ようやく『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』を見終えた。作品内のテンポがあきらかに前2作とは異なっており、外部的な事情か、これが本作のテイストなのかしらぬが、なかなか進められずに期間的に飛び飛びで鑑賞したのだった。個人的にはトム・ヘイゲンが居ないことだけが残念だ。

老境に差しかかったマイケル、娘を前面にしてマフィアのお金を軸にした財団を立ち上げる。もうこの時点で十分におかしいんだけど、マイケルとしてはギリギリできることをやった結果がこれなんだと、そういうことなんでしょう。でまぁ、バチカンの資金洗浄に手を貸すことになる。

これっきりで表の世界に戻ろうとしたマイケルだが、そう簡単にはいかない。単なる利益の問題に留まらず、嫉妬や羨望なんかもあるんでしょう、なにかとちょっかいをかけられる。ホテルの最上階での会合にヘリコプターからの銃撃がやってきたシーンは、シリーズ屈指のハリウッド映画バリで、これがなかなか面白かった。

なんやかんやあって主戦場と舞台はシチリア島に移る。この際、息子のステージデビューが近いとかで、別れた妻:ケイも同行している。これもわかるようでわからん。彼女がいること自体が重要なことだし、いいんだけど。

ランベルトという枢機卿とコネクションを作ったマイケルは、なんかの折に庭のなかで懺悔をする。このシーンもよく出来ていて、というかマイケルの地獄の苦悩というのが本作のテーマだとしたら間違いなくピークのひとつなんだよな。兄弟殺しが最大の苦悩であったか。

以前、別のマフィアものの作品の感想で、ファミリーという概念のどうしようもなさについて触れた気がするが、まぁ。気にしてもしょうがない。

さて「マイケルの最期」ということで、クライマックスで何が起こるのかを終始見守っていたが、なるほどそうきたか。そしてまさしくマイケルの最期としてのエンディングが映った。「Part 3」として公開されたバージョンと最後のほうの編集はだいぶ異なっているらしいが、まぁいいか。

「Part 1」でのヴィトーの最期を思い起こしたとき、この2人の人生の差を想像せずにはいられない。ヴィトーの足元には、マイケルの息子と娘が駆け回っていた。ファミリーのためにとマイケルが足を踏み外したとは思わないが、結果として表に戻ろうとした彼は何もかもを失った。なんちゅう皮肉であろうか。

もうひとつあって。「Part 2」で若きヴィトーは家族の復讐のために、やはりシチリアの誰だかのボスの屋敷に赴き、白昼堂々と復習を達成した。このときも、そのボスの屋敷にはいくらかガードがいたが、どうだろうか、本作ラストのマイケルは本当の孤独である。もう守ってくれる仲間はおろか、彼を狙う敵もいないのだ。時代の変化か、マイケルの顛末か、あるいはいずれもか。

最後に。この作品、マイケルとケイの愛憎がずっとあるんだよな。なんだったらテーマと言ってもいいと思う。「Part 1」のエンディングで闇の世界に足を踏み入れていくマイケルを不安の眼差しで見つめていたケイ。「Part 2」で、ファミリーのためと繰り返しながら血腥い仕事を厭わない(ように見える)マイケルと決別したケイ。そして本作の彼女である。

ケイの憎しみか諦めに似た表情というのは本作を通して何度か目に入ってきたが、クライマックスで絶叫するマイケルをひと目にした彼女の表情は、これがまたよかった。形容のしようがない。言うまでもなく良い感情であるハズはないのだが、そこに読み取れる情報は少なくて、いうなれば「無」だろうか。言葉にしてしまえば当然のようだが、2人はこの悲劇を共有できない、究極的には。

ほいで、マイケルの最期に表示されたメッセージ、あれちょっと調べたけど、邦訳は相当に意訳なんだなとはなったが、どうにもわからん。説明してくれている情報はどこかにないかしらん。

“When the Sicilians wish you ‘Cent’ anni’ , it means ‘for long life’ … and a Sicilian never forgets.” 。 これをそのまま翻訳すると次のような感じなのかな? 「シチリアの人々が「セントアンニ」と祝福するとき、それは「長寿」を意味し、そして、シチリアの人はそのことを決して忘れない」とか。

「永遠の幸せ」や「永遠の命」といったワードは直接は出てこない。 ‘Cent’ anni’ が「100年」を意味し、それが「長続きすること」を祈るメッセージであることのようだが、つまり慶事において長続きを祈っている、ということらしい、はい。

この悲劇に満ちたラストを、それが ‘for long life’ であると定義しなおすことは、シチリア人うんぬんは別としても皮肉なのではないか? というところまで考えると「永遠の命」という訳出自体が皮肉を込めているのかなともなるが、よくわからん。

あるいは、最初の作品(2作目でもいいけど)から続くマイケルのやってきたことの結実を端的に示してるのかね、それでもやっぱり皮相的だと読み取るのが自然だろうけど。本作は前2作と異なり、ラストを知っていた方が道中を楽しめる作品になっている気がした。

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