体育館のような広さの小洒落た会場で、小学校から大学まで同窓生だった友人が社内結婚をすることを発表した。しばらく会っていなかったが、これはとてもめでたいことだったので浮かれた私は、会場中で踊り狂っていたが、妙な事実に気がつく。この友人はすでに結婚しているはずだったのだ。奥さんと子供がいるのである。何がめでたいのかサッパリわからない。だが、結婚自体はめでたい。モヤモヤする。

というところで目が覚めた。

Read More →

フィクションとしての文字列を楽しむことがほとんどなくなったまま生活している。おそらく最後に楽しんだのは『天冥の標X 青葉よ、豊かなれ PART1』で、残り2冊で完結というところで踏みとどまっている。完結を楽しむ気がない人間である。というのは、置いておいても、フィクションの文字を読む気が起きない。読めば楽しめることはわかっている。

これは優先順位の問題なのか、なんかのか。

Read More →

全3部作の最終作で、前2部が本編TVシリーズの再編版となり、本作はその後の物語となっている、ということでいいと思う。

前2部は見ておらず、本作だけ観た。本編TVシリーズのラストで亡くなったはずの主人公が実は生きていた。という経緯はアニメ雑誌に掲載されたビジュアルで何年も前からみんな知っていた。というわけで、こういった形の続編はタイミングの問題だけだったと思われるが、平成最後の年に制作・公開されるということになった。

全体的な構成としては、本編TVシリーズ冒頭での主人公ルルーシュとパートナーCCの契約にどう決着をつけるかというところに焦点があった。今回は登場人物にフォーカスして感想を残したい。

女の子らしいなぁ、CC

というわけで、CCがかなり可憐に描かれている。本編TVシリーズでは「魔女」と呼ばれるようなミステリアスな存在であったが、本作ではかなりパッションがあり、能動的かつ健気で、女の子のようになっている(女の子だが)。

と、上記の主旨のとおりなので理解はできる、が、前2部を見ていないこともあるからか、少々途惑う。

そんなCCだが、EDでとうとう最大の笑顔をみせて微笑む。あー、これがこの話の終着点なんだなぁという実感が湧く。笑顔のキッカケもクサいながらも気が利いていて、シリーズファンなら楽しめたのではないでしょうか。よいですね。

ついでにここで言っておくと、本作のキャラクターデザインだが、髪の毛のデザインの変化が大きくみえた。CC について言えば、本編TVシリーズ時よりも前髪の分け目が多い。これが気になって仕方がなかった。ほかにもたとえば、ロイド博士の髪の色、コーネリアスの髪のボリューム感にも違和感が大きかった。キャラクターがやや縦に細長くなっている。もともとのキャラクターデザイン、CLAMPの画風に寄せた感じとも言えるのかもしれない(よくわかってない。

ナナリー、薄幸の妹よ

私は大体の場合、か弱い妹キャラを好まないのだが、ナナリーには同情を禁じ得ない。本編TVシリーズ最終話での彼女の絶叫には涙したものだった。ナナリーはとにかく悲劇の主人公を体現しすぎている。

結局のところ本作でも「ナナリーを救う」がストーリー上のメインテーマとなっている。罰ゲームですか? そのうえ、超合衆国のマスコットを努めなければいけないというのは、なんという罰ゲームなのか。なぜ生きていることがわかった兄と、少しでも多くいっしょに居させてあげられなかったのか。

後段でのシャムナについての感想でも書いたが、本作は家族の距離感がかなり重視されていて、ストーリーの目的としてもナナリーは犠牲になるしかない。同情しないわけにはいかんやろ。

諜報部員となった、カレン

諜報エージェントみたいなことやってて笑ったが、後半で黒の騎士団が登場するので、組織自体は解体されていないらしい。本編TVシリーズのEDで学生に戻っていたから、暴力的な世界からは完全に足を洗ったかと思ったが、そうもいかなかったということかね。

