決戦でだって使わないわけにはいかない。

    視点を少し変えて、ボス系の敵から考えてみる。

    まず、イワロックは乗れる。ヒノックス系も乗れる(前作より気づかれやすい気がする)。デグガーマも乗れる。風と火のボスは接触できる(水と雷はどうだろう)。とまぁ、接触できるボス系の敵は少なくない。であるならば、龍だって乗れたってエエやろ、載れるはずだろうとなったんだろう。ほかのオブジェクト(中ボスやら)より大きいわけだし、なにより日本には「たつのこたろう」の伝統がある。

    空は思ったほど自由じゃないが、龍との空戦を制す

    本当の最終決戦の舞台は、大空だ。駆け回って暴れる龍との決戦なので、地上はおろか、空島も上昇気流もクソもないわけだ。よほどの巧者でないかぎりは体力ゲージが持つわけがなく、戦況次第で、しだいにそれが切れる瞬間を待つことになる。

    これを救ってくれるのが龍の相棒で、暴龍と戦うために飛ぶ、戦う、避ける、飛ぶ、相棒と協力する。何度も落ちているとさすがに慣れるが、冒頭から予感はあるものの、ちゃんと相棒が拾ってくれるのか? どういう仕組みで迎えに来てくれるのか? いろいろな不安や疑問が頭をよぎる。

    この戦闘はどちらかというとエキシビション・マッチというか負ける要素は最小限で、エンディングに向けた準備的な要素が大きいわけだが、それでもラストバトルとして用意された土壌があり、それだけ私も必死になって戦うわけだ。救うべき対象が目の前にいる。相棒と支えあってラスボスと対峙している。

    いやいや、すごいよね。クライマックスで通常時と異なる体験をさせてくるゲーム、いくつか記憶はあるけれど、こうもストーリー上の都合とうまく絡ませた作品は滅多にないのではないか。繰り返しになるが、「飛び込む」という要素ももちろんこの戦闘でよく使う。

    重力には勝てないけど、水面があれば大丈夫だ

    なんやかんやでゼルダが落下していく。そんな彼女を救う。

    このとき「飛び込み」をさらに「加速」させる必要がある。ゲーム中に空から急いで降りたいとき、いくらでも利用してきた動作なのだが、なるほどここもプレイヤブルにしてくるか。そういう挙動ができるんだもんな。やらせるわな。

    そういえば、本作をそこそこプレイしていると、ダイビングのさなかで流星がそばを落ちていくことがある。このときもうまく加速しないと、なかなか空中で星をキャッチすることは難しい。クライマックスの段になって、なんだ予行演習させられていたのかという気分にもなる。憎たらしいな、任天堂は。

    これも、なかなか難しい体験で、加速してゼルダをつかんでしまったら、おそらくゲームが終わるのである。このまま放置してもいいかもしれないなんて思いつつも、彼女に近づく。でも、そのあとも、一筋縄ではいかない。

    ゼルダを引き寄せるためには、さらにワンアクションが必要で、一見するといわゆる QTE のようだが、プレイヤーの状況的には別に急がされない。おそらくこの瞬間には時間制限はないので。これも無限に再生してやろうかと思った。プレイヤーが掴むことを決断するまで無限の一瞬が続く。実際には秒で決断しろよという話ではある。

    落下地点にある池が、そこそこ小さいのがよい。ゲームの仕組みに従えば、それなりに大きな水面であれば、リンクはあえてゼルダを守る必要もない。そんなことはしないだろうけれど。小さい目標しかないからこそ、リンクは姫を抱えて落ちる。

    おしまいはあっさりしている

    空前(空中)の体験もそこそこにエンディングはサラッとしたものである。前作もそうだった。任天堂のゲームをクリアまでプレイした経験も然程ないけど、エンディングは割とあっさりしているイメージがある。余白が大きい。

    この舞台と設定での続編はいくらでも作れそうだけど、もうこれ以上は姫さまに苦労させたくないという気持ちのほうが強い。詳しくないけど、過去のシリーズでも3部作はやってないだろうし。

