お札を入れる財布と小銭入れを別々に使っている。
先週の金曜日、行きつけのお店で夕飯を食べて会計を済ませようと思ったら小銭入れがカバンにない。その前に寄り道していたが財布は出していない。つまり最後に職場を出たときに小銭入れを忘れているハズだということになった。
カレンダー通りに3連休を過ごすので、3日間は職場にいかない。土曜日を過ごした時点で小銭が溜まる溜まる。あふれるあふれる。日曜日に職場の近所まで行くことになったので急ぎ足で寄り道してみた結果、デスクの周りに小銭入れはない。あー、もう見つからんかも。見当がつかない。どこで落とした。足早に去る。
日曜の後半から月曜まで、さらに小銭が溜まる溜まる。あふれるあふれる。どうしようか。彼はどこへいった。火曜、出勤して隣のデスク(空き机)の端のほうに小銭入れが居た。
時代劇はほとんど鑑賞しないが、なんとなく劇場で《居眠り磐音》を観た。そのときの感想を今になってまとめた。
松坂桃李が出演している作品は、《ユリゴコロ》(2017)と《不能犯》(2018)くらいしかまともに鑑賞したことはなかった。一応のヒロイン役、木村文乃は《羊の木》(2018)くらいしか見たことがなかった。だが、よくよく辿ってみるとこの2名はTVドラマ《サイレーン 刑事×彼女×完全悪女》(2015)で主役を共演していた。家族が鑑賞する傍らで私もたまに目にしていた。また、同作でのヒール役、菜々緒を加えてみんな同年齢なんだね、という感じである。
本作のストーリーの前提を大まかに残す。
主人公の磐音は、同藩の若手仲間である琴平、慎之輔とともに九州は豊後に帰京した。江戸への出向と修行を終え、藩を盛り上げていくはずだった3人。だが、悪玉にハメられた同志たちは次々に非業の最期を迎え、磐音は江戸で浪人となって生きることとなったのであった…。
4つの殺陣
大きくは4つあったと記憶している。時代劇映画で演じられる殺陣の数の大小などはわからないが、満足感は高かった。どれも意味づけがしっかりしているうえに、ワチャワチャせずに緊張感がある。個別に感想を記そう。
琴平と慎之輔
殺陣と言っていいのか。正気を失った慎之輔を琴平が切り捨てる一瞬のやり取りです。このシーンは、琴平が一家の長子として冷静に事態を収めるスマートさが光っていて、さらに次の殺陣との対比が美しくなる仕組みがある。
琴平と磐音
今度は琴平が半ば正気ではない。が、最後に磐音と「尋常」(ガチンコ)での試合に臨む。柄本佑の演技がねぇ、怒りながらも冷静さを保っていた姿から一転しての狂気ですよ。もう磐音をやっつけかねない勢いで切り結ぶ。よいです。
磐音と毘沙門の統五郎ら
本作唯一の室内戦にして複数戦かな。取り得もよくわからない浪人として扱われていた磐音が本領を発揮する清々しさよ。バサバサやっつけるので残忍さも孕んでいる。狭い部屋のなかというドキドキもある。うん、本作では1番好きかもしれない。
磐音と黒岩十三郎
悪役浪人のひとり、二刀流。この殺陣がいっちゃんアクションしていたのではないだろうか。なにせ二刀流だし、敵に豪傑感があるので細っこい磐音では勝てないのではないかという不安が大きい。ていうか、かなりピンチだったんじゃないかしら。どさくさで決着つかなかったんだっけか。しかし、黒岩の二刀流、ガサツでかっこよかった。
その他のよしなしごと
磐音の暮らす長屋だが、立地がおもしろい。水路沿いにあるのだが、手前の路地の構造がおもしろい。どこかで交錯していてブリッジのような立体になっている。このような状態の路地があったのか、どこかにモデルがあるのか知りたい。夜の部屋、川に面している側の障子に水面が映っていたように思える。ちょっとオシャレすぎる気もしたが、きれいだった。
統五郎、黒岩と結託していた浪人のひとりに、天童赤児という浪人がいた。彼も強者ぽかったが、ストーリーの都合のうえ派手な剣術は披露せずに舞台を去るのでちょっと肩透かしというか、残念であった。
悪役のひとり、柄本明。バタ臭すぎないかという感想もあったが、これくらいベタベタのほうがいいっちゃんね。もうひとり、奥田瑛二。ピエール瀧の代役だったとのことだが、こちらのほうがハマっていたのではないだろうか。ほのめかしの具合がよかった。
なお。磐音の元許嫁で、可哀そうな顛末を迎える。序盤の印象付けと中盤での想起、終盤での登場など、本作のなかで、決して悪くはないが、どれもイマイチピンと来ないシーンが多かった。これは原作のボリュームを映像で補わなければいけないうえでのギリギリの結節点だったのではないか。
木村文乃が演じるおこんとその父、中村梅雀が演じる金兵衛の親子漫才も作品の味付けとして忘れがたい印象を残す。
