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読書灯がほしい

寝る前に部屋の灯りを全開にしたまま読書したいわけでもない。したがって読書灯を設備しようと思うのだが、適当な商品が見つからない。

よって読書しない。そんなことが許されるだろうか。

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友人に勧められて鑑賞した。2017年の中国映画《芳華-Youth-》だ。

よい映画だった、と言い放ってしまっていいのか、よい映画だった。中国映画は《天安門、恋人たち》以来かな。失われた青春を想う映画が多い。

舞台は1970-80年代の中国は共産党が人民解放軍の一組織である「文芸工作団」(以下、文工団)に所属する若者たちの青春劇だ。文工団というのは、演劇やら演奏やらで本隊を鼓舞するにぎわし隊のことのようで、つまるところ安全なところで仕事をするひとたちだ。

これに後半、中越戦争が絡む。

感想を述べるうえで押さえておきたいのが3名。劉峰、何小萍、小穂子で、劉峰は部隊の「縁の下の力持ち」、何小萍は「上京してきた哀れな子」、小穂子はストーリーテラーだ。その他、えらい政治家の子息などで文工団は構成されている。

戦争の現実、青春の現実

先ほど青春劇と述べた。そのような作品であるし、そのようにしか形容しようがないのだが、そもそも青春劇とはなんだ。以前、別の場所で考えごとをしていたときに思ったのだが、あるべき青春劇というのは登場人物、主人公が、過去を振り返って「ああいう時代があったなぁ」と前向きに回想できるような時期の物語でなければならず、そこに鑑賞者自身の青春の記憶や憧憬が紛れ込んでしまうのは悪手ではないか。

という考え方を使うと、《芳華》も青春劇とは言いがたく、映像の美しさが皮相的になる。

さて、劉峰と何小萍は、いずれも部隊の中心となれる努力をし、ポテンシャルも持ちあわせており、チャンスもあったが、人間関係のもつれから文工団を退団し、配置転換されていく。どこへ行くのか。前線しかないわけです。

もう、説明する必要もないんですよね。バキバキに美しい映像だからって、誰がごまかされるかって話で、こんなにエグいことが表現され、私たちはこれを享受していていいんでしょうか。

劉峰と何小萍は、それぞれ別々に戦地にて活躍しますが、どちらも大きく傷ついて帰ってきます。仲間の死をたくさん見送ってきました。一方の文工団の面々といえば、ストーリーテラーの小穂子もふくめて、戦後、文工団解散後もちゃっかり社会的にグッドポジションを維持しながら彼らなりに生き抜いていく。一概に悪いことではない。

だが、残酷すぎるでしょ。救いはあるのか、ないのか。

芳華-Youth-とは

タイトルとしては「かぐわしい花」という意味だろうからして「Youth」にかけているのかなと思ったが、どうやら芳華とは「花の香の様な歳月」という意味らしい。

青春について、しつこいようだが、私の解釈では、劉峰と何小萍にとって文工団での思い出は青春たり得ず、小穂子などのメンバーにとっては青春であった、となるのだが、どうだろうか。

あるいは、ストーリーテラーである小穂子がエンディングでこぼす言葉が決定的で、劉峰と何小萍にとっての「芳華」とは現在進行形であって、それを青春としてもいいのではないか、としたい。

戦友の墓前にたつ劉峰にむかって、小穂子が歩み寄っていくシーンがあるのだが、この場面で、彼女はいくつかある墓標を縫うようにして進んでいく。決してまっすぐは向かわなかった。このシーンにこそ、劉峰と何小萍との関係が凝縮されているようで、一番記憶に残っている。

エンディングの映像も楽しい。 劇中の振り返りなのか、ディレクターズカットシーンのようなものなのか、想像しえた青春の像なのか、定かではないが、いくつものシーンのカットが流れてくる。

中国の作品であるというから

原作は上海出身のアメリカ人作家、厳歌苓さんだそう。ざっとみるかぎり《芳華》は書き下ろしの脚本なんだと思うが、よくわからない。彼女は30歳くらいで渡米しており、何度か移動をくり返していたようだが、今はアメリカ国籍を持ったアメリカ人ということでよさそう。

11歳で「赤色バレエの文芸兵」になったらしい。これが何かはわからないが、文工団と似たような職務だろう。20歳のときに中越戦争にて戦地記者を務めたことがあるそうで、この経験はストーリーテラーの小穂子の設定に生かされている。という経緯をみると、あるいは割と、実体験に近い作品なのかもしれない(Wikipedia 厳歌苓 より)。

監督の馮小剛は、やはり文工団に所属したらしく、監督の経験もかなり含まれることがわかる。というか、馮小剛のキャリアは文工団からスタートしていると見ることもできそうなので、そう捉えると《芳華》に監督の自伝的な側面を見出すこともできるかもしれない。