    というわけで、2023年、わたしのリンクの冒険はひと区切りしたのであった。

    ブレワイのアタリマエはどうなった

    前作は山登り中がもっとも楽しかった。本作、それを引き継いでいるので、もちろん山登りも楽しい。ゾナウギアなり、トーレルーフなりを駆使すれば、ショートカットできるという工夫も施された。山肌の触感がちょっと違うけどね。

    最終決戦に顕著だが、前作の魔獣戦は上昇気流とパラセールからの集中弓矢が基本戦術だった。今作ではパラセールも使うものの、ダイブが無ければ話にならない。深穴落下時が特徴的だが、パラセールとただの落下だけだとリンクを制御できない。正統進化とはこういうことを言うのだなと。

    地上の音楽は前作のほうが好きだが、今作は地底の音楽がよい。深穴に落ちるときの音楽は慣れた現段階になっても心臓に悪い。なにより今作、地底の探索が地味に面白いというか、なんなら1番面白い。なんでだろう。

    ウルトラハンドはハッキリ言って別のゲームが混ぜられた状態だと思っている。

    否定的な意見ではない。この自由さの基盤となっているのが ブレス・オブ・ザ・ワイルド から引き継がれたシステムなので、余計なことは言うもんじゃないが、ウルトラハンドとゾナウギアは単品でゲームになるやつだ。勿体ないとすら思う。

    というわけで、これ以上褒めようがないのだが、最高の誉め言葉としても、いくつかの点を考えたうえでも、ちょっと手に余るゲームだったとは言えそうだ。

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    あってないようなブログだが、6月は後半で新型コロナに罹患したため、更新も何もなかった。寒くなく、暑すぎもしない季節であったことは唯一の救いといってよいと思う。これが冬だったらもっと体力を削られていただろう。

    小さな咳はまだ続くものの、喉と咳はたいした症状もなく収まった。問題は発熱のほうで、小さい頃ならいざ知らず、39度前後の熱が5日ほど続いたのは参った。2日目までは体力があるので余裕もあり結果的には嘗めていた。3日目以降、終盤の高熱との戦いは修羅場であった。

    なにより5日間ほど、まともに睡眠できず、寝付けるかと思ったところでツラくて起きる、奇妙な想念に襲われてアイスピック頭痛が走るといった事態になった。後者だが、おそらく普段ならそこで睡眠状態に入って夢の中で処理されるような脳の働きに対して、緊張して覚醒からの離脱を拒む脳の部分が抵抗した、というイメージだ。

    本当に参った。

    まったくバカバカしくて泣きたいくらいしょうもない妄想が止まらず、寝ているワケでもないので悪夢でもない。ただただ魘されるだけであった。裏を返すと、ある意味で宗教的体験であったような気もしていて、己の生を見つめる時間でもあった。重い病気って往々にしてそういうことあるけれど。

    体力のあるうちは、本当はどうなのかとも思うものの、いろいろと時間を潰して1日が終わっていくが、これが終盤になると全然時計の針が進まない。もう何をやる気力もない。とにかく早く治ってほしい。神頼みもする。疲れ果てる。

    という具合だった。

    まぁとにかく酷い風邪なのだが、問題は感染力の強さということで、たしかにこれがやたらと広がるようだと困る。沖縄、九州だと再度の感染拡大が問題視されているレベルだが。私の場合、ちょっと油断したら途端に感染したので、警戒心もバカにならないというか、なんとやらだ。

    謎の風邪とやらやインフルエンザも流行っているようだし、気が抜けない。ひとにアドバイスできることがあるとすれば、高熱対策は冷えピタの類はぜんぜんアテにならず(個人の感想です)、できれば氷枕の類がいいと思う。自分は水タオルをずっと首に巻いたり、頭に乗せたりしていた。オーソドックスなやつだね。

