『メトロポリス』《Metropolis》(1926)を観た。ヒッチコックマラソンの次には、スコセッシがフィルムメーカーを目指す若者に勧めたという映画 39 本を走ることとした。以下のブログで紹介されている。その 1 作目が本作だ。

視聴したメディアだが、ニコニコ動画に分割で投稿されているバージョンを観た。パブリックドメイン化されている作品とはいえアウト寄りのグレーゾーンな気はするが、 1972 年に US でリバイバル上映された版の DVD 化されたパッケージがベースらしい。比較的画質がよいという情報を目にしたので、こちらを選んだ。

鑑賞した作品は 100 分程度だが、バリエーションがさまざまあるらしく Wikipedia に記載のドイツでのプレミア公開時のバージョンは 210 分となっている。現行で入手しやすいのは 2010 年だかに発見されたフィルムがベースになった 150 分版らしい。

背景に資本主義 VS 共産主義 という構図を取っているらしい本作は、労働者の思想的支柱:マリアを廻った思惑を軸にして物語が進む。マリアに感化された若者フレーダーは、労働者たち、および支配者階級とそのボスである父:フリーダーセンとの橋渡しになろうと奮闘する。その他、ロボットを開発する発明家トロワングが登場する。

大量のエキストラを動員した労働者たちのシーンもすごいが、地下世界や洪水のシーンなどなどを含めて、どういう規模のスタジオ? ロケーションや美術装置で撮影しているのか、ちょっと分からない。すごい手が込んでいる。お金も相当に費やされたらしい。

ロボットが偽のマリアとして覚醒するシーンは、やたらと技術が盛り込まれており、半端ない。この撮影の裏話みたいなのは記録は残っているのだろうか。

マリア、彼女に扮したロボット役を務めたブリギッテ・ヘルムの演技が白眉で、労働者の支えとしての女性像と、トロワングの指示によって労働者を扇動する魔女としての女性像、両極端のキャラクターを担った演技には惹きつけられる。

また、世界観を映し出す未来都市の遠景画面にはミニチュアによるジオラマが採用されていると思われるが、これも下手な安っぽさを感じさせられず、この時代からすでに、特に映像的な SF のイメージについても、かなり完成していた-現代がそんなに差を生み出せていない-ことがわかる。

フレーダーの父、支配者の頂点に立つフリーダーセンの「ひとはなぜ地下に魅惑されるのだ」(意訳)のような台詞が最も印象的だった。なんとなく考えるには、空に魅せられてもしかし、人間は地下を生み出さざるを得ない構造のものに社会を作っているのではないか。上手いことを言ったつもりだ。

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