先日、「検索できないのは弱さか」という雑記を書いた。デジタルで日記を入力するのに何を使えばいいのかという話題だった。Notionを諦めてScrapboxにしようか試すというところで話を終えた。

いろいろな事ができる多機能なツールというのは、基本的に玄人向けであろう。素人は、まず、ツール内にたくさん用意された機能から適切なものを選択する必要に迫られる。これは怠い。

で、日記だが、Scrapboxは合わなかった。1日の行動ログ、記録庫とするならいいのかもしれないが、 ダラダラとした雑文は合わない。思考を文章化したり、それを深化させたりするのには合うので、そういう意味で、やっぱりScrapboxはよくできているなとは、思った。機能のごまかしがきかないという点で。

6月の末からしばらく日記を残していない。そろそろ気持ちが悪くなってきたのでどうにかしたい。

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同じ人物の書いた文章ばかり読んでいると、気が滅入ってくることがある。偉大な小説家の大きな作品や冗長な作品など、もう要点を羅列しとけやと思うこともある。

それでも読まなければいけないケースもあり、ついては対処法が求められるわけだが、特定の文章を忘れるしかない。記憶を無くすか、上書きするか、どちらを選ぶか。おそらく後者の方が最終的なパフォーマンスに繋がるだろう。だって記憶なんて消えないもんだからね。

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週末においしいぬか漬けを食べた。きゅうりだ。おいしかった(大事なことなので2回言う)。ぬか漬けというのは江戸時代に普及した発酵食品の製造法らしい。

おいしいきゅうりのぬか漬けを食べたんだ。

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Spotifyでクラシックを聴くとか、Amazon Prime Videoでハリウッドの古典映画を観るとか、そういうことが思い立ったときにできることは素晴らしいことだ。

というかそういう機会があった。図書館に行くとかレンタルショップに行くとか、そういうことをする必要がない。

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Twitterを眺めていたら、新海誠をあげて「東京タワーやスカイツリーが登場しない作品が~」という話があった。探せばすぐに見つかると思う。元となったツイートの説得力は微妙だが、なるほどとは思った。

東京タワー

ゴジラやモスラ、ガメラ(ギャオス?)などが破壊した対象という印象が強いが、そもそも特撮はあまり知らないのでなんとも言えない。戦隊ヒーローものではあまり登場している印象もない。

小説で思い浮かんだのは、『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(2005)だ。これはリリー・フランキーの半ば自伝ということらしいが、私はオダギリ・ジョー主演の映画(2007)で知った気がする。本作はその他、ドラマ化2回、舞台化1回もあるらしい。もう10年以上前か。ひぇ。

マンガ『魔法騎士レイアース』(1993-1995)の最初のキーポイントになったのも東京タワーだったか。この作品はアニメをボーっと眺めていた記憶しかないが、その点だけは思い出せる。というか、全3巻とは今日の感覚からすると短いな。この作品では物語の起点だったが、決戦の舞台に東京タワーが選ばれた作品って結構あるんじゃないかな。いくつか思い出せるような気がするが、まぁいい。

もっと古い作品などにもたくさん登場するだろうし、一覧のようなものがほしくなってきた。

スカイツリー

逆に、こちらは一覧を作りやすいのではないか。

アニメ『さらざんまい』(2019)は浅草が舞台なので、登場せざるをえなかった。そこに特に深い意味は読み取りづらいが、モニュメントとして登場していた。テーマのキーワードやモチーフも相まって、円形のパターンがよく採用されていたので、そういったうえでも扱いやすかっただろうか。

映画『万引き家族』(2018)では、川沿い(隅田川だろう)を歩く子供の向こう側にスカイツリーが聳えていた。「あぁ、これは現代の物語なんだな」というのが1番よく分かるシーンで印象に残っている。

パッと思いつくのは、上記の2作品くらいだ。当然、もっとあるだろう。

モニュメント的な建造物

新海誠が新宿ばかりを映すのは新宿が好きだからだろうし、なんなら新宿駅を中心としたエリアはもうそれだけでモニュメントと言ってしまっても修辞的には成立しそう。

『シン・ゴジラ』でゴジラが破壊した目玉は大手町を中心としたビル街とラストの東京駅か。ビル街をモニュメントとしてしまってよいかは悩ましいが、東京駅はまぎれもなくモニュメントだろう。

こういった視線からフィクションなりを読み解く作業、集中してやっていくと割とおもしろそうなまとめ方はできそうだな。

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『Horizon Zero Dawn』というゲームをプレイしていた。一応、クリアしたのでメモを残しておこう。2017年のゲームで、『ゼルダの伝説 Breath of the Wild』と同じ時期の作品だ。当時はどちらがおもしろいかという話題がいくらかあった。友人らにプレイしろと薦められ、昨年のどこかで手にして少しずつプレイしていた。