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    宣言通り、6月は「ティアーズ オブ キングダム」の話を続けます。ご存じの通り、本作には空島というフィールドが存在する。名前の通り、ハイラルの大地の空中に点在する島です。そういうエリアがある。

    「空島」といってパッと思い浮かぶのは、昨今のフィクションにそれなりに馴染んでいれば『ONE PIECE』のそれであること、に異論はそこまでないと思う。昨今のサブカルチャー的なそれで言えばだ。

    あるいは、皆さんの大好きなスタジオジブリの『天空の城ラピュタ』か。あいやいやいや、ビジュアルはまさしくそんな感じで、雲の中に城っぽいのが見えたり見えなかったりする絵面は竜の巣を思わせる。そういう空島もある。

    個人的には、ゲームであるが『クロノトリガー』の古代文明もなんだか知らんが浮かんでいたことが思い出される。

    あれも空島。これも空島。

    で、雑にちょっとググると、『ジャックと豆の木』が引っかかる。たしかに! 空島というか雲の島というイメージだが、その源泉には違いないな。Wikipedia の説明だと、この物語は9世紀くらいのイングランドが舞台らしい。へぇ。アングロサクソン系の民話が出典らしいが、いつからあったのかね。

    そして、雲の上の楽園といえば、極東アジアの文化圏だと天竺とかはそうか。どうなんだろうね、キリスト教系の天国のイメージって、あんまり空島な感じはしないけど、個人的には天竺には幾分、空の上の王国のようなイメージはある。「ドラえもん 雲の王国」の影響もある。

    ついで、これも忘れちゃなんねぇが、「島」というテーマでは『ガリヴァー旅行記』がある。調べればわかることだが、ラピュタの元ネタのひとつでもあるらしい。どうも私は抄訳版しか読んだことがないが、第三篇にはまさしく空島が存在するらしい。

    まぁしかし、現代のフィクションを調べると、数えきれないくらい例はでてきそうだけど、実は空島っていうイマジネーションは相当に稀有なんじゃないのという気がしてきた。この記事も、ティアーズ オブ キングダム もほとんど関係ないしな。

    悪しからず。

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    引き続き、「ティアーズ オブ キングダム」の話をする。

    3Dのオープンワールド、マップの起伏を生かした探索と発見の妙は「ブレワイ」から任天堂側も発表していることであり、プレイヤーは身に染みていることでもある。

    ついては、自分の数少ない体験からの感覚になるが、この発見の妙は、特にドラクエ3やドラクエ6、メタルマックスシリーズなんかの 2D マップを放浪していて出会う街や設備、拠点などを発見したときの感覚に似ている。

    つまるところ2Dマップを冒険しているときのワクワク感だ。

    ブレワイが2Dマップでのデモから開発されたという話は有名だし、であればそこから結論を導き出すことも簡単そうだが、2Dゲームで移動中のマップを見渡すとき、それが 3D のオープンワールドであれば視界そのものとなるわけだが、そこに何か気になるものがある必要がある。そのほうがいい。2Dマップではひとマス進むたびに明確に変化するチップをプレイヤーは凝視している。同じことがオープンワールドでも起こせるはずだ。どのオープンワールドゲームもそのことを意識はしているはずだ。

    あるいは 2D マップにて、新しいエリアに到達したとき、それがたとえば壁を隔てたエリア間であれば、プレイヤーには3方向の選択肢があろう。ドラクエ3でいうところの「ノルドの洞窟」を例にしたい。この洞窟を抜けた場合、背となる西側には南北を阻む山脈があり、洞窟を出た瞬間のイメージ的な正面は真東となる。加えて、北か南か3方向を選ぶことになる。オーソドックスには南東方向に進んで、バハラタを発見するに至るというような。

    これが3Dのオープンワールドの、高台の上だった場合、背後が壁だったとしても見渡す方向はざっと9方向になる。10倍だぞ10倍。2D時代は制作側も3方向に目指すべきオブジェクトを配置するか否かを判断すればよかったワケで、また同時にプレイヤーも「上に行って駄目なら右回って下へ行けばいいや」で済んでいた。これが10倍だぞ10倍。

