北野武の新作映画『首』(2023)を観た。にわかな映画人間なので、北野武といえばテレビ放送された『座頭市』(2003)しか知らぬ。本当はもっと観たいが、なかなか環境が整わない。ということで見逃すまいと劇場に身を任せたが、なんとも奇妙な作品であった。

戦国時代モノの映画作品というと『七人の侍』はマストとして、他はあんまり知らないのだが、近年の作品だと『のぼうの城』(2012)や『超高速!参勤交代』(2013)はほどほどに経験と記憶がある。水上のシーンは『のぼうの城』を連想させられたし、本作のギャグ部分はおそらく後者と関連して語れそうだ。時代劇におけるギャグ表現みたいな文脈なんかで。

あるいは『斬、』(2018)も見たことがあったな。『超高速!参勤交代』と『斬、』は、おそらくは徳川治世の時代設定ではあるけれど、まぁ大名なり、侍なり、あるいは剣士なりがテーマであるので、まぁ大枠で戦国時代モノとさせてもらいたい。

言っておくと、残虐な描写としては『斬、』のクライマックスのピーク時点でケタが違い、また『首』よりもまったく真摯かつ単純で、わかりやすい。『斬、』は、刀の残虐性自体がテーマであろうから猶更ともいえる。また、たまたま確認できたが『のぼうの城』でも馬上の武将の首を刎ねるシーンがあるらしいが、これは記憶には無かった。

首が元気よくピョンピョンする描写、私は『もののけ姫』(1997)をすぐに連想してしまうが、この描写の源流はどこになるのだろうか。黒沢映画なのかな? ちなみに『首』では、首が元気よくピョンピョンする描写はいくらでも登場するのでファンには垂涎モノだろう。

もう少しだけ余談する。『東京2020オリンピック』(2022)が公開される頃、すでに五輪の賄賂問題が騒がれていたと記憶するが、おそらくこの頃に『首』はほぼ完成していたという記事も流れていた。制作費だので折り合いがつかないという原因が取り沙汰されており、いうまでもなく製作会社は KADOKAWA で、だからというワケではないが、運命の悪戯めいたものを感じる。

なにが主題なのか

たとえば織田信長(加瀬亮)の狂気そのもの、彼と光秀(西島秀俊)および村重(遠藤憲一)のメンズな愛の機微、秀吉役であそぶ監督:主演のビートたけし、いわゆる狂言回しである曽呂利新左衛門(木村祐一)、そこに付き従ってひとつの結末をみた茂助(中村獅童)などが、狂気とギャグで物語を回転させていく。

ちなみに、クレジットのキャスト表記は、上からビートたけし、西島秀俊、加瀬亮となっていたが、画面内でいっちゃん苦労させられていたのはどう考えても光秀(西島)であった。また、話に居なくてならないのはどう考えても新左衛門(木村)で、しかし、無下にできないのが茂助(中村)であるんだよなぁ。ぐだぐだぐだぐだ。

で、この感想文では、私は曽呂利を最重要キャラクターとしたい。この人物、架空の人物かと思ったがモデルとなった落語家(その原型?)は存在するらしい。一方で、架空の人物あるいは残っている逸話はほぼ創作であるという説もあるらしい。

で、まぁ日本の伝統芸能というとざっくばらんに過ぎ、例に相応しいかは微妙だが、湯浅政明がアニメ映画『犬王』(2022)、原作は古川日出男の『平家物語 犬王の巻』(2017)は、犬王という存在をキーにして能楽の源流に迫っている。

この系譜として本作を見たらどうなんだという話です。なんならビートたけしの執筆した原作小説『首』は2019年に小説版が出版されている。原作の小説は読めていないが、つまるところ本作は落語、ひいては日本の笑いの源流に迫ろうとしているのではないか、ということで話を続けたい。

日本の笑いの源流は

本作のキッカケとなるのは村重の謀反、そこからの光秀による本能寺の変に至るまで、上述のように本作の説明では3人のメンズな愛とそのズレ、そこに秀吉の謀略を絡め、天下布武という目標への武士(あるいは農民あがり)のそれぞれのスタンスの差として表現する。

それはそれは映画のなかでは辻褄のつけられた描写ではあるが、さすがに現実はそこまで単純では無かろう。だがまぁ、劇中ではそうであっても面白いなというストーリーテリングは完成している。実際、愛憎の問題で拗れた国家や軍団なんて例はいくらでもあるだろう。

それはそれとしてだ、抜け忍というプロフィールを纏わせられた新左衛門は、表向きは全国を巡りながら落語(につながるような笑い話)の遊説を行っている。彼についてはほとんど深掘りはされないので、どういう経緯で彼自身がこの道を志したかは不明だが、本作全体のシニカルな笑いと、まだスタイルが確立していない新左衛門の笑いは、どこかで呼応しているのではないか。

あるいは、作中における秀吉(ビートたけし)のギャグは、黒田官兵衛(浅野忠信)、羽柴秀長(大森南朋)との掛け合いがメインだが、これはもうほぼ普段のビートたけしで、備中大返しの準備を予告するシーンで陰に隠れて笑っている状況は、彼そのものだ。笑いで天下を取った男の芸がこれだよ。