ルルーシュ復活をして泣きくずれたシーンが唯一の掘り下げだったと思われるが、まぁこんなもんだよね。戦闘シーンも輻射波動機構をバシッと決めてくれたので、とくに文句もございません。

立場的には、CCを後押しする役割ではあったか。今シリーズの前2部を見ていないので細かい整合はわからないが、ルルーシュが死を選んだことの真意に最初に気がついたのも彼女だった(黒の騎士団内で)ことを考えれば、サポーター役のような立場になってしまったのはやや残念ではある。

枢木スザク、ルルーシュと戯れる

ルルーシュを想う以外にストレス解消になることがないんじゃないかと心配したくなる男、枢木スザク。中盤までは牢獄におったので活躍しなかったし、中盤以降もこれといって目立った場面はなかったかと。

愁眉は、やっぱりルルーシュとの再会シーンで、2人がじゃれあってくれると見ている方も安心するよね。これがコードギアスですよ、ってなもんでさぁ。現時点でのルルーシュはいくら殴ってもすぐに回復すると思われるので、その点はスザクに分が悪いのかもしれない。という下らないジョークは置いておいて、やっぱりスザクがゼロを纏うのは違和感があるので、本作はオマケ要素が強いなと思ったりした。

いや、我々は本作におけるスザクの扱いについて、もっと積極的に問題提起していくべきなのではないだろうか。

よりよい明日を、シャムナ

本作のラスボスですね。しかし、本編TVシリーズ最後のシュナイゼル戦もそうだけど、ちゃんと指揮官の頭脳くらべ(ギアスというズルっこ込み込み)で〆てくるのは、よくできている。

シャムナの能力と目的も、シャルルに対したルルーシュの解答のバリエーションとしてそれなりに納得しやすい。そういう意味では、弟シャリオ君を含めて、敗北が決まったときには邪なイメージで描写されていたことが気になる。どうして彼らの願いは世界からすら邪なものとして否定されたのか。

そもそも、彼女の姉弟は、ルルーシュ兄妹へのカウンターとして提出されたと考えると、兄(姉)は妹(弟)を邪悪な世界に関わらせなかった(関わらせた)とか、そもそも守る対象のスケールが違い(家族/国家)など、いろいろと比べやすくなっている。

しかし、戸田恵子さん、すごいですね。妖艶である。

制服を着用しないルルーシュ

もはや学生じゃないルルーシュは制服を着ない。本編TVシリーズが学園ドタバタものとしての側面を持っていた一方、本作はその後の物語なので、もう制服は着ない。とはいっても、やっぱりルルーシュの服装で1番しっくりくるのって、アッシュフォード学園の学生服姿だよね。となったとき「なるほど、もはや物語は学生が主役ではないのだ」と、一抹の寂しさをも感じさせられる。

自我を失った状態から、Cの世界で、どうやって復活したのかの詳細は、描かれなかったな。ヒーローは死んだと思ったとこからヌゥッと立ち上がるということで十分なんだろうか。

エンディング後、あのあとルルーシュとCCが、かなーり長生きするんだろうと想うと、このシリーズへの愛おしさが募る。

その他のよしなしごと

ひとつ。決着戦の戦闘シーンは、場面のカットを使い過ぎたなと思う。Cの世界でのやりとりと現実での戦闘が行き来しまくってて集中しづらかった。ひとつひとつの戦闘をしっかり見たかったなぁ。

ふたつ。これも前2部を見ていないのでわからないが、扇さんの立ち位置ね。TVシリーズ最後のほうのパフォーマンスで大ブーイングを食らっていた記憶があるが、再編版はどうだったんだろう。安直に死んで償おうとする、そういう単純なところがお前はダメなんだよ……。

みっつ。観ていて何となく「00ガンダム」を感じるところがあり、地球での問題をあらかた語りつくしたとなったので、今度は……、という妄想をしてしまった。というのも、Cの世界の残存物が破壊されたとき、流星みたいなのが降り注いだのは何だったのか? と深読みしたくなるよね。