    で、ようやく今回の記事のタイトルの話題になるが、思いのほか洞窟が多い。ていうか、めちゃくちゃ多い。飽きちゃういひとも出てくるんじゃないのかというくらい多い。攻略も面倒くさいことが多い。歩いている最中に、キラキラのウサギみたいなのに出会いたくないなぁというタイミングがある。祠センサーが下方向に反応してほしくないなぁ、というネガティブな願望がある。そういうときに出逢ってしまう。

    ブレワイと異なり、それぞれの洞窟にも名前があり、マップにもすべてちゃんと載るようだ。洞窟を踏破する意味、メリット、報酬がそれなりに用意されており、プレイヤーは潜らざるを得ない。というほどでもないが、そこは人間のサガでもある。

    微妙だなぁ、と思うのは、壊さなければならない岩壁にこれみよがしに石とほころびた武器が落ちている点で、しょうがないにしても、あからさまな進行用の要素である。ブレワイのときは、こういう仕掛けは最小限だったね。あからさまに爆弾花が咲いているケースもある。

    この洞窟の多さ、先ほどの10倍の話でもないが、本作のゲーム内のマップでもいいが、2Dマップに落とし込むと、濃淡の差はあれどたくさんの洞窟が目に入ってくるわけだ。2Dマップでプレイしうるゲームに比したら、その多さは尚更だ。出入り口が複数あるパターンがあるのも、3Dにおける世界のリアリティを前提としては当然だろうので、なおさら奥が深い。逆に、2Dマップのゲームで出入り口がバカみたいに多い洞窟なんて、それこそ洞窟内の構造も含め、込み入った構造にするメリットはプレイヤー体験的に低そうで、ゲーム性とは妙なものだとあらためて感じさせられる。

    …話がとっ散らかっている。ハイラルには洞窟がたくさんある、ただのそ事実だけがある。

    ここで、無理やりに締めくくると、3Dマップ、オープンワールド、アクションゲームにおける行動、探索の対象となるオブジェクトのあるべく数、マップ上での分布、その攻略に見合うリターンというのは、本作こそが最適解とも思わないが、かなり奥が深い話なんだなぁという漠然としたイメージが浮かんだ。

    私はブレワイは登山ゲーだと思っている面があるが、今作は洞窟ゲーとしてもいいような気がしている。そして今日も新しい洞窟を見つけます。

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    2023年6月は継続して「ティアーズオブキングダム」の話です。また、特別に検証したわけではなくて、プレイしながら何となく「そうなんじゃないかな」って思ったことを記録して、公開しています。

    ということで、今回の話題はゼルダの眉の太さです。「ブレワイ」の当時から、彼女の眉の太さについては賛否両論、喧々囂々と、さまざまな意見で世の中が盛り上がっていたわけですが、いやまぁたしかに、「細いとは言えない」という見解は否定しづらい。

    個人的な感覚としては、私は好きではある。

    引き続き、前作について。そりゃね、100年封印されてたんだから、おしゃれとかいう場合じゃないんですよ、そもそも巫女の能力になかなか目覚めない落ちこぼれ考古学趣味お姫様という立場でもあった。そういうキャラクター付けがされていた。

    翻って、本作です。プロモーションの時点で、まず髪型の変更がすぐに目に入った。なんかスタイリッシュというか、あか抜けた。野暮さがなくなった。そりゃね、元王国のリーダーとして矢面に立って、再興に向けて忙しくも充実した生活を過ごしているわけですからね、身の回りにも気を使いますよ。問題の眉の太さだが、たしかに調整されているように思う。

    で、これはデザインの調整というのではなくて、上述のように、彼女のそういう状況がそれを許したというだけのことのように思える。

    なぜか?

