爛れた読書をすることなかれ

前回の雑記に書いた Kindle のフォント問題だが、書籍データの同期の不完全が原因だったようで、しばーらく同期の完了を待ったのちに実行したらほどなく完了した。身も蓋もない結果であった。

『暗黒森林』の上巻をパラパラと-スマホの画面で読んでいてこの擬音語もおかしいか-読み進めている。おもしろいっちゃおもしろいが、なんとも表現が淡々としているように思える。まだ序盤だからだろうか。『三体』のときの感触は忘れているので比較もしづらいのだが、こんなもんだったか。

そもそも前作までの展開はほぼ記憶しているものの、登場人物をあまり覚えていないのであった。が、そのへんは雰囲気で読んでいる。話は変わるが先日、《推理小説の読み方がわからない(追記有)》という記事があった。推理小説の楽しみ方として、きちんと推理に参加する楽しみ方を扱った内容だ。

私もさすがに「ノックスの十戒」や「ヴァンダインの二十則」は知っているが、推理小説は推理に参加せずに楽しむタイプだ。考える過程を楽しむ前に物語そのものの展開に熱中してしまう。同じタイプの人間としては、上記で引用した記事の執筆者の葛藤も分かる。だが、いまさら推理作法を身につける気にもならない。

似たような話としていいかわからないが、長編のロシア文学作品では登場人物の氏名があやふやになることがある。これも本来は都度に同定したほうがよかろうが、雰囲気で読み進めてしまうことが多い。いずれかの段で前の展開と交錯したとき、「あぁこの人物だったね」となる。

これは乱読の類だろうな。