ひょんなことから「大魔神」シリーズを観ることになった。シリーズ3作を見終えたので、メモを残しておく。

『大魔神』

時代背景もわからなかったが、冒頭は絹かなんかを織る女性と床の間にいる男2人、地震か知らぬが大地が揺れる。「おぉ、大魔神が怒っている」みたいなことを言い出すので、なんと早い説明なんだと感心するも、まだ時代背景はわからない。5カット目くらいでようやくチョンマゲの殿様なんかが出てきて、あぁ江戸時代くらいかと理解できた。時代劇&特撮ということだった。その辺の理解すら曖昧だったよね。

調べ物もせずに書くが、これは地震のメタファーなのかなと思ったりもしたが、別にそういうこともないのか。天災か、あるいは大魔神がどういう存在なのかはよくわからないまま進んでいく。

本作、殺陣だとか刃傷沙汰だとかで血がほとんど見えない。だが例外的に血が流れるシーンがある。ひとつ目は、魔神像に鏨(たがね)が入るところだ。像の額から血が飛んで流れる。泣き叫ぶ雑兵ども。地割れが起きてなんか偉いやつごと飲み込まれる。そして誰もいなくなる。おっそろしい。

ふたつ目は、大魔神が悪役に鏨(たがね)を返却するシーンで、さすがにここは少しは血でも見せないとおかしいとなったのか、それとも当初から核心的か、鏨が打たれた腹もとあたりが赤くなっていた。悪役と彼の兵士たちが大魔神と追いかけっこするシーンは、スペクタクルだけど展開としてはギャグじみてもいた。

とはいえ、最後の悪役と、そのひとつ前で彼の侍従(?)が巨大な手で翻弄されるシーンは圧倒的でおもしろかったね。あと、ドラえもんの長編作品のいくつかのイメージが連想されることも多く、藤子・F・不二雄もこのイマジネーションに寄りかかってるところは大きかったんじゃないかなと思った。

『大魔神怒る』

第2作目。西の御子柴領、中央の千草領、湖を隔てて東の名越、3つの領が争う土地が舞台となる。序盤で早々に解説されるのでやさしい。魔神像は、湖の中央にある神の島の社の奥に鎮座している。御子柴が千草を落とし、そのまま名越も占領し、前作同様に領主勢を粛清しようとした矢先、千草の姫である早百合の涙に大魔神が本格的に覚醒、大暴れして悪人を成敗する。

中盤時点で魔神像が破壊されるが、水中から魔神のチカラが垣間見れるシーンがちょいちょいあって、それがおもしろい。前作は地割れこそあったが大魔神の恐怖っぽさはそこそこ、今回は水中から襲ってくるなぞのエネルギーは恐怖感がありました。

地味に3つの地域が絡み(舞台はほとんど名越だが)、登場人物の動きも前作よりはやや複雑になっていてよかったが、どうみても猪突猛進して悪役に嵌められていく主人公勢はどうなんだとは思う。まぁ、大味でいいんだ。

ヒロインの早百合を演じる藤村志保、名前は一致していなかったが、近年のお顔を拝見したらドラマで何度か登場されているは知っていた。キャストがほとんどわからないもんだから、こういうのは大事だね。

湖が割れるシーンは『十戒』(映画は未見)がモチーフだというのはわかるけれど、水中から鐘がなる演出は『沈鐘』という映画が元ネタだそうで、しかし、これ、マスターキートンでも同じネタがあったので、同根なんだろうなとは。

大魔神が暴れるシーンは、前作のほうが好きかもしれない。大爆発に動じないのはいいけど、良くも悪くも前作ほどのインパクトは感じず。

『大魔神逆襲』

1作目のようなスタートで始まる。つまり大地震でどこかの家屋が壊れる。ただ、それも大魔神という設定の説明のためだったので、なんだかな。今回も、第1作目と同様、どのような舞台なのかよくわからんスタートであった。

割といきなり子供4人が旅に出る。唐突だ。子供達の演技はなかなか厳しくて、私などは「学校の怪談」シリーズにはいくらか直撃した世代ではあるのだが、やはりというか時代を経るほどに子役の演技も上手くなっていく。それがいいことかどうかは置いておくとしても、しかしまぁ、今作の子役の演技はところどころで厳しい。

展開は割とシリアスというか、おそらく過去イチで被害者の印象が強い。何より、小さい子供もひとり、犠牲になる。他の3人もなかなかギリギリ生き残ったという体だし、この辺でバランスを取ってはいるんだな、ということはわかった。ちゃんとキーパーソンが命を投げ出すのも、今作が初だよね? 劇場でみれば、緊迫感は増大しただろう。

魔神の造形、相変わらず縮尺は謎だが、今回は腰に下げている刀剣は使わないのかな? というか以前まであったかな? と思っていたら、思いっきり活用したので、これは気持ちよかった。

そういえば、第1作目の感想でも書いたが、今作でもドラえもん映画が影響を受けたのか? みたいなシーンがあって、子供がひとり夢のなかで雪のなかを行くというイメージが「日本誕生」を連想させてくれた。原作にあたるマンガの描写ががどうだったかは定かではないが、映画のスタッフに影響を受けたひとがいても不思議はないのかなとも。

しかしまぁ、その他の点は概ね従来通りなので、もはや目新しさがないというか、厳しい。しかもこれ、1966年の1年以内に4月、8月、12月と公開してるんでしょ、映画としては現在からしたら狂気の沙汰のように思える。ネット配信の作品や、特別興行みたいなのならありうるようには思うが、それにしてもな。

3作品、特に最後の作品の子供たちが右往左往する(ように見える)山中のロケーションは流石によくて、Wikipedia によると奈良県と三重県の県境地帯の大台ヶ原山だそうな。それなりに撮影しやすいエリアを選定してるんだろうけれど、これはなかなか大変なことだろうな。

というわけで、私の「大魔神」シリーズについては、おそらくこれで終わりだ。

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