よっつ。入場者プレゼントで A6 サイズ(でいいのかな)のクリアファイルをいただいた。このサイズ、割と使い勝手がいいよね。

Read More →

2019年の3月、インターネットが30周年を迎えた。これは非常にめでたいことだが、同時にいろいろな問題もあるということらしく、いくつかの記事を読み漁っていたような気がする。個人のウェブサイトやブログでこれを扱った記事はあまりなかったようにも思う。現実(リアル)とネットは違うという垣根づくりも今は昔のことに思えるくらいインターネットは当たり前になった。いろんなプラットフォームがあって、無益有益にかかわらず、さまざまな人たちが活動している。

どう向き合ったものだろうか。

Read More →

《ファースト・マン》を観た。デミアン・チャゼル監督とライアン・ゴズリングのタッグということで《ラ・ラ・ランド》に続く作品か。

宇宙開発モノの作品というのは、SFを含めて途切れずに制作されるものだなぁ。NASAを取り扱った作品としては《ドリーム》(Hidden Figures)が話題になってたね。

不安のクローズ・アップ

デミアン・チャゼル、こんなにクローズ・アップが多かったのか。

《ラ・ラ・ランド》ではそこまで印象にない。今作では辟易とするくらい多い。役者に対してカメラが非常に近いか、クローズ・アップか、ほぼどっちかという感じで圧迫感がすごい。ニールの個人的な物語、葛藤、ストレスということだろうか、視聴している側にもかなりストレスになる。顔にせよ、全身にせよ、きれいに画面に収まることのほうが少なく、不安がちらつく。

逆に、風景の画面を含め、ロング・ショットなどはほとんどない。

オハイオ州時代の自宅、ヒューストンの NASA 本部、深夜での同僚との別れ、ロケット発射台、飛翔シーン、航行シーン、月面。主にはこれくらいしかなくて、どれも1カットとかばかりなので、逆に印象に残ってしまっている。風景なんかは、幕間のイメージなんだろう。飛翔シーンなんかは、ちょっと場違い感すらある情景であっけにとられた。美しかったけれどもね。

キャストはあまり覚えていない

キャスト、印象に残っているのは、2人だけかな。あとは、一緒に月面に着陸したオルドリンと、亡くなった同僚であるガスくらいか。

阿修羅・ニール

ニール・アームストロング。 俳優はライアン・ゴズリング。作中で3回くらい年代が飛ぶのでメイクが変わる。同一人物だと一瞬、ちょっと分からない感じだった。真ん中のときが普段のライアン・ゴズリング感があり、最後は渋めになる。

娘を失った喪失感をどうにか清算したい、一方で宇宙開発の過程で亡くなっていった同僚パイロットたちに報いたい、本作のニールのモチベーションはこの両輪で走っており、これは言うまでもなく死がモチーフになっている。自然と命にあふれるオハイオ州で亡くなった娘、地球から離れた月という不毛の地に降り立つニール。この両極端な情景が映画の冒頭と結末を飾っている。分かりやすい。

ライアン・ゴズリングって何がいいんだろうな。なにか安心させられるところがあるんだけど、どこから来ているのだろうね。

安定を求めた結果がこれだよ

ニールの奥さん、ジャネット・アームストロング。 俳優は クレア・フォイ。美しい。そばかすだらけの二の腕が美しすぎて、前半はそれだけで楽しい。同じことを他の映画でも思ったなと思ったら《ミレニアム 蜘蛛の巣を払う女》でも彼女の二の腕が美しかったのだ。まさか同一人物とは思うまい。私は彼女の二の腕のファンだ。

