《劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト》を観た。本作については、コミカライズの最初の 1 巻だけ読んでいたのでイメージの大枠はあったが、アニメなり演劇なりの鑑賞歴はなく、物語の全体像もしらずに映画館に臨んだ。

が、よかった。よいものだった。本当によかった。結果として後、TV シリーズ 全 12 話とその総集編となる劇場版《少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド》も見た。

アニメ全体の物語は、基本的にはヒロイン:愛城華恋と神楽ひかりの友情あるいは約束、もとい運命を軸にしている。詳らかには、そのほかの登場人物たちを交えた群像劇とも言えそう。

9 人の登場人物は、およそペアになっており、本劇場版でもそれを生かして関係性を整理しつつ、TV シリーズの結末後の彼女らの行く末に道筋をつける。

変則とはいえ 2 人ずつのエピソードを軸に 4 セット で 9 人のキャラクターの人間像と関係を掘り下げる。TV シリーズも本劇場版でもそうだが、それぞれのシチュエーションの配分が絶妙だった。

そもそも舞台の「スタァ」つまり「1番星 はたった 1 人」という命題に、華恋は最後まで抵抗する。これが二転三転して、キリンも予期せぬ舞台を繰り広げることとなった。この構図は TV シリーズでも本劇場版でも変わらない。

そもそも「レヴュー」ってなんなのか?

舞台芸術についてはサッパリだが、芸能用語としての「レヴュー」には以下の意味があるらしい。

演劇舞台のジャンルとして「レビュー」もしくは「レビューショー」という言い方が用いられることもあるが、この「レビュー」は英語の review ではなくフランス語の revue に由来する語であり、「時事的話題に対する風刺などが多く盛り込まれ、舞台装置や踊りといった視覚的要素が充実した喜劇」を指すカテゴリーを指す用語である。この「レビュー」は「レヴュー」と表記される場合が多い。

Weblio|実用日本語表現辞典「レビュー」

本作は元々、男性の演劇鑑賞者を増やそうという企図で組み立てられた企画らしいが、あえて「レヴュー」をタイトルに冠したのは見事だね。類作で前例はあるのかな。アニメーションという「視覚的要素が充実した喜劇」という観点からは、まさに本劇場版は、ハッキリ言って図抜けたコンテンツになっているよね。

そもそも「ワイルドスクリーンバロック」ってなんなのか?

SF のジャンルに「ワイドスクリーンバロック」”Wide-screen Baroque” という用語が存在する。本劇場版は、それをもじっている。で、もともとの用語の意味だが、以下のブログ記事に詳しい。

元々はイギリスの SF 作家:ブライアン・オールディスが書評中で用いた造語であるらしい。上記のブログではそれを示す引用が 2 つあるが、上記ブログでの引用をさらに引用するワケにもいかない。

ので、ここでは私なりに勝手に翻案する。ワイドスクリーンバロックとは「巨大、かつさまざまに繰り広げられ、目まぐるしく情況の切り替わる物語が、イメージが、それでいて破綻せずにエンターテインメントとして成立している」としたい。雑なのはご愛敬として、参照先の記事を読んでほしい。

また、参照先の記事によればアニメとしては『天元突破グレンラガン』(2007)と『キルラキル』(2013)においてその影響があきらかだそうだ。

で、「ワイルドスクリーンバロック」って?

本劇場版の作中において、彼女らは自身を常に「舞台の上」であると意識しつづけているけれど、「ワイルド」という表現を採用することによって TV シリーズの外側、あるいは「スタァライト」の外側、あるいは既存の関係性の外側を意識づけているよね。まぁそこも結局は舞台なんだけど。映画館のスクリーンで、という体験も意味付けられているだろうし、この辺は本当に巧みだ。

特にそれ以上は言うことはない。

しかし、あらためて表明したいのは上述の「レヴュー」の概念と「ワイドスクリーンバロック」の概念が、ことアニメーションという表現を介してここまで見事にクロスオーバーするのか! という驚きだ。マジでビックリしませんか。

なぜトマトなのか?

本作、トマトがやたらと破裂する。初見、劇場版を鑑賞した時点では TV シリーズでのキーアイテムだったのかと思ったが、そういうわけでもなかった。トマトは心臓をイメージしているのは確かなようだが、なぜトマトなのか。なぜ野菜なのか。

野菜といえば TV シリーズを通じていれば、いちおう霧崎まひるを引くことはできるが、そこまで意識的な関連は無さそう。あるいは大場ななのモチーフであるバナナから関連を見出せるか? そういうわけでもなさそうだ。

また本劇場版では、キーパーソンとなるキリンがアルチンボルド様に野菜と果物で体を為し、そしてそれが結果的には燃えていく。キリンが燃える理由は、観客が聴衆が舞台の熱にヤラレることを示すワケだけれど-まとめ方として雑だけど、じゃぁそれってなんだ?

という経緯で辿り着くのは「観客をかぼちゃかじゃがいもだと思え」という文句であって、キリンが野菜となる理由、野菜のキリンが燃える理由、もうこれでいいでしょう。ところで、この文句の出典ってなんなんだろう。

ではトマトは?

もちろん心臓をイメージしていることには代わりないんだけど、それよりもキモだなと思うのは、その回文性にありそうだよね。トマト・トマト・トマトだ。

そもそも華恋の「みんなをスタァライトしちゃいます」という決まり文句の意味について、「スターのきらめきで魅了しちゃう」ならマシで、戯曲の通りにほんとにスタァライトされたらえらいこっちゃやで。

華恋に魅了されたとき、私はトマトを齧っているのだろうか?

半分くらいスッキリしたので、とりあえずここで終了します。

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