書き手と編み手のAdvent Calendar 2019 を読んだ

2018 年かな「書き手と編み手のAdvent Calendar」という企画を知って、それはつまり、編集に携わるひとたちのアドベントカレンダーだったが、ちゃんと読んだことはなかった。こういう企画の記事を読むのにもそれなりに気力が必要であって、ブックマークしたまましばらく放置していた。

あらためて確認すると、2017 年から 2019 年まで催されたようだが、2020 年は開催されていないのかな。よくわからないが、2019 年のカレンダーに登録された記事をようやく読んだので、面白かった記事のメモを残す。

以下が記事についてのメモだ。

企画者の方の記事だ。ま、やっぱりこういう企画をされる方なので-詳細なプロフィールまでは追っていないけれど、IT ジャンルが近い。もともと、昨今のアドベントカレンダーブームもそういうところなんでしょ?

編集というスキルも技術者に近いところがあるのでは、という主張あるいは論点があり、それはおおよそ正しいと思う。Web (大雑把が過ぎる)でも書籍でも雑誌でも新聞でもいいけれど、ブログもなんだかよくわからん時代になった。編集はどこへいく。人間はどこへいく。

技術マンガを描くにあたっての情報がまとめられている。コミックで技術なりを解説する方法は「マンガでわかる」シリーズなどからメジャーになったのかな。しかし、基本は子供向けとはいえ、小学館の学習まんがシリーズの例を考えると、別に新しいことはなくて、歴史のあるフォーマットではあるんだろう。

DTP、コマ割り、情報量、作業分担などのトピックが扱われている。どちらのこともわからない書き手同士での製作は難しかろうという指摘がおもしろくて、まったくその通りだと思うが、たとえば学習まんがシリーズだと学者先生が監修として入っていることが多い。つまるところ、出版社なり編集者なりが間に立つとすれば、そこをマネジメントするのが彼らの仕事だ。

こうなるというまでもなく、どちらもできる-あるいは当てのある編集者が強いということになる。

辞書編集者の方の記事ですね。辞書の編集はね、マジで大変なんだと思う。タイトルとは裏腹に、やはり最後はアナログな仕事が目立つな、みたいに〆られているが、まぁ殊に辞書についてはそうなるよね、と。

辞書っていうのは機械的と思いがちだけれど、大枠と細部にはかなり著者や編集者の方針や人間味がハッキリ出るコンテンツだ。だが膨大な情報量が前提になるので、そういったことは背景になりがちだ。

本格的な辞書の索引の制作方法についての話を聞いてみたいな。これこそ最後はかなりアナログな作業になると踏んでいるのだけれど。

マンガや雑誌、書籍の編集者からゲーム制作者になった方の記事かな。いわゆる編集スキルが書籍以外に経験として生かされているという例として見ていけばいいのかなと思うが、おもしろい。ゲーム制作はチューニングを、校正を永遠にやっている感覚が近いという旨を書かれている。おもしろい。逆にひとつ前の記事を引くなら、辞書の編集に近いんじゃないかな。

書くことのスキルについて「短期記憶」と「長期記憶」を織り交ぜることについての言及もなかなか興味深かった。たしかに、文章を書くにあたっての快楽ってそういうところにある気がする。

Zoom を利用した取材の方法についてのメモなのだが、2019 年末の記事なので、ちょうどコロナ騒動を目前にして Zoom が広く知れ渡る直前くらいにあたると思われ、面白いなと思った。未来予知的な話にもなっている。

インプットが多すぎて処理しきれないというのは、確かに難しい。

15 年ほど編集業を出版社で勤めて独立された方なのかな。タイトル通りの記事なのだが、これはなかなか難しい。世のすべての編集者が InDesign を使えないということはないとは思うのだが、本当は編集者が InDesign を使える必要なんてない。

それはデザイン、プロフェッショナリズム、分業制などなどの理由から大雑把に言ってのことだが、もちろん使えることで、完成形への見通しが強くなることも確かだ。

というか、同人で書籍を作っているひとは自分で InDesign を扱うことは珍しくないだろう。そういう意味ではどちらが書籍制作のプロなのだか、もはや分からない。そういう境界線に立つことにした方の記事だ。

偉そうなことを滔々と述べたけれど、InDesign の学習サイトを紹介してくれているのが何気に素晴らしいですね。他の Adobe ソフトに比べてもそうだが、なかなかこういった情報自体が共有されていないように思う。という視点に立てば、本企画の趣旨にもっとも適合した記事だな。

Wantedly のインハウスエディターの方だそうです。ガチ目の論考だ。

大雑把な理解としては、印刷技術、文字の出力技術の発達によって、その末端の作業、ここでは主にタイプライティングが主に女性労働者の役割となったとき、その職業に対する偏見、あるいは情報を紡ぐ主体としての立場がどのように変化してきたかということを論じる。

イントロダクションでは著者とゴーストライター(ブックライター)の関係に言及していたので、最後にはその辺に戻るのかなと思っていたが、そうでもなかった。

本ブログの最近の話題でかこつけていえば、タイプライターが女性の仕事だという観点の歴史は長そうで、ヒッチコックの『マーニー』のヒロインも職場ではタイプライティング作業をさせられていた。また、『ファミリー・プロット』では論考で言及されていた霊媒師も登場する。

というか、ライティングというか文字メディアにかかわらず、巫女という存在を思い起こせば、女性がなにかしらの媒体になって真実を伝えるというフォーマットはライティングの歴史以前、もっと人間の根本的なところにあるのではないか、と釣られて考えてしまった。ここまで。

校閲を仕事にされている方の記事だ。本記事ではあえて校正で統一されている。まぁなんというか、編集なりの校正、校閲なりに関わる人間というのはなんだかんだで文字が好きなんだなという感想だ。

本職の校正者が自分の同人の校正をやるのって大変だなと思うが、別に自分の原稿じゃなければそこまででもないのかな。その辺の感覚の話を聞いてみたい。

同人書籍の制作記録ですが、かなりちゃんとまとまっているので、これだけでかなりの価値のある記事だよね。

特にどうということはない記事だと思うのだが、やはり IT エンジニアの方はアウトラインを作ってまとめるのが上手いんだよね。これはひとつ上のカイ士伝さんの記事もそうだけど。

これも自分が言うまでもないのだけれど、そもそもインターネット文化とは、IT エンジニアの方に支えられる部分が構造的に決まっているので、そういったところから新しくなり続けるはず、という視点は欠かせないんだよね。これも記事とは直接関係のないことだけれど。

面白い。Web における文章の出力媒体とそのメソッドの変遷についての小論考だ。その目的も兼ねて、この記事は敢えて medium で書かれたらしい。ところで、このアドベントカレンダーはやはりと言っていいのか note で書かれた記事が多かった。

個人的には WordPress の記事執筆機能の UI を割と大胆に変革し続けているのが気になっており-その更新の内容自体は平凡だとしても、面白いなと思って見守っている。もとい利用している。

なにか大きな波がまたあるのだろうかね。

気になるのは、medium にせよ note にせよ吐き出される URL が汚いのだよね。特に medium はおそらくタイトルをそのまま出力するから日本語のタイトルの場合はとにかく長い。技術系の編集者やライターでもその辺は割り切っているのかな? といつも疑問に思うのであった。

といった感じで、メモを終える。