2022年末に《光復》を観た。これは凄い映画だった。

自主製作映画ということが理由か、R18+指定はむしろ客を増やしそうだが、あまり人はいなかった。もったいない。さて、深川栄洋監督の作品、観たことがあるかな? と確認したら、まったくなかった。《白夜行》すら見ていない。

失礼にも鑑賞中は、途中まで見たことある監督の作品かと思って眺めていたのだが、さすがにあるタイミングから「これ知らんひとの作品やな」ってなったのだった。そういうのわかるレベルにはなったという発見はあった。

タイトルが気持ち悪いよなというイメージは最初からあったが、これは展開を追うごとに納得させられるものであって、まぁ巧い。そうですね、終始、気持ちが悪い。

舞台に長野を選んだのもよくわからなくて、全体の苦い展開から、長野の人たちはこれを見て何を思うのかなと感じていたのだが、これもタイトルと同じように、特に終盤に及ぶにあたっての展開にて、この場所を選んだことの一定の意味は読み取れた気分にはなった。

監督の自主製作映画ということらしい本作は、同年 10 月に公開されていたらしい《42-50火光》(かぎろい)と両面となる作品らしく、残念ながらこちらは未見のままだ。今後、視聴する機会があるかも定かではない。

どちらの作品も主演は監督のパートナー:宮澤美保である。ちなみに彼女の地元が長野県長野市であるらしいし、Wikipedia によると書道の資格もあるらしいので、特に情報はないが、どちらの題字も彼女が書いているのではないかしらん。

あとから通販で購入したパンフレットを読むと、なんなら俳優陣もほとんど長野に縁のある方たちで、そういう座組なんだそうな。自主製作映画である点を含め、前回の映画に引き続き《エッシャー通りの赤いポスト》を連想させられる。なんだろうね?

ノンジャンルな作品って楽しい。認知症の母の介護に疲労して自我がなかば壊れた女性がなんか転落していく話っぽい体裁ではあるが、転落と表現するには垂直落下が過ぎるレベルであって、落としどころはどのなのかなと眺めていたら、はい、VFX 班が必要になる映画だったとはなぁ。

光復 とは?

あんまりグダグダ内容に触れたい感じもしないので、「光復」とはなんなのか。どのタイミングで主人公に起きたのかということを考えたい。

2つ、段階があったのかな。どちらが良い、悪いということも無い。

人間性とか、自らの罪、他人の罪、それぞれの采配は知ったこっちゃないけれど、どこかで安らぎが(光復)必要なのが人間なので、とにもかくにもそういう場所が、どんな生活、どの段階においたって求められるってわけだ。

あるいは安らぎを求める方法が、ルールや法に反している場合もあるかもしれない。これは同時に、主人公の母や弟、彼女を貶めた人たち、あるいは対立する人間たちにも言い得ることで、彼らも同様に、大なり小なり、それぞれ苦しみを抱えていると思えば、この酷い印象の映画も美しく思えてくる。

ということで、解釈しづらいラストについても、やはりどこの誰にも安らぎの求め方というのはあって、つまりあの状況下で安らぎを得ているのは誰か(みんな)なんでしょうな。袈裟まで憎いか。

袈裟を憎むな、人を求めよ。

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