誰が何を見捨てて、こういうことになったか|『私は告白する』《I Confess》

ヒッチコックを観るシリーズ『私は告白する』《I Confess》の感想です。邦題だけ読むと、またようわからんロマンスかな? となるが、原題によって宗教的な、懺悔の類であることがわかる。

冒頭で教会を大きく映したカットが出てきて、なるほどともなったが、あまりにもその通りだった。そして、本作はとても面白かった。なお、割と無軌道に鑑賞しているため、ヒッチコックの作品としては『山羊座のもとに』後、本作の前の『舞台恐怖症』と『見知らぬ乗客』はまだ未見だ。

はい、あらすじ。ドイツから亡命したある教会の下男を務める男:オットーが殺人を犯し、若い神父:ローガンに懺悔する。この懺悔は男と神父との間でのみ共有される。ところが事件の解決に向けては神父が容疑者として浮上することになり…、といったプロットだ。

まぁね、もう最高に面白かったので個人的な思い入れから話すけど、オットーの妻であるアルマが抜群によかった。あまり俳優さんの話をするつもりはないのだが、彼女は、ドロシー・クララ・ルイーズ・ドリー・ハース(Dorothy Clara Louise “Dolly” Haas)という名前で、ドイツ系のアメリカ人なのだとか。本作に出演した時点では 43 歳くらいか。役柄もあって作中では素朴で質素な印象だが、どうにも美しさを隠しきれない。私のなかでは主演ヒロインのルースを完全に喰っていた。

オットーはアルマにも犯罪を告白しており、それを隠し通すために証拠品の偽装にアルマを協力させている。アルマと夫との愛情、あるいは連帯もたしかにあるようだが、どうにも彼女のスタンスがしっくりこない-それは身内に犯罪者が生まれてしまったという状況ゆえに当然なのだが。

なんなら私は、 “I Confess” というタイトルは彼女:アルマのためにあるように思うのだ。クライマックスで機転を生むのは彼女の愛なんだよね-神父への愛というのではなくて、神への愛の類と言ってよいだろうか。彼女は動転して狂ったオットーの凶弾に倒れるのだが、その最期も実に素晴らしい。

『三十九夜』の感想で述べたが、『三十九夜』では、ほんの数シーンにしか登場しなかった田舎の若妻マーガレットが、逃亡中の主人公を逃がしてくれたシーンが最も印象に残っている。本作ではアルマもほぼ同じ役割を与えられており、「主人公の無罪を知っている」、いわば天使なのだ。そして彼を救うのだ。なんともよい。

手放しに誉めている。

映像としてよかったのは、クライマックスの入りのあたりか。裁判に入る手前あたりの状況、教会でローガンとヒロインのルースが秘密話をしており、そこに懺悔の少年が来る。ローガンは懺悔室に入る。すると、オットーが新しい花をもって教会に入ってきて、去り際のルースとぶつかる。

ポロポロと花を落とすオットー。懺悔室から出てきたローガンを彼は追い、警察に自分を売るのでは、自らの保身のために、とローガンを捲くし立てる。2 人は教会の中央の廊下から祭壇の正面、奥を横切り、裏方へと移動していく。このやり取りが始まって終わりまでの一連のシークエンスがよかった。

オットーのローガンを責める文句は完全に破綻してるのだが、勢いはよい。ローガンは懺悔を他言しないという戒律を死守しつつ、オットーの傲慢な主張を聞き入れるのみだ。このときのローガンの表情が絶品で、アルマの最期とよい対比にすらなっているのではないか。

ローガンは自分の保身のためにオットーの懺悔を社会の日のもとに曝すくらいなら身をくらませた方がよいくらいまで考え、街を彷徨ったが、最終的にはそのまま法廷に立つことを選んだ。この逡巡もよかった。そしてアルマの最期に繋がる。

ローガンとオットーの関係性に触れておくと、ひさびさに戦後というテーマが採用されている。ローガンは復員兵であり、オットーは亡命者である。2 人とも戦争で傷を負った、人生を狂わされたバックボーンを持っている。オットーは最期のほうはもうよく分からない状態まで錯乱、興奮していたが、彼は身勝手ながらもローガンに対してなにかしらのシンパシーを持っていた(おそらくローガンからオットーに対しても)ので、逆に、こういう悲劇になったとも言える。

その結果と言えば、まったく同じではないが、ローガンは恋人を失い、オットーは妻を失ったのだ。となると、クライマックスで、ルースが夫を連れて帰ろう去っていくのが無常でまたよい。オットーとローガンのやり取りに彼女は何を感じたのか。あまりにも断絶が大きい。

なんならば、人間は皆が皆、あまりにも身勝手だ。