『日本沈没2020 劇場編集版-シズマヌキボウ-』を観た。もともと Netflix にてオリジナル配信(全 10 話)されている作品で、Twitter を眺めている限りでは、あまり評判はよくなかったのかなというイメージが付着している。

だが、そもそも Netflix で発表されるオリジナルアニメ作品は現状ではあまり高評価となっていない印象もある。たとえば『攻殻機動隊 SAC_2045』も評価は芳しくないようだった、これも私は好きだが。

個人的な事情といえば、ちょうど Netflix の契約が切れていたタイミングだったので配信中の作品は未見のうえ、湯浅政明監督が劇場向けに編集し直した版というのであれば是非とも見たいと思い、劇場に行けるタイミングもあったのでチケットを取った。

なお、キャッチコピーは「見届けろ。そのとき、希望は沈まない。」だ。

『日本沈没』とはなにか

そもそも『日本沈没』は原作の小説以降、いくつもの映像なりコミックなりで展開されてきた。が、私は正統続編となる小説「第二部」を含めて、最初の映画でさえ、系統作品をどれひとつとしてまともに鑑賞したことがない。原作を読んだだけだ。アンソロジーコミックス『日本ふるさと沈没』は読んだけど。

原作のストーリーといえば、小野寺という海洋学者? と田所という地球物理学者? が主な登場人物で、物語は小野寺を中心に展開する。原作の観点として小松左京は、日本が沈没するという物理的な描写の試み、および日本社会のマクロ的な在りようの思考実験を採用している、とざっくり言っておく。

なお、ここには、戦中に思春期を過ごした作者が生涯をかけて探求した「日本とはなにか」「日本人とはなにか」という問いかけも含まれるはずだ。

『日本沈没2020』とはなにか

本映画は、都内在住の姉弟である武藤歩(あゆむ)、武藤剛(Go)を主人公に話が進む。その他には、両親である父:航一郎、母:マリ、ほかに最初の被災時に側にいた近所のお兄さん(春生)とお姉さん(七海)、途中で合流する仲間としてカリスマ YouTuber (カイト)、おじいさん(国夫)、ダニエル(大道芸人)などがいる。

彼女ら、都内で被災して幸運にも無事に合流できた一家は、西に進んで安全な避難地を目指す。地理的には大阪付近、広島付近などまで進んでいくようだが、姉弟は最終的にはロシアの地に収容される。描写があったか、見逃してしまったか不明だが、ウラジオストックかな。

さて本作、どういう作品か。まず日本が沈む。これが背後で進む事態にして、本作の大前提だ。また、本記事の最後に引用するインタビューで示されていたが、この作品は、主人公の姉弟の立場から離れた光景、およびその他の登場人物たちの行動やバックボーンを語る描写はほぼない。姉弟を中心にして、彼らの視点で話は進んでいく。

どういう類のパニック作品なのか

10 話分が圧縮された一気見バージョンの第一印象は「パニック映画」で、作風としては映画『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)を連想した。細部こそ異なるが、災害、その被災で苦しみ、もがき、なんとか生き抜かんとする人たちがいる。

そんな彼らだが、生存可能なエリアはどんどんと狭まっていき、かつ、どこが安全かは分からない。出た目の運次第、道中では揉め事や敵対者も現れ、仲間も少しずつ散り、減っていく。そういった状況下でのサバイバルだ。

一口にパニック映画とはいっても、たとえば怪獣映画ではあるがそれこそ首都が崩壊する『シン・ゴジラ』は「巨大不明生物特設災害対策本部の奮闘」がテーマだ。このように作品内で具体的に描かれる内容ついてを本作で表現するならば、パニックのなかで「家族や地元を喪失しながらも自らのアイデンティティを見出す姉弟」がテーマだろうか。陳腐だろうか?

主人公を思春期の姉弟にした結果か、あるいは本作のアプローチ-しごくパーソナルな小市民にとっての日本沈没-を採用するにあたってか、本作を最もエンターテインメントたらしめる方法がこのような構成、主役たる人物たちの設定だったのだろうか。

これは誰のための物語なのか

姉弟はハーフで、父の航一郎は日本国籍のいわゆる日本人のようだが、母のマリはフィリピン出身のようだ。姉は陸上で日本の代表にも選ばれんという女の子だが、弟の剛はプロゲーマーを目指すインターナショナルな男の子だ。

姉弟で日本に対する思い入れが対照的になっており、この辺も処理しやすい。この辺の家族、親子の設定に煮え切れなさを感じた視聴者も少なくなかったようにも見えたが、ちょうどこの間の NIKE の広告がいかにも問題のように扱われる此の世の中においては、残念ながらというか、人種や国籍というテーマが現代的、かつ正面から向き合わなければならない問題であることに違いはない。やはり「日本人とは」という視点が付きまっている。

うろ覚えだが、原作の『日本沈没』にはこういった視点はなかったかもね。発表が『日本沈没』よりも早かった『継ぐのは誰か』では逆に、部分的には超克した形でその辺の視点も含まれ、描かれているので(そして根本的には解決していない!)、小松左京に当該の問題意識がなかったとは思わないが、少なくとも本作の原作ではオミットされている。まぁいい。

ハーフだろうとなかろうと、姉弟は思春期なりの不満を抱えて、ときにはそれを爆発させつつ、被災を乗り越えていくことになるのだが、最終的に日本は、ある形で希望を残すが、一方で別に日本人とかどうでもよいよね、みたいなエクスキューズも残して物語は終わる。