機械を狩らんとす

このゲーム、世界観をひとことで説明しようとすると、つまり「機械の獣を狩る」ことにある。オープンワールド、至るところに機械獣が息づいている。一方で、ふつうのイノシシやキツネ、ウサギや七面鳥などもいる。そういう環境下で主人公は、自らの出生の秘密を探る旅に出る。機械を狩りつつ動物も狩り、場合によっては山賊などの敵対勢力を処分していく。アンドロイド型の機械は居らんかったなぁ、そういえば。

以下の写真は、Photo Mode で撮影した画像だ。最近のゲームにはこういう機能がつきもので『スーパーマリオ オデッセイ』にも実装されていた。ゲームの終盤になってよく撮影するようになった。主人公の表情もいくつかのパターンがセットされているのだが、あまりかっこよくならない。笑顔がないのがひどい。

作中で最大の都市をバックにポーズをとる主人公之図

終末後の世界を生きよ

ポストアポカリプスというジャンルになる。文明人類の世界はなんらかの理由によって滅びた。人間たちは機械獣におびえながら、共存しながら日々を生きている。そういった人々の生活がある。

メインクエストは、良くも悪くも予想の範疇を越えなかった。順々に進めていくのは楽しかったし、それなりにヘタクソでもどうにかこうにかクリアできる難易度が設定されており(ノーマル)、ともなって達成感も大きい。

サブクエスト、サイドクエストは、世界に暮らす人々に起きた問題や悩みを解決するに充てられる。このクエスト類がおもしろかった。以下のスクリーンショットは、家出した娘とそれを迎える父の図である。このエピソードは主人公に重ねられる部分も大きく、非常に印象深い。

父と娘の和解を果たし、ドヤ顔をさらす主人公之図

フォトリアルといわれるグラフィックだからか、情感に訴えるイベントのインパクトは強いなぁ。

終末だって人は悩む

どのサブ、サイドクエストも魅力的というのは、それだけゲームの基盤となる世界観がしっかりしているということだ。まぁどうでもいいんだけど、さらに印象深い人物を2人フューチャーしたい。

ニル

もともとは兵士だったような人物だが、作中では山賊ハンターになっている。勇者ではあるが、山賊ハンターを勤しむ自分について何となく悩み、アイデンティティが少し揺らいでいる。

本ゲーム、主人公のアーロイ自身が出自に悩みを抱えるが、クエストの対象もさまざまな悩みを抱えている(そりゃそうだけど)。この山賊ハンターのニルは、直接の救済対象ではないが、彼の心理面の深層を想像すると、救いを求めている類の人物であることが察せられる。なかなか悩ましい。

以下の写真は、主人公と2人のツーショットである。仲よくしてほしい。こうやってみると、ニルの防御力は低そうだな。

青臭いような悩みをもつ男と女之図

ペトラ

技術者としてのアイデンティティを持つ一族の女性技術者である。よくわからんけど、おそらく作中のふつーの住民のなかでは1番の技術力を有しており、よくわからんけどカッコいい。なにもわからん。

いま思いついたのだが、このゲームの登場人物は衰退した文明のなかにあって、知性があまりよろしくない。それは仕方ない。そして知性の伴わない強さとは、より歪なものになってしまう。たとえばニルがそうだ-いや、ニルは知性を持ちあわせているから悩んでいるのだが。

作中では、そういった不安定さがうまくバランスされていて、表現されていて、主人公もそのような課題を持ちあわせつつ、どうにかこうにか成長していく。だが、彼らのなかにも2つのバランスをうまく持った人間がいる。 ペトラは知性も強さも持ちあわせ人間なのだ。いやぁ、美しいですね。

知性を兼ね合わせた強さをもつ女性、ペトラ之図

束の間の休息をくれ

本作、めちゃくちゃおもしろくて、不満はほとんどないのだが、ひとつだけ要望がある。主人公を休ませてやってほしい、それだけだ。以下のシーンはネタバレ気味になってしまうが、数少ない主人公の休憩シーンである。

束の間の休息をとる主人公アーロイ之図

あー、楽しかったなぁ。

オマケ

エンディングのクレジット、日本人の名前ないかしらと思いつつ、作業半ばにダラダラと流していたら、ありました。小島秀夫をはじめとした日本人チームの名前リストがありました。Special Thanks ということです。

