《揺れる大地/La terra trema: episodio del mare》を観た。ひさびさに、スコッセシおすすめ外国映画マラソンを走る。 160 分の映画で、ヴィスコンティ監督の初期作品にしてネオ・リアリズモとやらの代表作とされる。

シシリアの現地の漁村の人たちを役者として採用し、撮影している。

日々の生活の糧を稼ぐので精一杯の漁村の漁師たちと彼らの生活、そのなかで戦争帰りの長男が稼ぎ頭となっている一家の抵抗を描く。一応、三幕構成ととらえていいのかな。現状と問題提起、つかの間の成功、失敗と顛末、となっている。抵抗はあえなく失敗に終わり、ツラく、どうしようもない日々が延々と描かれる。

門あるいは窓越しの奥行

室内にせよ屋外にせよ、一家の暮らす部屋と部屋をつなぐ出入口、あるいは一家の家屋へ入るための門、あるいは周囲の窓との関係をうまく捉えた構図が多発する。それぞれをフレームと見立てて、奥行きを出しつつ、画面をキメる手段なのだろう。

序盤、漁から戻った兄弟が部屋で着替えをすますシーン、成功して調子に乗っている長男が庭に横たわったときに奥にある家屋の二階の窓がグッと中央に配置されたシーンなどが印象的だった。

ラッキーストライクのこと

すぐ下の弟が職を失ったのち、外からやってきた人間に連れられて家出同然に出稼ぎに向かう。これ、どういうニュアンスなのだろうか。どうにも真っ当な仕事ではないのではないか、という気がしてしまう。

とにかくツラい

《無防備都市》、《戦火の彼方》と比べても生々しい。直接に命を奪うような明確な敵がいるわけではなくて、彼らを悩ませるのは日常であり、なんなら仲間であり、身近な関係そのものだ。貧乏から抜け出すために頭を使おうと、リスクを背負おうと、失敗した途端にゼロ以下からのスタートに陥ってしまう。

これは明らかに、彼らを取り巻くシステムに問題がある、と考えるのが現代的にも真っ当だろうが、現実はそうではない。

特に同じ漁師仲間が構成するであろう組合の態度は、悪意の塊そのものでー卸業者よりも悪質に見えた、これが本当に素人の演技だろうかというえげつなさもさることながら、あまりの毒々しさに思わず目を背けたくなった。

あまりクローズアップされないが、下の妹が、おそらくではあるが警察署長だかに手籠にされたような展開になり、ブチ切れてから家を飛び出たのちにまったく姿を現さなくなったのもえげつない。ナレーションでは表現が柔らかくなっていたが、その後に登場しないということは彼女の結末も明るいものではない。そういうことだろう。

祖父の入院という状況のナレーションもよくわからなかった。入院したという表現で説明はされていたが、どう見ても亡くなったような描写であった。病院といったってまともな治療を受ける余裕などあるわけがないのだから、教会に付属する看取り所みたいなところでしょう。勝手な想像だけど。

とにかく救いがない。面白みを見つけるのが難しい。

なんか課題が残るな、こういう作品の鑑賞については……。敢えて言うなら、現代にも通じるどこにでもある問題とはいえそうなので、そういう意味で本作のテーマは、戦争などを描かなくても常に身近であり現代的な社会問題の縮図であり続けるという視点はあるか。

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