    本作でも、やはりというかゼルダ姫は難局に立ち向かうことになるのだが、その状況を映したムービーシーンはどうだろうか。身の回りについては最低限の配慮すら覚束ない状況における眉の描写は、どうにも前作同様以上レベルで逞しいように見える。

    もう説明の必要もないが、たとえばムービー中でリンクの装備が汚れたり、破損したりするのと同じレベルで、ゼルダ姫の眉は整えられたり、そうではなかったりするのではないか、このような描写が彼女のおかれた状況、大変さというのを表現しているのではないか、という推測が成り立つ。

    あとやっぱり彼女の意志や決意の強さの表現には、割と重要なファクターなのではないかという、機能的な面もあるだろうね、とか。身も蓋もないね。

    ということで、実際は、自分の目で確かめてほしい。

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    今月はゼルダの新作がらみの投稿しかしないことにした。へたくそなりに、「ティアーズ オブ ザ キングダム」をプレイしている。

    ブレワイのときかしらぬが、ディレクターの青沼さんがリンクは喋らないと決めた、と明言した、というような見出しをみた。真偽は知らない。しかし、プレイを続けて NPC とそれなりに交流していても、主人公はほとんどジェスチャーだけでシーンを乗り越えており、コイツ、やるな! っとなる。まぁ喋らない。

    いや、ドラクエも主人公が喋らないことで有名で、現行で最新作のドラクエ11でも主人公は喋らない。これはプレイヤーの分身だから云々という説明が有名(?)で、まぁそうなのかという話になる。リンクもそうなのかもしれない。

    翻って、すべてのゲームを知るわけでもないが、フロムソフトウェアのゲームの主人公も喋らないのではないかという気がする。ほとんど全然プレイしたことが無いのでわからないが。

    ドラクエは置いておくとして、アクションゲームの主人公は喋らなくていいという話はできそう。いや、喋るゲームがたくさんあるのは知ってるよ。

    今作をプレイして徹底して感じるのは、ムービーシーンにはリンクはほとんど関与することがなくてーいま確認できているだけでは冒頭だけでしょ、そういうところが徹底しているなと。

    個人的にはゲーム中にはじまる紙芝居が苦手で、極力これを避けたい。台詞回しが洗練されているとか、掛け合い自体がおもしろいというパターンもあるけど、それはかなり限られる。

    アクションゲームの主人公がアクションをするためには理由となるストーリーが必要だけど、そのときお話にはどれだけ重きが置かれて、そこにどうやって主人公がかかわっていくのか。そういう話にもできるかな。

    そういえばマリオも通常は喋らないが、今回のアニメ映画では割とよく喋るよな。もし、ゼルダの映画をやるとなったら、リンクは喋るのだろうか。マリオよりもキャラクター像が固定しているようにも思えず、なかなか難しい問題のような気がする。

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    前回前々回に引き続き、「ティアーズオブキングダム」の話をする。

    Switch、ブレワイ発売の前日だったかな。電ファミニコゲーマーで以下の記事が公開されて注目を集めていた。

    私も面白く読んで、以降何度か読み返したのだが、記事中にマインクラフトの話題が登場する箇所がある。青沼さんは息子さんに「何でもできるってほんとか?」みたいな聞いて、返答は……、と話の枕として笑い話のようなオチを付けているが、そのあとで以下のようにも説明していた。

     『マイクラ』のいいところは、やっぱり入り口の垣根が低いことですよね。「あ、こんな単純なことでいいんだ」と、やってるうちに、ちょっとずつ複雑なことができるようになる。そうして、どんどん新しいものが欲しくなって、ますますハマっていくわけですよ。(リンク先記事中4ページ目)

    https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/zelda

    今作のスクラビルドの説明が出たとき、そしてなんかいろいろ作れると発表されたとき、インタビューのこの会話がすぐに直結した。マインクラフトを牽制しつつ、まったく同じではないものの何だかんだとブレワイを圧倒的に超えるクラフト要素を加えてきたなと。