小島さんのスタジオの新作『DEATH STRANDING』も本作と同じエンジンを積んでいるという話も目にしたので、まぁそういうところでつながりがあるんですかね。

小島秀夫さんをはじめとした日本人らがクレジットされた之図

なお、この記事を書いている最中に「PlayStation Hits」に登録されることが発表された。 2019年6月27日からダウンロードコンテンツを含めた廉価版が購入できるとのことだ。 いいですね、もっとたくさんの人たちにプレイしてほしい。

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タイトルに深い意味は無くて、昔から遮光カーテンを使って生活しているのだが、現行で就寝している部屋はカーテンを用意できない(していないだけとも言える)小窓がある。そこから朝の明かりが入ってくるので、ちゃんと目覚められる。そんなら遮光カーテン自体が要らないのではということになるのだが、そこは気持ちの問題なのだ。

モロー展での照明、特に明記されていなかったと思うが、パナソニックミュージアムだということなので、パナソニック製の照明機器が使われていることだろうと思う。見上げてみると、円筒状のライトだった。はて、これはいつか東京国立近代美術館の山田正亮展でも使用されていたのではなかったかと思ったが、どうにも確かめようがない。

といったところで、以下のリンクを見つけた。

http://lighttale.com/column/05_workofartlighting

山田正亮展のライティングは、 株式会社灯工舎の藤原工さんの仕事だったらしい。へぇ。この展覧会でのライティングはとても高く評価されていた。 たしかに美しかった。だからこそ照明器具も印象に残っている。あの展覧会では、機器についてもフィーチャーしていたような気がするが、やはりもはや情報は出てこない。

美術館でのライティングについて詳しいわけではないが、ライティングを意識するというのは割と便利な面があって、つまるところ鑑賞する対象との適切な(と思われる)距離と角度の目安になる。

ということで、引き続き、読書灯が欲しい。

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《出現》が有名なギュスターブ・モローの展覧会、はじめて汐留ミュージアムに出かけた。4階、30分待ちということで行列ができており、並んで入った。鑑賞後に、この記事を残すにあたって調べてみると、同ミュージアムがルオーを収蔵している関係か、2013年にも同類の展覧会があったらしい。次回は2025年くらいだろうか。

第1章:モローが愛した女たち

学校に在籍中は大成せず、独立して制作を続けたのちに評価された作家ということらしい。第1章は、母と恋人をモデルとした小品、習作などが並んでいる。母との紐帯の強さは、幼い妹を亡くした過去にあるということだった。

本展での作家についての情報は、最後に掲示されていた年表、常展のルオーとの関連性くらいだったか。Wikipediaや他の解説に目を通したら、シャセリオーと親交があり、一時期はドラクロアに師事したらしい。はぁ、なるほど。そういった系図なのかと。

この章の目玉は《パルクと死の天使》だろう。恋人が亡くなったころの作品ということなので、そういうことなのだが、重たい。天使の後輪とその隣にある沈む太陽のバランスが印象深かった。以下は、参考としてのリンクだ。

第2章:《出現》とサロメ

《出現》がとりわけ有名だが、サロメを主題にしたいろいろな小品や習作、デッサンなどが並んでいた。衣装をまとったサロメの小品がとても印象深い。描かれるイメージは、膨大な資料に基づいているとのことだったが、オリエンタルな衣装がとりわけ美しく感じた。森薫などを連想する。王宮のような建造物が舞台となっているわけだが、本来はこんな大建築物ではなかっただろう。これも想像の産物だろうけれども、おもしろい。

いくつかのバージョンがあるらしい《出現》だが、展示されていたのはカンバスに油で描いた版のようだ(さらにそれが何種あるのかは知らぬ)。おもしろいのは背景で、柱などの白い文様は、作品の完成から作家が後年に削り出して白い線を出しているという旨の解説があった。この作品に限らず、油絵の場合は背景を混然と描くことも多いようだが、のちのちに気が変わることもあったのだろうか。

以下の旅行会社のサイトに投稿されているムッシュさんの記事、かなり掲載作品が豊富だが、中段くらいにある《出現》のイメージで白い線がわかりやすい。ギュスターブ・モロー美術館にも行ってみたいものである。

第3章:宿命の女たち

第2章のサロメと第4章の一角獣、これら以外のモチーフの作品が集められている。古典作品の情景のワンシーンが多い。個人的には、この章が1番おもしろかった。《エウロペの誘拐》《デイアネイラの誘拐》(未完成)は注文された制作されたらしいが、おそらく普段とは描き方が違う。この2つは、そういう意味で印象に残った。