毛沢東が生きた時代、中越戦争、その後の世代、中国という国家、それぞれを原作の厳歌苓、監督の馮小剛がどう思っているのかは知り得ないが、劉峰と何小萍に近づいて考えれば、当時を辛くも生き抜いた小さな人たちがいたということなんだろうね。なんだろうね、この〆は。

現代ビジネスの以下の記事はそれなりに参考になった。

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アプリ:Massigra

Windowsにはフリーソフトという文化があった(まだある)が、かつてほどの勢いはないと思う。Vectorや窓の杜などは運営されているが、使う機会もかつてほどではない。フリーソフトを紹介する個人サイトもたくさんあったが、更新されなくなったり、閉鎖されたりといった流れをたくさん見てきた。

フリーゲームの文化もかつてほどではないような気もするが、こちらはインディーゲームにトレンドが移ったような気もするし(日本の国内でさえ)、悪いことではないと感じる。

個人開発の有料アプリで伝統的なソフトといえば「秀丸」だろうか。2、3年前くらいにかなり詳細なインタビューが出ていた。テキストエディタについても、その用途等からしてさまざまなアレコレがある。

最初から話題が逸れていた。

画像閲覧ソフトというものがある。場合によっては管理もする。いや、どちらかといえば管理する目的のほうが大きく、言うまでもなく2つの機能は一体のことが多い。ネットサーフィンをしていると、気に入った画像を保存したいという衝動に誰でも一度は駆られるものではないか。保存した画像をどう仕舞っておく、という話だ。

画像を閲覧、管理するにおいてエクスプローラーでは怠い、めんどくさいというときに登場するが画像閲覧ソフトだ(管理もする)。

さらに、管理は別にいい、手っ取り早くファイルを確認したい、という状況に至ることがある。「Massigra」だが、これはほぼ閲覧目的のソフトだ。何より起動がはやい。MacのQuick Lookには及ばないが、これでいいのである。

Windowsであれば、かつてはPicture Manager(これはMicrosft Officeの一部)、Live Photo Galleryなどがあった。悪くなかったが、管理ソフトだ。Windows 10になってからはフォトアプリになった。やりたいことは分かるし支持もしたいが、ソフトは重く、Windows 8以降の設計思想に則っており、お世辞にも使いやすいとはいえない。

というわけで、依然としてMassigraを愛用している。気になる点といえば、今後不具合などが発生した場合に 制作者は更新する気があるのかどうか、くらいだ。ソフトの最終更新は、2013年だものね。

http://www.massigra.net/

最悪の場合は類似のソフトIrfanViewに乗り換えるかくらいかな。

なお、本記事では「ソフト」で通しているが、タイトルはアプリとした。なんというか説明しづらいが、そういう語感で統一したい。

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今朝から以下のニュースが話題になっている。他のメディアも報じているのかもしれないが、フォローされているのは概ね朝日新聞デジタルの記事で、はてブなどもこの記事に集まっている。

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14035348.html

ところで、朝日新聞デジタルでは、場合によって同じトピックを別々の切り口で扱い、2つの記事がほぼ同時に配信されることがある。事実報道よりの内容になっている記事と、対象へのインタビューを厚めにした記事と、などのパターンだ。

そういった話の上で、今回の「のり」の件は以下の記事もある。

https://www.asahi.com/articles/ASM5X6HTMM5XULBJ01H.html

だが今回に関しては、どちらの内容も同一なのだ。2つ目は朝日新聞「アピタル」(医療メディア部門のような)配下の記事となっている。おそらくは配信の仕組みによって、どちらも別々の記事となってしまっているだけなのだが、おもしろいのは、今回はどちらのはてブも同じくらい伸びていることだ。

まぁ、どうでもいいっちゃどうでもいいのだが、どちらかというと1つ目の記事のタイトルのほうが医療メディア向けにもよいような気もする。記事タイトルをつける権限が別々の部署に分かれている結果なのだろうが、ここはモヤモヤする。

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お気に入りの(お世話になっている)文房具店にひさびさに行った。ペンを2本購入し、そのまま商品を受け取ってもよかったのだが、声をかけるタイミングを逸し、紙袋に入れてもらった。

その紙袋だが、圧倒的に紙質がよい。もったいないくらいだが、ほかに使いようもない。この紙質には文具店による強いプライドを感じる。厚く、ほどよいしなやかさで、手触りのよい紙だ。

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マンガを紹介しようと思う。記事執筆時、連載中の作品です。

『ワンダンス』という作品で、珈琲という作家さんが描いている。このペンネーム、いろいろな観点から、あんまりよくなさそうだなと思うが、とりあえず置いておこう。本記事を書くために少し調べたら、カトウハルアキという作家さんも以前に珈琲を名乗っていたらしいので、混同しないように気をつけましょう。