センター試験のようなテストを受験している夢を見た。だが、試験の運営は異様におおざっぱでカンニングも私語も自由なようだった。そうではあるものの、私はひとつの解答もできずにいた。設問を見つけることができなかったのだ。周りのひとたちは一通り解答を終えたようで、のんびりとしている。見たところ私の仲間はいない。
このテストで良点を獲得しないとヤバいという感覚があるなか、無情にも試験時間の終了が告げられ、白紙の解答が回収される。そこで目が覚めた。
専用のスマートフォンアプリで配信されたシン・エヴァンゲリオンの特報を見た。2019年7月6日に各地で上映されたスクリーンを映したライブ映像だ。最初に上海版をみて、新宿版をチラリと見た。撮影した環境の次第もあるだろうが、上海版のほうが観客の反応に抑揚があって素直におもしろかった。臨場感である。その他の地域の版は見ていないので場所によってはもっと盛り上がりをみせていたかもしれない。
10分くらいの映像だったと記憶している。話に内容があるかないかも分からない状態の内容だったが映像のハッタリが上手い。ここでいうハッタリというのは、なんだかんだで魅せられたという話だ。最初は10分は長いな、飽きるかな? と不安半分に眺めていたが、終盤に差し掛かるともう終わってしまうのかと残念な気持ちになる。そして、これがエヴァンゲリオンらしいところなのだが、その見ているものがおもしろかったか? と振り返ると、よく分からないといんだよね。「Q」の物語終盤でも劇場の座席で似た感覚に陥っていた。なんだか凄いものを見ているが「いったいこれは何だ?」となるのだ。思えばシリーズ全体もそんな感じだったねぇと感慨に浸っている。
これだけネガティブさを前面にした作品も珍しいワケで、それこそが熱狂的な愛憎を生み出した理由のひとつだが、完結編と言われる本作はどのようなゴールを見せてくれるのか。 見るか分からないけど、楽しみではある。まぁ、ほぼ確実に観るんだけど。
あと、シリーズを通してこれまで見てきて、本シリーズにあまりガンダムっぽさを感じたことはなかったのだが、特報で描写されていた浮遊戦艦の連携によるシールドみたいな防御には近年のガンダム味を見た。少し寂しい。
「特報」って言葉、今日日あまり目にしないなと思いググってみたけど、やはりあまり使われていない言葉だなという印象が強まった。
6月の半ばくらいか、ウェブ版のPocketのUIが刷新された。どこかにドキュメントが転がっているのかもしれないが、探していないので詳細は知らぬ。少なくとも日本語圏で話題にしているひとを発見もしていない。Pocketというサービスの立ち位置はまことに絶妙で、そもそも「あとで読む」サービスとしては登場当初は、Instapaperのほうが人気があった。いや、いまでもInstapaperのほうが人気なのかもしれないが、Pocketは読者数の指標やブログパーツなどとしてもある程度まで定番化しているようだし、そこそこの日本語対応もなされている。断言したい、Pocketのほうが定番化しているハズだ。
そもそも、この記事を書くにあたってザクッと調べてたら思い出した。PocketはもともとFirefoxのアドイン「Read It Later」だったんだ。なつかしい。2007年ということらしいのでChrome登場前夜であり、言うなればFirefox最盛期ではないか。そういえば、Firefoxの何バージョン前から連携があらためて強化されたが、これも2017年にFirefoxの一部門として買収された結果なんだろう(Wikipedia調べ、あしからず)。
で、ウェブ版のUIの変更だが、おそらくスマートフォンでウェブ版を見たときの挙動を安定させようとしたことが伺われるデザインだ。分かりやすい変更点のひとつとして、トップ画面における記事へのリアクションに必要な動作がひとつ増えた。マウスオーバーすればいいだけなのだが、少し違和感がある。一方で、個別の記事表示はこなれた印象があり、こちらは好感触だ。だが、記事ページを直接開き直すとバックボタンを押下してもトップ画面に戻らないことがある(ような気がする)。
このあいだ、Pocketを指して「ソーシャル・ブックマーク」サービスとしている文言をどこかで見かけた。そういった機能も確かに実装されているのだが、英語対応のみなので使い勝手の実感がわからず(日本語記事がサジェストされたこともあったような気もする)、いくらか腑に落ちない。
ついでのメモだが、堀正岳さんが最近のEvernoteへの檄文だったか、最近のウェブでのリーディングリストのフローについてのメモか何かでPocketに頼りきりみたいなことを書いていたが、どの文章だったか忘れた。探しても見つからない。半年以内くらいに目にしたと思う。
