というのはウソなんだけど。

Mediumをどうやって使いたいか

Medium というサービスがあって-まぁ誰でも知ってるか、そこそこ収益化に失敗している、というようなニュースを過去に目にしつつ、昨今の動向はよく分からない。少なくとも、日本での事業は縮小したらしいというところまでは覚えている。

ただまぁ、なんかしら魅力があるプラットフォームだとは思っており、なんか使い道ないかなと最近あらためて感じつつ、日本人ユーザーが可視化されづらいなら日本語でつまらない日記でも書こうなぁなどと思ったりしてな。

日本語ユーザーが可視化されない大きな理由のひとつは、そういうシステムだからなのだけれど、以下のようなグループもあるらしくて、少ないながらも日本語ユーザーで連帯しようという気概を感じる。よい。

Medium側では以下のページだ。パブリケーションって note でいうところのクリップ? マガジン? みたいなやつかな。どっちもよくわからないけど。

気が向いたら、なんとなく眺めてみたいな。

遅いインターネットとな

Twitter を眺めていたら、以前に触れた濱野智史の名前をひさびさに見かけたので何事かと思ったら、宇野常寛の新しい企画「遅いインターネット」という媒体の対談記事が出てきた。

ははぁ。この企画-というか Web メディア「遅いインターネット」は、本年の 2 月から公表されている。企画自体は「2年と少し前」に思いついたらしい。私は宇野さんの熱心なフォロワーではないので、その考えるところはあまり分からないのだが、いいタイトルの企画だなとは思った。以下の宣言の内容もざっと目を通した限りでは嫌いじゃない-ざっとな。

ただし、この企画のページ、全体の構造や相互のリンクがわかりづらいところがややあって、それが慣れの問題なのか、スマホ最適化の問題なのか、設計思想の問題なのかよくわからない。たとえば、上記の「遅いインターネット宣言2020」へのリンクがどこから辿れるのか、どうやって見つけたのか、自分でもよくわからない。

また、関連ページを眺め終わって、引用しようとした文章もどこかへ行ってしまった。曰く「10年後もGoogle検索に残っているような」という文句について「はぁ、そうなの」と思ったのだが、見当たらない。と困ってたら、あった。note じゃんけ。

このウェブマガジンはタイムラインの潮目を読んで、瞬間最大風速を強くすることだけを考えがちな今日のインターネットメディアとは距離を置いて、5年、10年と読み継がれる記事をグーグルの検索に引っかかりやすいところにおいておく、という一種の「ネットサーフィン復権運動」だ。

https://note.com/wakusei2nduno/n/n0d20f6d6359f

なんとなく思ったことは 2 つあって、いわゆる速いインターネットの象徴のような Google を基準にしてしまっていいのかなという点と、同じようにそもそも「ネットサーフィン」という文化は Google 以前だったのでは、という話だ。

「ネットサーフィン」については私も記事にしようとし、ほったらかしている状態のゴミ原稿があるのだが、この語はリンク集時代の産物なのではないだろうか。なので私は、以前にもここやどこか別のところでも書いたかもだが、ソーシャルブックマークのような存在のもっと個人に寄り添ったバリエーションが欲しいなと思っている。そこにこそ、宇野さんの「遅い」に託されるようなニュアンスを求めている。

話がとっ散らかったので終わりにするが、最近のインターネットに潮目みたいなのを感じる向きはあるよね-ずっとか。

最後に、最近割と面白いなとなったのは、東浩紀のゲンロンも宇野常寛の PLANETS も動画放送(または双方向的ななにか)の媒体としてはニコニコチャンネル(ニコニコ動画)の運営を維持しているんだよね。会員の囲い込みやすさ、字幕動画の有利性なんかの優位が残ったままなんだろうかね。

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