『ワンダンス』以前

さて、同作家のデビューは2014年「good!アフタヌーン」だそうで(マガジンポケットの紹介による)、初連載はおそらく『のぼる小寺さん』(これが同紙掲載かは知らぬ)だ。私は単行本でのみ読みました。

この作品の内容は高校のクライミング部に所属する小寺さんが、健気にクライミングに取りくむ。彼女と仲間たち、ちょっとした恋がフューチャーされる。ふつうにおもしろかった作品だ。全4巻である。実写映画化されるとのことだが、不安が先立つ。

続けて著者は、第2作『しったかブリリア』を「アフタヌーン」で連載開始した。全2巻だ。これはかなりクセの強い作品で「バイオレンスギャグ」などと紹介されているが、大学生によるだまし合いのラブコメを前面にした心理戦が描かれた。

口八丁手八丁でターゲットを魅了しようという滑稽さがあり、題材はわたし個人的にキライではないものの、イタイ分だけ読みづらい作品であった。そういう感じで、早めに完結された。最後はハッピーエンドだったかなぁ。気が向いたら読み直したい。

『ワンダンス』とは

それで現在、同誌で連載中の作品が『ワンダンス』だ。先日、第1巻が発売された。描写する舞台は高校の部活にもどった。文字どおり、ダンス部の話だ。中学時代にバスケ部だった少年が、高校でダンス部デビューする。純粋にダンスに魅せられており、マズマズよい。

彼をダンスに引きこんだ女子、小寺さんの類型だが、彼女もよい。とてもよい。説明するまでもないが、珈琲先生の描く女の子はかわいいので、すべて正解なのだ。ダンス部の女子、3学年で20名くらいいるのだが描き分けが絶妙で、これも楽しみのひとつだ。

本作、言葉で意志や感情を伝えることが苦手なわたし達、というようなテーマがあり、ありきたりとはいえ、扱いがていねいで美しい。前作での試みについて少しアプローチを変えたとも捉えられるが、コミュニケーションが苦手でもダンスでなら……、なんていう。ダンスという題材はずるい。

というわけで、作品の完結がどういう方向に収束されていくのかは分からないが、今後が楽しみな作品なのでした。

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デジタルでメモを殴り書きするときは、Google Keepを使っている。なんだかんだよくできているアプリで、タグなどを駆使すればもっと便利なんだろうけど、とりあえず書き捨てる最初の箱としているので、雑に使っている。

さて、このサービスだが、スマホアプリでメモを記入する状態にしてブランクのまま放っておき、そのままパソコンなどからブラウザ経由でみると編集中のメモが[空のメモ]として維持されてみえる。

「空のメモ」ってなんやねん。

紙の媒体、メモ帳や手帳でも、なんらかの都合があって空白や空行を用意することがある。日を置く。用意したブランクが何のためのモノだったか忘れていることがある。

空白を持て余すという話でした。

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怒るための回路

「怒り」という感情はエネルギーになる、というか「怒り」そのものがエネルギーだ。そういうことにしよう。

ちょっとしたトラブルで心が沈んでいたのだが、どうしようもないことで悩んでも仕方ないというか、怒りをぶつけられた結果としての悩みであり、怒りを発した主体についてアレコレと悩んでいた。

かの怒りの原因についてだが、判然としないというか、そういうわけでもないのだが、人間関係におよぶものなので事前のことを拾いはじめるとキリがない。くすぶりというのは、どこにでもある。

ところで、私は怒るひとが苦手で、自分の怒りを発するのも苦手なので、こういう事態についてはおそらくではあるが、必要以上に憔悴することになっている。

結論としては考えるのを放棄するくらいが当座の解決策なのだが、それにもなかなか労力が必要であり、そのためのステップのひとつとして雑記に残す。

そういえば私は「ストレス保存の法則」というでたらめを考えたことがあって、これも自らをなぐさめるための悪手な考え方なのだが、つまるところ人間のストレスというのは、ある人物にて解消されたところで別の人物に蓄積されるだけで、人間社会全体におけるストレスの総和は常に一定であるという愚案だ。

感情労働という概念に似たようなことを感じる。といったところで、ひと段落つけたい。

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昨夜、外出していた。外出先からもどるときには雨はやんでいた。のでしばらく歩いた。湿度の高さゆえ、少しずつ汗ばんでくる。ときどき、雨粒が空から垂れてくる。パラつくというわけでもなく、ポタッと思い出したかのように、微妙に栓をしきれていない蛇口のように、垂れてきた。

