2022年末に《東京物語》(1953)を観た。

実はこの作品、スコセッシおすすめ外国映画選マラソンのラインナップでもあり、なんやかんや 2020 年からスタートしてダラダラと 4 年目に入るマラソンだが、この映画でストップして暫く経っていた。

あらすじを知っていただけに視聴パワーが追い付いてこず、珍しくも人と観ることで乗り切った。ちなみに小津監督作品は《秋刀魚の味》を見たことはある。

小津安二郎は、この映画で「高度経済成長の日本社会で変容する家庭を描きたかった」ということらしい。別に出典とかは知りませんが、まぁそういうことなんでしょう。東京のロケ地は皇居脇を走るバスだったり、おそらくは荒川河川敷あたりの工場群と煙突が映されていたり、つまるところ生活圏としては上野周辺なのかなと予測するが、下記のサイトの情報によると、足立区が中心らしい。

ちょっと意表を突かれたのは大阪で働く三男坊がいるという設定で、老夫婦は 3 男 2 女を儲けたということだった。次男は大阪で働いていたのね。小津安二郎というと、独特の構図というかショットが特徴らしいが、今作では大阪の三男の部屋の構図が 1 番に印象的だった。尾道の実家の通り沿いの窓のレイアウトとかどうなってんの? とか、実家を出てすぐの陰のある通りのカットとかも好きだけども。

しかして、冒頭とクライマックスにちょっとだけしか出演しない次女の京子の存在こそが、どちらかというとネガティブに、変わっていく中で変わらない存在であった。

教員という職こそあれ、老いた両親とともに田舎で暮らし、彼らの老後を見つめている彼女の存在は、東京だか大阪だか、高度成長だかしらないが、たしかに彼女の生活は実家のそこにあって、ともすれば兄姉らには忘れられている。それでいいのか?

さらには、クライマックスでの周吉と紀子とのやりとり、また紀子と京子のやりとりも展開、ここに極まれりというか、戦争未亡人の紀子がどのように生きていくのか、彼女の視点からみた京子の存在はどう映るのか。気になるところばかりだね。

また、しかし、とみが「一度は必ず尾道にいらしてね」と紀子に、東京滞在で最高の体験となった紀子の部屋での思い出を残しつつ、それが奇しくも実現するという悲しい結果も何とも言えない味わいがあった。東京で結婚し、夫が生きてさえいれば何度となく尾道を訪れることがあったのかなという紀子なので、なおさら。

気になったことなど

東京駅での待ち合わせがおもしろい。携帯電話もない時代だから合流も大変だろうなという定番の予想が外れた。長距離移動する深夜列車なんて、東京駅の特定の時間のプラットフォームしかないわけで、別に誰も迷わないのである。そこにいけばおのずと皆が集まる。

とみと長男の下の子が土手で遊んでいるのを遠くから映したカットもよかった。ざっと眺めていると、ロケ地も大体は同定されているようだが、なんか聖地巡礼でもないけど、風景の味わいを少しでも体験したくもなる。

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