これは日本を描いた作品なのか

「日本」と言うときに人が思い浮かべるのは、たとえば国土か、文化か、国家か、自分の身の回りのことか、それら諸々の総体といえば便利だが、誰は何を思い浮かべるか。ところで、たとえば、物理的に失われた何かに対して、理屈をとっぱらえばそこには「思い入れ」しか残らないのではないか。

日本が沈没した後の世界を描くシーンでは、失われた日本の記憶として、日本の観光案内に掲載されるような風景を描写したカットが続いた。「鼻白んだ」という感想も見たが-気持ちも分からんではない、上述のような問いかけに対して、日本を知っている日本人、あるいは日本人以外の人たちは、日本の記憶として自らのうちに、あるいは記録として何を残すのか。

本作がもともと Netflix で世界に配信されていることも忘れてはならない。典型的な美しい日本のイメージも、作中で登場した「フィリピン出身のマリを救助しない」と拒絶する偏った思想を持った日本人たちも、どちらも日本の内外の人間が持つ日本と日本人のイメージに含まれている。そうだろう。

本作の没入しづらさはなにか

姉弟の視点からずらさないという制約が、少し軋みを生んでいることは否定しづらい。こういう方針もあるならオムニバスのように描いてもよかったのでは? というような印象もある。これが顕著に感じるのが宗教団体の居住地でのストーリーだ。

宗教団体のストーリーでは、宗教的なテーマの扱いもそうだが、どちらかというと教祖扱いされていた、やや精神的な障害を抱えている模様の子供、彼になにかしらの生きる意義を与えたいと宗教団体を設立、維持させてきたその両親こそが主題だろう。このエピソードだけ例外的に主役が、教祖の少年の母になっている。

また、なぜか身体的な能力を失った小野寺(本作では博士?)もこの宗教の療養施設で養われており、整合性みたいな説明がないのは本作においては個人的にはどうでもいいのだが、これは明らかに「生きづらい立場の人たちをどうする?」というテーマが詰め込まれている。

脚本は、現代的な諸問題をてんこ盛りにして挑戦してきているワケだが、さすがに唐突感というかピントのブレを感じないことは難しい。だが、これも眼前にあることは否定できない。あくまで、問題提示なのだ。なお、配信版では宗教団体にまつわる描写がもう少し厚かったらしい。

その他、個人的には、徒歩でロクに食事も摂れないままであろうに関東から関西、その先までよく歩けたな、などのいわゆるリアリティ周りで気になるところは幾つかあったが、本作においては割と些細な点かなと無視できた。

本作の楽しさはなにか

あらためて、本作の楽しさはなにか。まずは、最初に述べたように単純にエンターテインメントでいいと思う。仲間が減っていくというのが、まず面白くて、これを楽しむというのは倒錯的なのだが、ふいにパーティーの仲間が、ときにほんの小さなアクシデントで、あるいは大決断をして、脱落していく、そのさまが面白い。

人生は儚い。

あるいは、先に書いたように、かつてあった日本を、それを知らない日本人、あるいは日本人以外の人たちに「日本とはこういう場所であった」とどう説明するのか。そういう想像をしてみるのも本作の面白さかな。

そういうシミュレーションってしたことある?

シーンとしては姉弟が漂流しているところが好きだった。漂流という描写は何かしら幻想的になるものだ。周囲には何もない。力も徐々に尽きてくる。もともと姉弟の触れ合いがあまり描かれてこなかった本作では、この半ば絶望的な状況に至ってようやく彼らの落ち着いたコミュニケーションが描かれた。

やたらとカットが多く、プツプツと切れては漂流が続くので、このままバッドエンディングで終わるのではないかとすら疑った。あるいは覚めない悪夢か、心地よい悪夢か、すべてが夢落ちであったらどんなによかったか。そういう趣があった。

その他

劇場編集版に向け、アニメージュに以下のインタビューが掲載されていたので、こちらも参照したい。

上記のリンクを読めばネガティブな評価の中心となったポイントに対しては、大体がレスポンスされているのではないか。また、それとは別に、監督には既存の関連作品とは異なるアプローチを目指したこともハッキリする。これは、当たり前といえばそうだろうけれども。一応、以下の部分だけ引用しておく。

多くの人がもう戦争経験もなく、生まれた時から何となく「日本人」としていろいろなものを享受して、時には適当に文句も言いつつ「日本(人)は偉い、すごい」と思ったりもする。一方で、自分が日本人として何をなすべきかという芯のようなものが掴み難い。そんなぼんやりした時代に、「日本が沈没する=なくなる」という極限状況の中で、人は自分の立場をどう考えていくのだろうという「思考」の有り様を考えてみたい。そして、観た人それぞれに考えてもらえたらいいなと思いました。

https://animageplus.jp/articles/detail/34009

その他に目に入った感想では『東京マグニチュード8.0』との比較が多かったが、これってノイタミナ枠の 2 作目だったのか。そりゃアニメファンにはこちらが引っかかるか。私は残念ながら見たことがないのだよなぁ。

望月峯太郎の傑作『ドラゴンヘッド』も類作だが、もはや古い作品だし、若い人は物好きであったり、キッカケがないと手に取らないだろうしなぁ。その他、かわぐちかいじ『太陽の黙示録』は欲張りセットだし、ちょっとおススメしづらい。

追記(20220307)

ぴあのインタビューの連載で湯浅政明が取り上げられており、作品別に触れられていた。多数の作品を並行して進めていたから制作が困難になったエピソードはファンとしてはおもしろい。音響がよかったから劇場編集版の見通しがたったというのも嬉しい話だ。

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