昨秋ごろだっけか、Pouhon(ぷーおん:どういう意味なんやろか)さんの『Obsidianでつなげる情報管理術【完成版】』を読んだ。Kindleでハイライトは引いたが、特に何もメモ等することなくそのままだった。最近、ようやくKindleのハイライトをObsidianに繋いだので、なんとなくメモ化した部分を感想として放出しておく。

分類のトップダウン、ボトムアップ

メモの使い方とその管理方法にまつわるトピックと認識しているけれど、つまるところ既存のカテゴライズ(の通り)でメモしても、生かしづらいということかなと。

創発というのは梅棹忠夫でも川喜田二郎でもそうだけど、収集したメモの狭間から生まれると、そう言っておられるからな。ということは、話はボトムアップのメモをどう肉付けしていくかになる、のか。

クイックメモ

コミュニティプラグインの「クイックメモ」が推されている。このプラグイン、実際に最強だとはわかるが、どうにも導入する気になれず、試してもいない。じゃあなんでメモしてるのかというと、気持ちや環境が適しているひとは使うべき、絶対、ということで。メモのための準備というハードルがメモを阻害しているならそんなバカなことはない。それは解消していこう。

ただ、いまの自分のメイン環境には適用しづらい。

軽いタグとウィークリーノート

これは採用させてもらった。おそらくタグの最短経路というか、タグってこう使うと便利やぞという最もシンプルな例ではなかろうか。私の場合は、Obsidian Memos を使って最低粒度のメモを放り込んでいるが、ただのログもあればアイデアもあって、もちろん後者に紐づけしている。

これが、ウィークリーノートを作るときなどに役立つ。このウィークリーノートだが、「気合のあるひとだけがやっとけよ」と、10年以上も何度か試みては失敗して呪詛を吐いてきたが、『SECOND_BRAIN_時間に追われない「知的生産術」』でティアゴもやれって言ってたので、回心しました。僕もやります。

個人的には「振りかえり」が想起させる語の感触よりも、「抽出」や「再発見」のニュアンスを求めたほうがモチベーションに繋がる気はした(上述のディアゴの受け売り)。この作業をしておけば、仮に過去を浚うことになったとき、週ベースで労力が 1/7、これに月ベースの 1/6 、年間ベースの 1/52 と倍々(であってるか?)されるんだからどう考えてもお得で、やらない意味がない。割と意外性があるし。

積極的死蔵

メモを無駄にしない方法が前提になるとはいえ、「積極的死蔵」も重要じゃないの? と Pouhon さんは問うている。まずメモのハードルを下げる意味合いはあると思う。目的次第だけど、すべてのメモをハイカロリー(たとえばプロパティがっちがちとか)で残すような気合も人類にはないわけで。

私は最近、タグは[Archive]に棚入れするときにすれば十分なのではとなったのでそうしている、上記の軽いタグを除いて。また、リンクもそんなに意図的に張らないようになった。体系化したい情報や学習の場合は別かもしれないが、あんまりアトミックノート(?)的な運用もしていないし、なんだかな。もう少し標準化できそうな気もするけれど。

結局のところ人生なんて生物なんて、その活動のほとんどは死蔵なんじゃないのという自然の摂理があるんじゃないのか。つまるところ、それ自体が自然なことなのだがら、むしろ積極的(とはいわないまでも)にこの戦略をとることこそがナチュラルなのかもしれない、というのが積極的死蔵の意味なのかもしれない。

とまぁ、こんな感じだろうか。

迷える Obsidian ユーザーは読んでみたらいいのではないでしょうか。

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