数年前から宇野常寛が「遅いインターネット」という趣向のコミュニティを運営している事実は何となく知っているが、その後の活動がどうなっているのかはまったくしらない。2020年に、以下の記事で言及した。

そいで、2020年に書籍としても発行されたようだが、改めて2020年の宣言引用させてもらう。

僕の言う「遅さ」というのはこの中距離と少し傾いた角度のこと、なのだ。もっと細かく言い直すなら、こうやって距離感と侵入角度を調節できる自由を手に入れていること。そのために「遅い」ことが大事なんじゃないかと考えたのだ。

(中略)

いまのインターネットは、速すぎる。速すぎるスピードで、遠くまで届きすぎる。速すぎるせいで、届きすぎるせいで僕たちはこのとても便利な道具をうまく使えなくなっている。速すぎるせいで、逆に世界を狭くしている。たくさんのあるはずの可能性を、ほとんど引き出せなくなっている。半径5メートルの閉じた人間関係のことか、あるいは等身大の自分からかけ離れた遠くの大きなことしか考えられなくなっている。僕たちは、ほんとうのインターネットがもっていた中距離を見失っている。

言いたいことはなんとなく伝わってくる。私はインターネットに「中距離」という本来性や重要性を見いだせないが、そう思うひとはいるんだろう。で、「遅いインターネット」というWebマガジンは、そういった距離を取り戻すための読む、書くためのメディアなのだそうだ。

あるいは、このサイトのトップから何度も目に入るメッセージには「SNSのプラットフォームがインターネットをどうしようもなく拙速に、窮屈にしてしまっている」という文言があるが、残念ながらこれはなんということはなくて、遅いインターネットの情報発信用のアカウントは X にもある。が、これは昨年の5月くらいで更新が止まっており、おそらくだが、イーロン・マスクの改革の煽りを受けてシステムの更新がないのだろう。

ダラダラと書いたが、別にこの企画を腐したいわけじゃなくて、結局、遅いままではいられないというジレンマがある点は否定できないだろうということくらいだ。そいで、なんでこんな話をしたかというと、以下のサービスがリリースされたからだ。

「遅いインターネット」に対して「しずかなインターネット」と、似ている。はてブ経由で知ったが、ユニークなのは「スポンサー」になることで「はてブ」を非表示にできることらしい。この上手いとも下手とも言いづらい実装はおそらくそれなりに錬られた結果なのだろうから何とも言えない。

まだ利用していないし、できたばかりのサービスなので試行錯誤もあろうが、著者も読者も最低限の接点に留まるらしい。要するにバズ経由の読者流入や伴って広がる雑多な意見は最初から見込まない、邪魔だということなんだろう。技術やシステムに裏付けられた「遅い」インターネットだなとは思うし、宇野さんのいう「中距離」に近いイメージがこのように担保されることもあるようにも思う。

素晴らしいじゃないの。

で、本記事タイトルの「インターネットをどう形容する」の話をするが、極個人の体験としてのインターネットは「つながらなかったはず関係がつながる」だったんだよね。これを形容すると、なんだろうね、「架け橋のインターネット」とでも呼ぶか。

いまはインターネットは島どころか大陸になってまった、という形容が許されるとすれば、もはや「架け橋」は不要であることは明白で、つまり本来のインターネットなどはもともと認めない。

大胆に言えば、「中距離」も「しずかな」も事足りない、あるいは問題へのアプローチ不足のように思える。技術的な問題を抜きにさせてもらうとすればだ。

更に言うと、これからの時代に求められるのは「アンドロギュノスのインターネット」じゃないのか、と放言してみる。別に男女関係ということではなくて、私たちは積極的に自らに欠けたものを求め、補完していかなくてはならない。

大上段である。

それが note であるべきか、はてなブログでいけるのか、しずかなインターネットが実現するのか、個人ブログ的なものも生き続けるのか、これからの SNS が実現するのかしらんけど、それなりのビジョンを持って臨みたいものではあるよな。

書き散らしでした。

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