娘の死はニールの個人的な苦悩として描かれており、家族とは共有されていない、という演出となっている。これは、家族との隔たりを明確にする意図によるものだろうし、それだけクレア・フォイの演技は難しくなると思われる。彼女はあくまで現在進行形の生活を象徴するので明るい側面を担う。だからこそ、ニールが死に最接近するラストで、ニールとジャネットはやっとのことで交流し、そしてエンディングでは、生と死を渡ったニールの帰る場所になるのだが(ベタだねぇ)。

関連作品

鑑賞中に思い出した作品など。

《メッセージ》

娘の死というモチーフが類似していて宇宙関連モノということで鑑賞中に何度も頭をよぎった。子を失う親の物語というのは、いくらでもあるものだが、それだけ人生の一大事なんだろうね。いや、ていうか、ここのところその手の作品ばかりな気がしてきた。

《ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書》

アポロ11号の月面着陸が1969年、《ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書》(2017)で描かれた事件が1971年なので、同時代のアメリカ合衆国での象徴的な事件だという点はおもしろい。なお、どちらもスピルバーグが携わっている作品である。

Read More →

Google+ が2019年4月に終了するということで、このサービスを大きく活用していたユーザー達に動揺が走った。私は特に使っていない。民族ならぬユーザーの大移動が起こるわけだが、まつわる話題で知ったのが「MeWe」であって、今回の雑記はこれに関して思い起こされたソーシャルネットワーキングサービス(SNS)についてのことだ 。

https://mewe.com/

本サービスの主旨は「広告なし」「私的情報の保護」みたいなところにあるらしい。使うことはないだろうが、どのようなものだろうとアカウントを作成した。知り合いもいないし、特に入りたいグループがあるわけでもないので、放置している。

2005年くらいから本格的に流行っているソーシャルネットワーキングサービス(SNS)だが、記憶にあるのは MySpace が最初だろうか。「東南アジアでは Friendster のほうが人気がある」などという話も当時は合ったような気がするが、すべては Facebook の前に消えていった。

Facebook は政治的な問題やアクティブユーザーの減少など、いい話がなく悪い印象となるが、広告による売上高は2018年も過去を更新したという。数年前までは、検索エンジン対策に並んで Facebook ページを活用したうんにゃら、みたいな話題が盛り上がっていたが、いまはもう下火な気がする。

というか、Facebook は単純に使いづらい。たとえて言うなら日本の電化製品のようで、”ナンデモゴザレ” なのだろうが、だからなんだという話である。

冒頭の Mewe は、グループの機能が Google+ に似ているらしく、そこからユーザーの移動が起きているらしいのだが、現時点では非常にシンプルな感触がある。広告を用いないということは、ほかに収益モデルがあるのか、そもそも目的が収益化ではないのか、よく知らぬ。が、ユーザーが楽しむコンテンツが SNS の外にある限りにおいては、プラットフォームはベタに「コミュニケーションを加速する」だけで済むとして、つまりシンプルでいいのだろう。

シンプルといえば Twitter のことを考えないわけにはいかないが、あれは SNS ではないらしい。Instagram も実にシンプルだが、Facebook 傘下というだけで怖気が走る。

Tik Tok という短編動画投稿サービスも SNS なんだろう。言うまでもなく時代は動画という流れで、動画の先には何があるのか。VR Chat もそこまで拡がったとも思えず、仮に定着したとしてもこれは SNS だろうか? Second Life か。

mixi にも触れておく。たしかに mixi は新鮮だった。趣味のグループは万華鏡のように輝いており、2ch では呼名がつかないユーザー達が個性をもって情報を交換し合っている状況には興奮したものだった。

以下の記事によると、2008年はまだ mixi の独壇場だったらしい。10年とちょっと前のことだ。

https://jp.techcrunch.com/2008/08/04/20080803taking-social-networks-abroad-why-myspace-and-facebook-are-failing-in-japan/

なお MeWe であるが、現時点では日本語がこなれておらず、何も知らないで目にすると、怪しいサービスにしかみえない。

MeWeのサインイン画面の画像です。

Read More →

Close Search Window