先日、「検索できないのは弱さか」という雑記を書いた。デジタルで日記を入力するのに何を使えばいいのかという話題だった。Notionを諦めてScrapboxにしようか試すというところで話を終えた。
いろいろな事ができる多機能なツールというのは、基本的に玄人向けであろう。素人は、まず、ツール内にたくさん用意された機能から適切なものを選択する必要に迫られる。これは怠い。
で、日記だが、Scrapboxは合わなかった。1日の行動ログ、記録庫とするならいいのかもしれないが、 ダラダラとした雑文は合わない。思考を文章化したり、それを深化させたりするのには合うので、そういう意味で、やっぱりScrapboxはよくできているなとは、思った。機能のごまかしがきかないという点で。
6月の末からしばらく日記を残していない。そろそろ気持ちが悪くなってきたのでどうにかしたい。
同じ人物の書いた文章ばかり読んでいると、気が滅入ってくることがある。偉大な小説家の大きな作品や冗長な作品など、もう要点を羅列しとけやと思うこともある。
それでも読まなければいけないケースもあり、ついては対処法が求められるわけだが、特定の文章を忘れるしかない。記憶を無くすか、上書きするか、どちらを選ぶか。おそらく後者の方が最終的なパフォーマンスに繋がるだろう。だって記憶なんて消えないもんだからね。
週末においしいぬか漬けを食べた。きゅうりだ。おいしかった(大事なことなので2回言う)。ぬか漬けというのは江戸時代に普及した発酵食品の製造法らしい。
おいしいきゅうりのぬか漬けを食べたんだ。
Spotifyでクラシックを聴くとか、Amazon Prime Videoでハリウッドの古典映画を観るとか、そういうことが思い立ったときにできることは素晴らしいことだ。
というかそういう機会があった。図書館に行くとかレンタルショップに行くとか、そういうことをする必要がない。
Twitterを眺めていたら、新海誠をあげて「東京タワーやスカイツリーが登場しない作品が~」という話があった。探せばすぐに見つかると思う。元となったツイートの説得力は微妙だが、なるほどとは思った。
東京タワー
ゴジラやモスラ、ガメラ(ギャオス?)などが破壊した対象という印象が強いが、そもそも特撮はあまり知らないのでなんとも言えない。戦隊ヒーローものではあまり登場している印象もない。
小説で思い浮かんだのは、『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(2005)だ。これはリリー・フランキーの半ば自伝ということらしいが、私はオダギリ・ジョー主演の映画(2007)で知った気がする。本作はその他、ドラマ化2回、舞台化1回もあるらしい。もう10年以上前か。ひぇ。
マンガ『魔法騎士レイアース』(1993-1995)の最初のキーポイントになったのも東京タワーだったか。この作品はアニメをボーっと眺めていた記憶しかないが、その点だけは思い出せる。というか、全3巻とは今日の感覚からすると短いな。この作品では物語の起点だったが、決戦の舞台に東京タワーが選ばれた作品って結構あるんじゃないかな。いくつか思い出せるような気がするが、まぁいい。
もっと古い作品などにもたくさん登場するだろうし、一覧のようなものがほしくなってきた。
スカイツリー
逆に、こちらは一覧を作りやすいのではないか。
アニメ『さらざんまい』(2019)は浅草が舞台なので、登場せざるをえなかった。そこに特に深い意味は読み取りづらいが、モニュメントとして登場していた。テーマのキーワードやモチーフも相まって、円形のパターンがよく採用されていたので、そういったうえでも扱いやすかっただろうか。
映画『万引き家族』(2018)では、川沿い(隅田川だろう)を歩く子供の向こう側にスカイツリーが聳えていた。「あぁ、これは現代の物語なんだな」というのが1番よく分かるシーンで印象に残っている。
パッと思いつくのは、上記の2作品くらいだ。当然、もっとあるだろう。
モニュメント的な建造物
新海誠が新宿ばかりを映すのは新宿が好きだからだろうし、なんなら新宿駅を中心としたエリアはもうそれだけでモニュメントと言ってしまっても修辞的には成立しそう。
『シン・ゴジラ』でゴジラが破壊した目玉は大手町を中心としたビル街とラストの東京駅か。ビル街をモニュメントとしてしまってよいかは悩ましいが、東京駅はまぎれもなくモニュメントだろう。
こういった視線からフィクションなりを読み解く作業、集中してやっていくと割とおもしろそうなまとめ方はできそうだな。