一般に雨が降っている状態とは上空の湿度が100%となり飽和した水滴が雨水となる、ということらしいが、ポロリと雨が落ちてくるということは飽和がほんとうにギリギリに起きているということなのだろうか。などと思った。

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映画:《斬、》

2018年末、Twitterでフォローが激賞していたので《斬、》をユーロスペースで観た。上映時間は80分だが、短いという感覚はない。ほどよく、満足感が高い。英題は《Killing》だそうで、つまるところ「殺し」にまつわる話だ。なんとなくというか、身も蓋もないがマンガ版の『バカボンド』に影響を受けたようなところはあるように思えるが、原作のバカボンドは読んでいないので、実はなんとも言えない。

冒頭、刀の鍛錬を描いたシーンがあり、これが非常に美しい。この部分だけ独立して鑑賞したいくらい、よい。よい意味で、作中で美しいと言えるのはこのシーンだけであり、これは良くも悪くも浮いて見える。主題のようなものに照らしてこのシーンの意味を考えれば、人を殺す道具が美しいと言えるのかという問いが起き、対して悪いのは道具ではなくて使う人間なのだという返答ができる。こんな問いは必要だろうかといえば、そうでもないだろうけど。

人物関係

感想を述べるにあたって以下の4名に触れる。

主人公:都築杢之進

農村で用心棒をしつつ生計を立て、都へいく準備を進めている。剣のうでこそ高いが、実は人を斬れない。そのことが本編で起こる事件をきっかけにして明るみになり、彼がついに人を殺すまでが描かれる。

村娘:ゆう

都築杢之進と恋仲のようでいてそうでもない。あいまいな関係だったが、ある事件をきっかけに都築に復讐を依頼する。とはいえ、都築は人を斬れないので、なかなか事態は進行しないのである。

ゴロツキ:源田瀬左衛門

事件を起こした(巻き込まれた)ゴロツキどものリーダー。

浪人:澤村次郎左衛門

事件を延焼させた本作の道化的なキャラクターと言える。当初こそ主人公の剣術のうでに見込んでいたが、結末に向けては主人公が持ちあわせているハズの殺意を引き出し、目覚めさせることに余命をかけた、ような立場か。

黒い顔になる

ゴロツキ(もしかしたら源田以外の人物かも)、澤村次郎、都築の3人は、物語の展開の順にそれぞれが狂気に染まるのだが、このときに表情が暗になる演出がある。わかりやすくて楽しい演出ポイントだが、どれもこれもていねいで、怖い。言ってしまえば、殺意に転ずる、あるいはその成れの果てがこの描写にかかっている。

いや、ほんと、これがおもしろいので、このために見てほしい。

個人的には澤村の顔が黒く染まっていくところが1番好きで、もはや旅の目的が達成されないことに自覚した結果、都築をけしかけることに命を費やすことを決めた。ろくでもない覚悟なのだが、演出もあいまってチョットだけカッコいいなぁと思ってしまった。くやしい。ただ、鑑賞してからしばらく経つので忘れてしまったが、ゆうが身を預けたあとの描写だったか、その前だったか。突き詰めて考えると、ちょっとおもしろい補助線が引けそうではある。

主人公の黒い顔

都築の黒い顔についてはエンディングの楽しみ方、解釈が千差万別しそうなので、別におもしろ味がある。

クライマックス、山中をさまよう都築、それを追う澤村、さらに続くゆうが居る。この3人の追いかけっこは、鬼気が迫っていてハラハラさせられ、ホラー映画のようでもあった。展開としてのオチはほぼ決まっているので、その描写にかかっている。

設定上は江戸近郊らしいが、撮影は山形県だという。追いかけっこをしている山のロケーションがよく、なんかまぁ山のなかで迷いながら追いかけっこしている。中腹くらいだろうか、ドクダミの葉でも広がったような踊り場があり、都築と澤村が切り結ぶ。澤村が絶命する。

都築の顔が黒く沈む。えーっとですね、ゴロツキと澤村は殺すことを意識して顔を黒くしたんですけれども、都築の場合は逆で殺した結果として顔が黒くなったんですね。反射神経とか正当防衛とかっていうとツマラナイけど、さんざん拒んでいたもののギリギリになっては選択する余地もなかった。

現場を目撃したゆうの絶叫、そのまま林のなかにさまよって消えていく都築。やっぱりホラーっぽいんだ、この読後感が。得体のしれない恐怖という意味で、この感覚は正しいと思う。

冒頭の鍛錬に照らせば技術論みたいな話にもなりそうではあり、 都築の場合は持ちあわせた技術に比して扱う覚悟が足りなかったということが分かる、人を殺す覚悟が必要かどうかという点はさておき、そのへんまでを含めて、うまく狂気を捌いている作品だった。

エンディングに鳴り響くゆうの絶叫もすごくよいです。

という話でした。

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