あるいは、やはり秀吉が天下統一を望んでやいのやいの駄々をこねるシーンなどは、農民あがりであることを前提にして笑わせにくる。エンディング手前のシーンも印象的だったが、書状を音読するなと言ったのちに字は読めないと言いのけるバカバカしさは強烈であった。

史実の秀吉は一応読み書きはできたハズでは有るので、これも大幅な誇張ではあり、そこを笑いにしてはいるのだが、そもそも笑いは文字を必要としないんだなぁということも思い起こされたが……。

天下統一の趨勢のなかに笑いはない

信長の開く会議や宴席でも笑っているのは信長ひとりで、蘭丸は例外としても、他の皆は緊張と切迫感のなかにある。この信長の気質もほとんど創作のように思えるが、冒頭の饅頭のシーンからなにからなにまで、彼ひとりが騒ぎ立てることこそあれど、そこには和気はまるでない。

新左衛門と信長がひと目だけ面会するシーンがあるが、「信長さまが閻魔を弟分にする」というしょうもないギャグを恐れ多くも披露する。このネタ、誰かも書いていたが別に現代の水準でみたら面白くはない。が、天下人にならんというひとを笑いの対象にするジョークであり、その舞台は地獄だ。やはりブラックジョークなのだ。

面会の直後、「信長さまが閻魔を弟分にする」という冗談が実現しかねない結果になる。このジョークの有効期限が切れかねない状況だ。なんということもなく秀吉の光秀討伐へと話が移っていくなかで、新左衛門の動向は曖昧になっていき、最期は千利休の付き人かしらんが、間宮無聊(大竹まこと)と仲良く何処へいってしまう。

史実の新左衛門は秀吉後の時代も生きたらしいので、ここもフィクションは強めだろう。また、史実ではこのあと、千利休は秀吉に粛清されており、利休はそもそも政治にも長けていた人物ということなんでしょうから、笑いという芸の萌芽は、茶という芸、その頂点の周縁で未だもがいていた、みたいなことなんでしょうかね。

首に興味や関心があるのは誰か

笑いは市井にあるべきだが、本作ではあんまりそれは描かれない。新左衛門が半丁賭博をやってたり、前述の「信長さまが閻魔を弟分にする」を講じたりしているシーンはあるが、それくらいのものだ。軍隊に同行する遊女や商いの部隊みたいなのもちょいちょい映るが、別にそこに語るべきものも強いてはなさげ。

だのでまぁ、中途半端な味はある。

このあたりで、茂助を取り上げて秀吉の立身出世と絡めてみていくと感想文としてはおもしろくなる気はするが、取り留めがつかなくなる公算のほうが高い。言ってみれば、秀吉も別に賢げには描写されていない。官兵衛が超優秀な軍師であったらしいことは有名だが、本作では彼もそこそこにすっとぼけている。

話を戻すと、茂助と秀吉に本質的な差はないとさえ描写されている気はする。それは「首」にまつわる描写をみていれば、それぞれ好対照ではあるとはいえ同時に明らかでもある、とは言って差し支えなかろう。

まぁあれか、話は戻るが、つまるところ、新左衛門にとっては戦の趨勢というよりは、秀吉の傍にいても彼の求める笑いの道に進展はないと断じたのかもしれない。

一方、なんやかんやで史実では、物語の発端である村重も生き延びたらしく、だからこそのあの描写であったのかもしれないが、振り返ってみれば要するに主要登場人物の首はどれひとつとっても、ちゃんとした首実検に晒されていないのだ。なんとも皮肉であることだねぇ。

「首」なんて誰にとっても、おもしろくもなんともねぇ、のかもしれない。

その他のことなど

  • 多羅尾光源坊という人物がおり、この人物は完全なフィクションのようだが、史実の多羅尾という家は存在し、のちのち家康を助けたそうだが、本作では服部家の背後にいた感じなのかな。独特なキャラクターと演出で、そういえばタケシ映画ってエンターテインメント色が強いんだっけな(しらんけど)ともなった。
  • 光源坊の隠れ里みたいなところでのダンスシーン、マイケル・ジャクソンの「スリラー」ではないだろうが、そういう雰囲気はあり、エンドクレジットでダンスユニット名かなんかが記載されていたね。
  • クライマックス周辺で能楽を信長が興じているシーンがあり、このシーンもエンドクレジットで指導者の名前があることは確認できた。まぁほんの1分あるかないかの印象程度ではあったが、こういうのもやりたいんだろうなというシーンではあった。好きだったよ。
  • 家康といえば、影武者を取っては捨ててというくらい使い捨てており、これも笑いのシーンなんだが、ほとんど誰も笑ってなかったというか。全般的にしょーもない笑いが多いので笑わなくてもいいのだが、笑ってやれよとはなった。
  • そういえば、服部半蔵と般若の佐兵衛の戦闘シーンで、無駄に特撮か古い時代劇めいたアクションがあったが、アレもなんかやりたかったんやろなという感じで、なんともなぁ。個人的には『陰陽師』シリーズを思い出すくらいだ。

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