自分を大人と自覚した瞬間はいつだろうね|《竜とそばかすの姫》

《竜とそばかすの姫》を観た。細田守監督の作品を鑑賞するのは前作《未来のミライ》から 2 作目となる。個人的には独特の作風-これは本質的にはアドバンテージだろう-、とりわけ作中で描かれる人間関係が苦手だという直感があり、前作まではずっと避けていた。原作のある作品として評価の定まっている《時をかける少女》すら見ていない。

ところで前作は公開当時、既存のファンから不評を買っていたようだったので、逆に興味を持って劇場に足を運んだ経緯がある。その結果としては受け入れられる範囲の作品だった。

《竜とそばかすの姫》だが、なんでこういう風に話が進むんだろうと気になった箇所こそいくつかあったが、まぁ、面白かった。

テーマは《未来のミライ》から大きくぶれていないと考える。展開の主軸は「主人公なりが遭遇するひとつのステップ」ということに異論はないだろう。少し深読みして、そこに私は「徹底して大人の大人らしさを排する」「大人は決して神でもないし、無条件の味方でもない」あたりの裏テーマを見てしまう。

なんなら今作では前作よりも、その状況は先鋭化したようにも思えた。

見守る大人か、ヤジウマしかいない

近しい大人は「いい大人たち」で、鈴の成長や行く末を見守ってくれる。アドバイスめいたコミュニケーションも取ってくれる。だが、劇中で起こる事態に対しては、それ以上の存在ではない。これをして雑とみたり、怒ってしまう人も観測したけれど、これはもうこういうスタンスだから、そのように受け取るしかない。

一方の大衆、鈴の世界の「外側の大人たち」、これは本作では<U>の世界の住人、ゲームのユーザーたちとして描かれるが、これはほとんどが野次馬だったり、有害な攻撃者だ。この奇妙でデタラメなバーチャル世界のキモのひとつには、<U>の世界とやらの住人には「大人と子供の区別がない」という点だろう。

<U>の世界について少し書く。

やり直しがきく、は本当か?

<U>の世界は、バーチャルだからこそ現実とは違い、「なんでもできる、新しい人生を」のような優しい女性の音声による甘いメッセージが何度か述べられる。

が、いうまでもなく表現されている世界は、そんなことは全然なくて、なんなら心身あるいは才能、そのポテンシャルが極端に先鋭化される滅茶苦茶なバランスの仮想世界だ。

謳い文句の割にはしょうもない雰囲気のモブが多い。彼らの何かしらの活動が描かれることはほとんどない。これも演出の要不要で省かれたと見ることも当然可能だが、結果的には、これが現実だというメッセージに見えた。<U>の世界だろうが、現実と地続きで、モブはモブだ。

新しい世界が与えられようと、本来のエネルギーとそのポテンシャルを持ち合わせていないプレイヤーは、結局のところ<U>の世界でだって大衆の一部であったり、文句や不平をまき散らす結果になる。

殊更、Belleのライブシーンに至っては、作中の観客と劇場の観客がオーバーラップすることになるので、果たして私は<U>の世界の有象無象と一体になっているのだ。こんなユニークな映像体験ってある? 私はどっち側だ?

大人を信じるなとは言わないが

やや繰り返しになる。

別に大人や大人たちが形成する社会を全面的に悪とはしないが、基本的には大人も社会も無防備に信頼を寄せる相手ではない。たしかに子供が助けを求めれば、それに応じたリアクションはあるだろうが、それこそ事態に積極的に介入してくる存在ではない。

本作において、子供にとって不可解な大人とは、鈴にとっては母親の判断であり、竜にとっては父親の存在であった。

あえて言えば、鈴や竜の子の「大人への成長」というよりは、大人に対する諦め、あるいは理解を深めた結果の適切な距離感の自覚というあたりではないか。それが大人になること、といえばそうだろうが、メッセージとしては激渋だよね。

竜の子周りについていえば、これもどこかのメディアでライターが批判していたが、社会制度が、行政が何かしてくれるというような現実的な解決法は、本作では恐ろしいくらいに無視されている。

批判が出るのも確かな面もあるが、実際にすべての被害者が救われるわけではない現実があると思うと、<U>の世界の出来事然り、自分を大人だと自覚している自分がこういった事態に対して何をできるか、というところまでついつい考え込んでしまう。

というわけで、関連しそうな NGO なりに募金をして、私は心を落ち着かせた。

余談。あまり言及しているひとも見ないが、作中の子供たちは、竜が現実でどういう人物なのかは何となく気づいているような演出もあって、なんだか複雑だね。

変なおばさんと、正義マンあたりも深掘りしてもよさそうだが、主軸とはずれてきそうなのでここまで。