《死せるオルフェウス》

亡き骸のモチーフが多い作家だが、本作もそのひとつだ。そして前述したように、この作品も全体が混然としている。亡き骸は画面の左下にポツンと置かれている。もちろん意図的な配置だが、あっさりと惨めなものだ。画面中央を埋める茶色いイメージがなんなのかよく分からない。これも類作がいくつかあるが、展示されていたのは、次項のレダで引用させてもらったツイート内にみられる作品だ。

《レダ》

これもギリシア神話ですね。類作がいくつかあるようだが、展示作品がネットで見つからない。解説にもあったが、レダと白鳥の配置が妙で、モローを含めた多くの作家が描いた同モチーフの作品と異なり、レダが左、白鳥が右に居る。レダが白鳥を誘惑しているように見えるというわけだ。隣にあった小品の同名の作品も、同じ配置だった。作家の悪戯心、悪意さえ感じる。

レダの瞳、視線もおもしろいが、レダと白鳥の白さの対比もおもしろく、全体の青々とした暗いトーンも相まって、異常に艶めかしい。ネットで見つからなかったと書いたが、報道内覧会ということでTwitterの以下のツイートで本作の画像があったので引用させてもらう(2つ目のツイートの左が《レダ》、右が《オルフェウス》)。

《ガラテイア》

これも有名な版ではないようだが、これ、どこかでも見たことがあるような気がする。言うまでもなく、倒錯的だ。

《サッフォー》

これもさまざまなバリエーションがあるみたい。どなたかの感想でもあったが、本作はとりわけ東洋画っぽくて、どういうことかというとサッフォーがアジア風の天女のような装いをみせている(落下中なのでまさしく天を舞っているわけだが)。完全に死に向かっているにもかかわらず、どこか余裕があるようにも見える。そういう特殊さが認められるか。

モローだが、インド画なども学んでいたらしく、ざっくばらんにいうとオリエンタルな雰囲気ということだが、どの作品にも端々にそのような点が見て取れるわけだ。

展示作品は以下と思われる。

《エヴァ》

グロテスクな印象がある。いわゆるイヴである。彼女が蛇(本作では男性のようなイメージになっているが)から林檎を受けている状況だが、デッサンが狂っているというか、あえてこういう絵にしているんだろうけれど、エヴァの肉体の描写が武骨な印象を与える。強そうだ。また、お腹がけっこう出ているのはすでに妊娠中であることを暗示しているのかしらん。

展示作品は以下だ。実物は、この5倍は艶めかしかった。

第4章:《一角獣》と純潔の乙女

一角獣をテーマにした作品たち、グリフォンもいた。展覧会のメインビジュアルにも使われているし、有名な題材なのだろうけど、個人的には今回はもうここまででお腹いっぱいであまり印象がない。茶々を入れるとすれば、本展のタイトルが「サロメと宿命の女たち」であって、これが第2、3章を指していることを考えると、第4章はオマケもしくは宿題なのではないか。サロメや宿命の女たちと別に、どうしてどうして純潔の乙女を描いたのか。

そもそも一角獣についてのイメージがよくわからんから、何もわからん。

といった感じで、これらの作品が特に印象に残っている。ほかにもあったが、とりあえず以上としておく。

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Twitterで「ふぁぼ(Favorite)」が「いいね(Like)」になってから幾星霜、もはや歴史のなかの出来事になってしまった。かつては、反体制派も居たものだったが、もはや皆いいねに屈している。というくだらない前置きはいいとして。

ふぁぼではスターのアイコンが、いいねではハートのアイコンが付される。というところまで書いて、それぞれの喚起するイメージとはなにか、についてのメモを残そうとしたんだけど、非常にめんどくさいので止めた。

オチとしてはハートのほうがシンプルでいいね、というあたりか。少なくとも日本人にとっての星形のスターというのは、特別なものくらいな印象しかないのではないかな。どうでしょうね。

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ここ1年くらい更新されていなかったお気に入りのブログが最近、1度2度更新された。単純にうれしく、楽しいものだ。美術系の展覧会の感想がすてきでよく読んでいたが、最近は生活が変わったらしく、いまでは対象こそ異なるが、やはり好きな文章だ。

ところで、コンテンツのタイトル名ってやっぱり大事で、その方のブログタイトルは漢字3文字となっており、その理由も明確なのだ。覚えておきやすいし、思い出しやすい。最近はどうだか知らないが、一時期、小説みたいな長いタイトルのブログがやたらと増えていた、というような印象がある。

もちろん、そのなかにも記憶深く刻まれているタイトルもあるが、なんだっっけこれ? みたいになるブログのほうが多く、結果的に覚えやすさを取れば、タイトルは短くなっていくだろう。

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