ルンルンと生きる|《劇場版マクロスΔ絶対LIVE!!!!!!》

《劇場版マクロスΔ絶対LIVE!!!!!!》を観た。前後編の作品だが、前編《劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ》は鑑賞していない。だが前編は TV シリーズ本編に相当するので、少なくとも物語を追うには影響は、ほぼ無かったようだ。

もともと TV シリーズは放送当時に 3 話ほどで挫折したが、今年になって何となく時間のあるときに完走した。なんだかんだで完成度は高水準といっていいだろう。今回の映画(後編)をみて気づいたが、映画版(前編)はハヤテとフレイヤの出会い、およびハヤテの小隊への参加の経緯がおそらく TV シリーズから設定変更されているのかな。

初代、および「マクロス7」のマックスが登場したり、作品世界における謎を握っているとされる初期の船団が絡んできたりと、プロトカルチャー文明までおよぶ全シリーズの総括も近いという観測もあるようで楽しみだ。それが実現するなら立ち合いたいものだ。

同時上映された短編《劇場短編マクロスF 〜時の迷宮〜》も見た。マクロスF 劇場版からの 10 年後だとかのストーリーで、やはり遺跡絡みで話が進む。この記事を書くにあたって気がついたが、時系列的には「マクロスΔ」が「マクロスF」の 8 年後くらいの時代設定らしいので、この短編は「マクロスΔ」の騒動が終わったのちの出来事と言っていいのかな? その辺に設定が生かされることがあるのかは、よくわからないが。

短編についてだが、マクロスF はやっぱりシンプルなのがいいし、楽曲も分かりやすくていいね。アルト君が見つかるといいけど。

こまごまとしたことなど

3Dライブ

序盤、もはや最新のスマホゲームなどではアタリマエのように活用されている 3DCG キャラクターを贅沢に活用した映像が流れる。曲もよかったし不満はないのだが、アレを劇中で主に舞台の下側で鑑賞している市民たちには、あんまり楽しめる画にはなっていなさそうだなと、勝手にツラい方向に共感していた。

マックス

「マクロス7」はほぼ未履修なのだが、初代からのキャラクターが老いてもなお活躍してくれる姿はいいですね。最大のファンサービスとも言えるだろうこの登場には胸が躍る。実際、最新のヴァルキリーを駆った彼に敵うパイロットが居らんやん。それってどうなの? とは思うけれど。彼が異常なだけかな。

話が逸れる。歌の力が物語の趨勢に決定的に作用するというテーマを本格的に掘り下げたのが「マクロス7」だと思うが、F や Δ では、主人公やその機体の能力に決定的な底上げを施す装置になっているよね。それが正しいか否かは難しいけれど。

三雲さん

三雲さんは彼女の出生の秘密やらなんやら絡んで、物語の後半からは半分くらいは等身大の彼女というか、やや天然ポンコツ気味が強まる。のだが、やっぱりファンとしては妙に自信満々というか、ミステリアスさを醸す彼女も見たいわけで、その辺はちょっと味気無さを感じた。ワルキューレのメンバー全員に重みを与えるのも難しいだろうし、ツラいところだ。

話が逸れる。ワルキューレの存在や演出について、他作品の影響などはとんと知らぬが、TV シリーズ放送当時時点で、すでに「シンフォギア」を通った身としては、歌を歌いながら戦闘の現場にどうやって歌姫がコミットする演出を見せるのか、みたいな工夫はあったのかなとは常々考えており、その辺の試行錯誤はおもしろい-歌って戦う少女ものが他にあれば、それは知らないのだけれど。

対バン

これは他の人の感想からのイメージだが、言われてみればポスターには「歌合戦」とあるが、それにしては敵役の歌姫たちはそれがマヤカシであったという点も含めて、あまり印象に残らなかった。歌という意味でも、存在としても、だが。これは設定が勝ちすぎていて仕方ない面もありそう。

話が逸れる。クライマックス後の彼女だが、作中における人類(というか味方)サイド側の最強の歌姫候補ということにはなるんだろうな。諸々の余談と絡めても、今後のストーリーが気になる。

絶対ライブ

マクロスの定番といえば、必ずしも思い合う同士がキレイに結ばれたままにはなりづらい、という点だが、本作でも踏襲された。これは本当に見事で、TV シリーズの結末ではフワッと片付けられた課題に対し、本作のエンディングは力強く結論に手を付けて、それが見事に感動に結びつけられた。

彼女の覚悟は、なにも作中の SF 的な設定に限った話ではなくて「同じような状況で私ならどうする」という問いかけにするに難くない。こういうのがいいんだよね。

いや、すばらしい結末だった。最初の TV シリーズから時間が離れすぎているのが最大のボトルネックと感じているが、もっと多くのひとがみても楽しめる完成度だとは思うんすよ。