    なんならブレワイフォロワー作品としても注目された「Craftopia / クラフトピア」がやりたかったことは(現状がどうなっているかわからないのだけれど)、今作に相当に近かったのではないか。

    いずれにせよ、予告でクラフト要素が発表されたときは、ゲームのストーリー要素やハイラルの世界観にこの面白くも未知数な要素がフィットするか否か、だいぶ勝手に不安を抱いていた。

    実際、マイナス面もあると思う。単純に、何のゲームをやってるのかよくわからなくなる瞬間がある。「知育ゲー」と一部でも呼ばれているが、手元でこねくり回せるパズル要素の前でウンウンと唸っている自分はなんなのか。

    だからまぁ、「期待する謎解きはこんなんじゃない」とかいう類のかたちで不満が表出することもあろう。だがしかし、モノ作りは楽しい。

    早速、さまざまなプレイヤーが奇想天外なギミックやオブジェクト、兵器などを制作し、公開しては注目を集めている。やっぱり何のゲームなのかよくわからなくなりがちだが、少なくともこれらがハイラルで機能していること、プレイヤーたちを楽しませていることは確かだ。

    個人的には、この能力を登場人物である大工(建設屋? 建築家?)さんたちとの掛け合いにも生かしているところが好みで、こういうユーモアは本当にステキだ。

    ところで、マインクラフトはさておき、レゴ社がデジタルゲームで実現すべきブロック遊びの未来って、今回のゼルダが示したような路線ではなかったのかと勝手に思うんだけど、どうなんでしょうね。

    まぁ、レゴ社に限った話でもないし、緻密クラフト要素が充実したゲームってのは PCゲームにはたくさんあるけれど。その塩梅の話だね。

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    前回の記事に続いて「ティアーズ オブ キングダム」の話を続ける。

    ゼルダでおなじみらしい爆弾は、「ブレワイ」では樽爆弾、爆弾矢、そしてシーカーアイテムの丸形、四角型の2つの爆弾と彩られていた。メインはシーカーアイテムだが、モンスターらと戦うようなシチュエーションには樽爆弾がさりげなく置かれており、プレイヤーがそれなりにゲームを進めると爆弾矢が手に入るようなレベル感でデザインされていた。

    シーカー爆弾は威力が低く、どちらかというとスイッチや誘爆、謎解きや岩石砕きが主目的になるように収束していき、樽爆弾は常時利用できるアイテムではなく、そして爆弾矢は単純に強い。これだけ撃ってりゃなんとかなる。入手が少々手間というだけだ。そしてこれがミソだった。

    で、今作だが、いちおうはゾナウアイテムにタイマー爆弾が用意されており、―ということはこれを活用することで摩訶不思議なプレイが可能になるということと思うがそれはそれとして―、樽爆弾は依然としてあるものの、アイテムとして爆弾然とした爆弾は無くなった(ゾナウを除いてだ)。

    で、ここに登場したのが「爆弾花」だ。もともと「スクラビルド」なるシステムがウリの今作は、アイテムのかけ算が前提になり、下手しなくても管理しきれないくらいの素材アイテム、そこから生まれるアイテムがある。

    このシステム側からの要請の結果ともいえるのだろうが、こうして爆弾花は誕生したのだろう。なんかしらんけど、素の状態でも刺激を与えるとえらく爆発する花なんだよ。間違って殴ったらその場で爆散します。ふざけんなよ、こんな花があっていいのか。楽しいにきまってるじゃんね。

    アイテムとして投げれば高威力の爆弾として機能するし、矢につければブレワイでいうところの爆弾矢として機能する。おそらく他にも活用の道はある。

    そもそも 3D でのオープンワールドという制約(ほいほい爆弾が落ちててたまるかという話と、何らかの方法で頻繁に入手させるには煩雑)、つまり、それなりに使う爆弾というアイテムとしての利便性、今作での各機能のバランスを考えたとき、爆弾も採取素材(植物)にしちゃえば解決じゃん、という解決策には恐れ入る。

