『吸血鬼ノスフェラトゥ』《Nosferatu – Eine Symphonie des Grauens》を観た。1922 年の作品なので、前回鑑賞の『メトロポリス』よりも 4 年前の作品ということになる。ムルナウ監督という名前くらいは知っていたが、ちゃんと見るのは初めてだ。

この時期のドイツ映画について個人的なメモだが、雑駁には 1920 年代くらいのドイツ映画、もとい絵画や建築など幅広い藝術分野での活動、そこに見受けられる形式を「ドイツ表現主義」と呼ぶ。先日の『メトロポリス』も本潮流の作品とされる。

2 作しか観ていない身で言うのもなんだが、暗くてファンタジックな物語、それが現実への風刺としても機能しつつ、といったところが映画におけるこのムーブメントの特徴なのかな。以下のページの説明が何となく理解の助けになった。

というわけで、作品の感想を残しておきたい。今回もニコニコ動画にアップロードされていた版を鑑賞した。

原作はブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』であり、本作は契約を経ずに翻案する形で映画化したらしい。細部の設定はやや異なるようだ。人物名もドイツ名に変更されたとあるが、鑑賞した版に出てきた英語文章および日本語字幕では原作の人物名で表記されていたような気がする。面倒なので、以降の文章の人物名などは Wikipedia の記載に従う。

ついては、まずは自分なりにあらすじをまとめる。

青年トーマスは不動産屋のノックに指示されて契約のために、ルーマニアはトランシルヴァニアにあるオルロックの居城へ向かう。もうすでにノックの状態が何かおかしい。それでも陽気なトーマスは、愛妻エレンを友人宅に預けて出張に赴く。旅先、目的地を前にした宿で「吸血鬼の書」だかを目にしたトーマスは、これを一笑に付してオルロックの下へ向かった。直後、悲劇に見舞われてドラキュラを信じる。

トーマスの持つ妻エレンの写真で彼女に魅せられた吸血鬼オルロックは、海路で彼らの住居であるドイツのヴィスボルグに向かう。遅れてトーマスも陸路で追いかける。オルロックが海路を選んだ理由が不明瞭だが、船倉ならずっと真っ暗だからとかなのかな-単純に原作に寄せただけだろうか。しかし、遅れたトーマスは陸路でスピードを稼げた分だけ、2 人はほぼ同時にヴィスボルグに到着する。

不動産屋のノックはオルロックの来訪に歓喜してとうとう本性を露わにして、街を恐怖に陥れる。それと並行してか、謎の疫病が街に広がり、外出禁止令のようなものが箝口される。なんともタイムリーなトピックである。

オルロックはトーマス夫婦邸の向かいにあるボロイ家で暮らし始め、エレンを襲撃する機会を謀っている。そもそもエレンは超常的にオルロックの存在と危険性を感知していたが、トーマスの持ち帰った「吸血鬼の書」を読んでヒントを得、オルロック退治を決意する。

そして、オルロックを見事に誘い出し、決着としてはオルロックは日の出の朝日を浴び、消滅する。ところで、解説を読むとエレンはオルロックと結果として相打ちとなったらしく、クライマックスでは亡くなったようだ。これは、わからなかった。以上があらすじとなる。

話として印象的なことなど

エレンが自分を無垢だと自覚してオルロックをやっつけようとなるのが興味深かった。本作における無垢の定義とはなんなのか。どうして彼女は自分を犠牲にできたのか。並行してというか、トーマスが完全に道化なのも気になる。何の役に立っていないばかりか、不幸と不吉のフラグを立てつづける行動しかさせてもらえない。

映像的として印象的なシーンなど

特殊撮影といってよさそうなシーンがいくつかあったのかなぁ。オルロックのひとつひとつの挙動だとか、ラスト付近でスーッと透明に消えていく箇所とクライマックスの消滅のしかたはたしかに特殊な撮影技術だろうかね。

なんとかいう教授が「吸血鬼」を解説するシーンで、ハエを捕まえる食虫植物、エサを摂取する細胞生物、巣で捕えた獲物を処理する蜘蛛などのアップが映されるシーンがある。ここらへんはたまたま保存状態がよかったのか、映像もそこそこ美しくて印象深い。

その前段階のトーマスがオルロック邸に向かう途中、放牧された馬を狙う狼のカットもあった。いずれもこれらは吸血鬼、つまり捕食者と狙われるエサという関係を重ねるイメージであることには疑いようはなかろう。こういうイメージの使い方は現代でも多いだろうし、そういう意味では逆に新鮮だった。

話中では暗い時間であるはずだが、撮影技術かフィルムや機材の限界か、そうは撮影できていないシーンが多い。これは特に初期のモノクロ映画ではよくあることのはずで、それらのシーンは明るい。だが、ひとつだけだろうか、暗闇の中で灯りをともして明るくなるシーンがあった。これは印象的だった。

今回は以下のブログの記事が目に留まった。たしかに怪奇作品ではあるものの、裏テーマとしては疾病の恐怖、見えない恐怖への市民の恐慌状態のような視点が、見た目よりも大きいように考えられる。

あと劇版がよかった。現代音楽風の音の使い方だけれど、恐怖を煽るような演出がしっかりなされている。

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