じゃがいも畑でつかまえて|『フレンジー』《Frenzy》

『フレンジー』《Frenzy》を観た。1972 年の作品だ。イギリスとアメリカの合作ということで、ヒッチコックがひさびさに故郷で撮影した作品となる。アメリカの広々としたロケーションに比べ、ロンドンのせせこましい街並みが安心感を生む。というと失礼なようだが、なんというかである。街のせせこましさと同じようにして、物語も非常に小さい人間関係のなかで進展する。

本作もいつもながら巻き込まれ型の主人公:ブレイニーが四苦八苦する展開だが、いつもと違うのは彼がまったくと言っていいほど活躍しない点だ。こういう意味では《間違えられた男》を連想させられる。加えて、真犯人とその犯行シーンをのっけから明かす展開も珍しいのではないか。前例はなにかあったかな。

真犯人:ラスクがどうしようもない犯罪者であることは確かとして、ブレイニーもうだつの上がらない人間だし、もうひとりの主要登場人物であるオックスフォード刑事も冴えない。この作品に登場する男どもは、どいつもこいつもダメなのが印象深い。

対して、女性たちは強い。ブレイニーの元パートナーだったブレンダは事業をそこそこ成功させているようだし、いまの彼女のバーバラもパキッとした意思をもって事件に立ち向かっていた。ちょっと登場した空軍時代の仲間であったジョニーのパートナー:ヘッティのキャラクターも強烈で、ブレイニーが無罪だったとしても一切関わりたくないという態度が一貫していて美学があったね。

極めつけはオックスフォード夫人で、探偵役の家族が直感で真相を言い当ててしまうお約束の展開も面白いが、おいしくもない料理を量産し続ける彼女の根気がすごい。最後にお客の残したマルガリータをマズそうに飲んでいたのも笑えた。

狂気と笑い

ラスクの凶行シーンは過去にないくらい強烈な描写が許されている。女性のバストも何度となく登場するためか、R18 指定すらされている本作だが、最初のラスクの凶行シーン、表情のドアップが印象的だし、事の済んだあとの被害者の表情がどれも強烈に凝っていて、決して見ていたいものではないものの、素晴らしかったね。

2 度目の凶行は直接描写されなかったものの、トラックの荷台で繰り広げられる独り相撲は異常さのなかに笑いを誘われる。芋の山のなかから被害者の脚が伸びてきて、ラスクの顔を蹴とばしたような状態になったり、トラックの動きの反動で顔を突っ込んでしまったり、いい意味でバカバカしい。偏執的な異常者のこだわり症に目を見張らざるを得ない。

過去作との比較でいえば、今作でも一瞬だがラスクの母親が登場する。どうにも母親との関係は良好らしいことが示唆されるが、過去のヒッチコック作品を見てきた限りにおいては、結果的にはメタ的に逆張りとして機能したとも考えられる。

印象的なカットなど

今作はこれはおもしろいなという画面が多かった。

オープニングクレジット

タイトルを含むオープニングクレジット、『北北西に進路をとれ』までは試行錯誤が常に面白く、それ以降はピンとこなかった。今作もそれほどではなかったが、テムズ川を空撮してタワー・ブリッジに接近していく画面はさすがに面白くはあった。カットは変わるがやはり空撮にて、川沿いの路上で環境問題を訴える演説家と聴衆を映す。気合の入りようが伺える。

さらばバーバラ

バーバラがラスクに匿ってもらう展開になる。ラスク宅の扉が閉まると、カメラは 2 人が昇ってきた階段をそのままソロリソロリと降っていく。向きは変えずにバックしていく。ホラー映画などではたまによく見る映し方のような気がするが、ねっとりと遠ざかっていき、ラスクの部屋の窓が映るほどにまで遠ざかっていくシーンは、いいね。上手いんだよな。

オックスフォード夫妻の食卓

夫人が謎の魚煮込みスープを出す。刑事は夫人の目を盗んでスープを鍋に戻す。この攻防は、キッチンを中央奥の入り口向こうにして、手前のテーブル右に刑事を配置して映し出される。さらにテーブルには燭台に火が灯っており、2 本の蝋燭が左右に揺らめいている。

夫人の移動とともにやや右寄りだったカメラが正対するように中央に移動すると、キッチンへの入り口と燭台、蝋燭が見事に並んで重なり、また左右に座ったオックスフォード夫妻がシンメトリー様になる。小津安二郎ばりのこだわりの画面か。これは何だろうね。話中ではアンバランスのように演出されているが、実際にはこの家庭はバランスが取れているとでも言いたいのか。謎である(笑)。

遠見のヘッティ

ジョニーと再会するシーンで、ジョニー宅を示唆させながらヘッティが彼らをベランダ? バルコニーから睨みつけているシーンがあるが、なんなら私は本作でこのカットがもっとも印象に残ったかもしれない。

先ほども書いたが、この作品では女性の方が本質的には強いように描かれているように思う。同時代の作品に同じような傾向がどれくらいあったのかも分からないし、今日となってはそういった前提が描かれた作品など珍しくもないが、ヒッチコック作品という枠についていえば、珍しいように思う。『三十九夜』や『逃走迷路』あたりのヒロインは主人公よりも知的な感じがあった気がしなくもないが、ここまで完璧なこだわり様はなかったのではないか。

物語の背後のこととしては、そこらの配慮が気になった。

ちなみに、恥ずかしながらタイトルの英単語 “frenzy” の意味を知らなかったのだが「逆上」だとか「狂乱」だとかが、本作に相応しいのかな。前者であればブレイニーに該当するだろうし、後者であればラスクに該当しそうだ。その辺がネイティブでもダブルミーニングになりうるのかは分からないが、どうだろうか、端的ながら味のあるタイトルな気がする。