無法と正義と無辜の市民たち|《真昼の決闘》

本年 9 月に 午前 10 時の映画祭 で鑑賞した記録が残っていたが、ここには何も記していなかったようなので、書いておく。《真昼の決闘》を観た。

1952 年の作品ということで、ヒッチコック映画でいえば《見知らぬ乗客》《私は告白する》と重なる時期か。主演のゲーリー・クーパーはほぼ初見な気はするが、ヒロインのグレース・ケリーは、ヒッチコック作品で何度かにしたので、流石に覚えていた。

作品背景としては、冷戦時代の赤狩りとその影響がハリウッドでの製作体制やコンテンツの内容にまで深く入り込んでいたようで、メタにもベタにも影響が大きく見られるとのことだ。が、その影響を特に内容に対していかに見出すべきかは難しかろう。

あらすじ

ケイン保安官はエイミと結婚し、町の保安官を辞して旅立とうとしていた。一方、ケインが以前に逮捕して刑務所送りにしたならず者フランク・ミラーとその仲間たちが復讐を誓って町に接近していた。

辞職済みとはいえケインは町を守ろうと奔走する。平和ボケした市民、またはフランク時代のほうが景気がよかったと嘯く経営者らは積極的に協力しようとしない。ケインとミラー達、それを見守るエイミたちの行く末は如何に。

ケインの覚悟をどうみるか

ケインの正義感あるいは使命感-あるいはそれ以外か?-、を見ていると単純に受容しづらいモーメントが生まれる。もはや職務ではなく、新婚ほやほやのパートナーも隣にいるはずで、市民も対処に乗り気ではない。何が彼を突き動かすのか。

クライマックスでの決着後、事態をこっそり隠れながら見守っていた市民たちは彼の周りに駆け寄って賛辞を贈る。だが、ケインは保安バッジを地に叩きつけ、町を去るワケだが、その様子は怒り気味だ。

「なにをいまさら」という気分だろう。そりゃそうなんだけど、なかなか難しい。

彼に協力したいと声をかけた正保安官希望の若造には理由をつけて頼るそぶりも見せず、同時に引退した老いぼれには頼ろうとしたり、もちろんそれには理由はあるのはわかるが、切羽詰まった状況に対して、ポリシーを貫くにも加減はあるだろうなどと見てしまう。

最終的には、むしろ、人事交代のスムーズに立ち行かない結果の現状が対処のままならない原因であり、その歯がゆさがリアリティに富んでいて心臓に悪い。

あくまでケインの正義、善意-あるいはそれ以外か?-が町の平和を守ったという事実だけが残る。

決闘シーンもよかったが、オープニングでフランクの仲間が彼の帰還を迎えるために待ち合わせしているシーンがとても素敵だった。西部劇、あまり見ないのだが、敵役たちが時間を潰したり、たむろしていたりするシーンがキマッていることが多いな。