    そもそも「ブレワイ」の制作テーマの「アタリマエの見直し」にて、便利なアイテムをステップで登場させるのでなく、序盤でワーッと出しちまえ、というのがあったという話は有名だが、今作もその精神性は仮に部分的にとしても継承されたと言え、その象徴が爆弾花であることと、私はそう思った、大仰だが。

    で、爆弾花というモチーフや、こういった問題の解決方法、おそらく似たような作品はあるのだろうけれど、前者、まず爆弾花といって思いつくのはメタルマックスシリーズに登場するバイオ(生物)系の敵くらいなもので。そういえば、このゲームのしゃぶりつくせない味わいは、メタルマックスシリーズを思い出させるものがある。

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    私はゲームはそこそこに好きだが、発売日に購入するようなタイトルなどは過去に片手で数える程度であって、どちらかというと他人のプレイを眺めているだけで満足であり、そこまで上手くもない。

    で、まぁ2017年の3月に発売された『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(ブレワイ)は、その数少ないタイトルであって、3度目に公開されたプロモーションで Switch ごと購入を決意したことを今でも覚えている。

    ちなみにゼルダシリーズも、リンクの冒険をちょっと触ったことがある、友達がプレイしている神トラを眺めていた、時オカだのトワプリだのの RTA は意味不明で面白いな、などと楽しんでいた程度だ。殊更、そこに魅力を感じてはいなかった。

    おそらく 2017 年の 1 月頃に、まずはニンテンドー公式で Switch本体との予約が開始され、みんな苦戦していた。私はビックカメラの何回目かの予約戦に参戦し、実家の回線からアクセスとリダイレクトを繰り返していた記憶がある。で、予約が完了した。

    長くなるので端折るけど、ブレワイの体験は無二のものだった。

    はい。続編が発売されました。『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』です。いやー、こうきたか。続編と言えど、大きなテーマと、それに呼応した細部の手触りは実は変わっており、しかしまごうことなく続編であって、感服した。

    前作のマップを踏襲して遊べるという贅沢さはどうだ

    ネガティブな反応をしているひとも見かけたけれど、そもそもブレワイのフィールドだって遊びつくしていない。ブレワイ以前の物語も、エンディング後の物語も、気になる点が多い。生かし切られていない新アイデアもあるのでは。とかとか重ねると、続編もこの舞台を使わない手はない。

    しかし、既存のマップだけでは満足せず、空はまだしも地底まで足してきて、それでプレイヤーが満足すると思ったか? お腹いっぱいだよ。

    で、既存のハイラルの大地もそのままというわけではなく、空からの遺失物、地底側からの変動によって、作中で言うところの天変地異の影響で各地の様子が様変わりしている。いや、そら言われてしまえば、そのままなのだが、この設定によって既存のマップの小変がスムーズに受け入れられる。天才かな。

    私は思うのだが、前作のマップが基本形を維持してメインで利用された例は、過去に、ドラクエ3 のアレフガルド(ドラクエ1)くらいしかないのではないか。部分的に再現されているということはあっても、そのままメイン舞台に採用されるということは稀でしょう。

    もちろんそれは同じステージ(とあえて表現を変えるけど)をわざわざ新作でプレイしたいと思うプレイヤーは少ないという事実があるのだろう。今回は割と早い段階から同じステージを使うことは決まったと開発側からコメントが出ていたような気もするが(未確認)、それだけ自信があったんだなぁともなる。

    裏返せば、これって偉く贅沢な体験とも言えるわけでしょう。ゲームに限らず、小説や映画だってそんなことはなかなかない。浅い知識で思いつくのは、シャーロック・ホームズシリーズが当世のロンドンを舞台とし、その街の各所で事件を解決した、というような設計くらいか。

    フィクションは基本、同じ舞台を選ばない。これ鉄則なのでは。

    という感じで、とりあえず現状 50 時間も遊んでいない中で特に感動したのは、まずはその部分だった。

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