いたるところに至らない愛があった|『鳥』《The Birds》

『鳥』《The Birds》を観た。1963 年の作品だ。ちょっと惰性っぽくなっているヒッチコックマラソン、そろそろ区切りをつけたい。本作は、私の世代でも TV で放送されているのを何度か見ている。今回、観ようかどうか迷ったけれど、あらためて見たら、内容はほとんど記憶に残っていなかったので、見てよかったかな。

冒頭、前回の『サイコ』の感想で述べたが、さっそく階段をうまく使ったシーンが出てくる。これ見よがしに、とも言いたくもなる。この階段があるペットショップだが、これは実際の建築物ではなくてスタジオセットかな。であれば、割と大掛かりとはなるけれど、それでも『裏窓』ほどではないか。

のっけから主人公:メラニーの行動原理がわからないが、気にしても仕方なかろう。不躾な嫌味を投げかけてきたミッチへの善行による意趣返しという面が大きいのかな。メラニーは、大新聞社の令嬢として社会貢献的な振る舞いを心がけようとしている節がある。これが明かされるのは中盤ほどのことだ。

メラニーが鳥の襲撃を連れてきたというような側面も強いが、それを否定する材料も用意されている。どっちでもいいけれど。メラニー来訪が何を脅かすかといえば、それはミッチを囲んだ環境だろう。けれど、これは視点を変えれば上述のようにミッチにとっては因果応報ともいえるだろう。なぜなら、メラニーを取り巻く噂は、父のライバル社がばら撒くデタラメのようだからだ。

さて、ミッチの環境とはいうが、ざっくりと言えば、彼の母親だ。ミッチの母:リディアは、過去 2 作から継続されてきたトピックである母子のやや屈折した関係を担っている。本作では、この状況は彼女の唯一の寄りどころであった夫の死に因るところが大きいようではある。

で、いきなりクライマックスの話をするけれど、最後にとうとうリディアは、息子でも娘でもない第三者として新たに、リディア本人を頼ってくれるひとを獲得した、たとえそれがその場限りのものであってもだ。

ざっくり言って、本作の人間関係におけるテーマこそリディアが背負っているようにしか思えない。鳥の襲来という出来事を別に置いたとき、一番メンタルがアッチャコッチャしていたのも彼女でしょう。メラニーは一貫して強いし、アニーは残念ながら脱落するし、他にめぼしい登場人物はいない。

そういえば、メラニーとともにボガデ・ベイに来た存在が他にいた。二羽の愛の鳥である。野暮な考察となりそうだが、鳥たちが襲おう、あるいは救おうとしたのが、この駕籠に入った愛の鳥であった、と考えてはどうだろうか。

愛の鳥は駕籠に囚われたままボガデ・ベイを去ることになったのか、それとも何かしら救いを得て、あるいは人間らに救いをもたらしたのか。意味付けはありそうだけれど、なんだろうね。