物事を多角的に捉える|『間違えられた男』《The Wrong Man》

ヒッチコックマラソンです。『間違えられた男』《The Wrong Man》を観た。ヒッチコックのなかでは、異色の作品にあたるのかな。冒頭で実話を基にした作品だということを監督本人が語るシーンが用意されている。真剣味が違う。

実在の事件が存在する作品といえば『ロープ』もそうだが、こちらは映画の脚本のベースに舞台劇の脚本があった。事件の背景も大分に手が加わっている。一方で、『間違えられた男』は原作と脚本がマクスウェル・アンダーソンということだが、映画のための書き下ろし脚本なのだろうか。結論としては事実への脚色具合はわからん。

半世紀以上も前のことだから、警察の杜撰な捜査など現代以上によくあったことだろうけれども、被害者の証言や雑に鑑定された筆跡鑑定などから主人公:マニーは強盗の容疑者に仕立て上げられていく。

とはいえ当時といえど、もう少し強く主張すればそのまま留置場、刑務所域は免れたようにも思うが、そんなことはないのかね。突然に容疑者として事件に巻き込まれたらマニーのようになってしまうような気もする。その辺のリアリティはエンターテインメントととしもかなり重視されている雰囲気はある。

つまり、前半の醍醐味は翻弄されるマニーであって、留置場に入れられたマニーの苦悩の表情を中心にカメラがぐわんぐわんと動くシーンは凝っていて印象的だ。刑務所の格子に囲まれた階段だとか、牢獄の扉の窓越しのカメラワークとか、まぁ目に映える映し方ばかりなんだ。

輸送されていくマニーの俯いた表情や視線、足元の覚束ない雰囲気なども大きく見どころで、こういう無辜の人物がハメられていく作品は実に心が痛むので負荷も大きいのだが、映像の面白さについついのめり込んでいく。追いやられていく。

追い詰められていった男と女

この作品、実話がベースになっているという点も含めて、生活がカツカツな人物が主人公というのもヒッチコック作品としては割と珍しいのではないか。それも「実はお金に困っていた」じゃなくて、最初からお金に困ってギリギリで生活費を工面していることが明らかにされている。中流かそこらのごく一般的な家庭なんだよね。

冒頭で、マニーの配偶者であるローズの歯痛が問題となり、これをキッカケにして彼が容疑者となってしまう騒動に巻き込まれていく。ローズはこのことに気を病むのだが、ある時点で判明する分には、そもそも彼女は小さいながらも借金を重ねるマニーの家計勘定を良しとしていなかった。この辺のバランスはさりげないけど、見事だよね。

さて、マニーの容疑を晴らす決定的なアリバイとなるはずの人物たちが不幸にも物故していたことが判明した時点で、ローズが狂ったように笑い始める。実際に狂ってしまうのだが、このへんの強烈にメランコリーな女性という存在も、ヒッチコックとしては実は珍しいような気がする。『山羊座のもとに』と比較してもちょっと性質が違うような気がする。

おもしろいもので、この物語の原因で、かつ本筋であったのは強盗容疑事件なのだが、最後に印象に残るのは家庭の不幸であり、配偶者の破滅であった。マニーはむしろ、ここにこそ奇跡を望んだが、それは少なくとも作中では描かれずに終わった。前半と後半でまったく異なる表情をみせるローズ、これはスゴイいいよね。同じ人物に見えないくらいだった。

なんとなく救いだと思ったのは、マニーの勤務先のホールだ。普通なら彼が容疑者になった時点で解雇されても不思議はないが、保釈後に平常通り業務に戻れているっぽいのだよな。物語的には、あまり不幸を拡散させても収拾がつかないというのと、実際にマニーはそういうことは絶対にしないという信頼があるという、意味付けもなされているのだろうけど、ベースを弾いてるマニーのシーンもよかったね。