伊図透の『銃座のウルナ』全 7 巻を読み終えた感想を残す。完結したのは 2019 年の 3 月(最終巻の発売)で、私は 2016 年 3月に 1、2 巻を読んでから新刊の発売とともに 2018年 3月の 5 巻まで追っていた。その後、6 巻と 完結巻の 7 巻までが出ていたことは知っていたが、ここまでの時点でなぜか買うのを躊躇っていた。今回はカドカワの Kindle セールのタイミングで読んだ次第だ。この記事の初稿は 8 月に書いている。

普段はネタバレ上等という感じで肝心なところの内容もガシガシと書いているが、なんというか本作はそのような気分にならないので、ほのめかしばかりの汚い文になった。いつも汚い文であるからして趣が少しだけ異なるというだけだけど、読む人がいたら許してほしい。

さて物語だが、寒さの厳しい戦地に送られた女性の腕利きスナイパー、主人公のウルナである。タイトルの通りだ。戦争というか、よくわからん僻地で小競り合いをしているらしい。状況も把握できないまま、どこから本作の特徴が出てくるのかと読み進めていくと、そこには対抗している蛮族とされるヅード族、彼らのビジュアルに特徴があった。彼らは蛮族というか、造詣が人間とかけ離れた、異形の怪物なのである。まぁヤバい。こりゃ退治せにゃならん!

伊図透の描画がもたらす印象には、宮崎駿や諸星大二郎のような繊細さがある。なんともいえない浮遊感のあるフワッとした線だ。これがヅード族の怖さをうまく表していた。そうではあったのだが…。

その僻地での戦闘も、ウルナの活躍によって 3 巻で終わった、のかな確か。そうすると舞台は一転して地元に戻ったウルナについて、4、5 巻と幸せとも覚束ない彼女の生活が描写される。どういうことか? 全 7 巻です。ざっくりと言うと、僻地での異形との戦闘はあくまで前振りだったのでした…。どういうことか?

ところで、というわけではないのだが、最終巻について Amazon に星 3 のレビューがあって、引用はしないが内容は「まぁね、同意しないが気持ちは分かるよ」というコメントであった。私が 6 巻にすぐに手が出せなかったのも、彼とおそらくは似たような感覚による。「あの戦争はなんだったのか」というような不安定な気持ちの切り替えが、読者として割り切れず、そこが本作の少しの難しさかもしれない。

だが振り返ってみると、そういう読者としての置いていかれた感覚が、そのまま登場人物たちが抱く戦争と生活に対する漠然とした感覚とリンクする。

リンクしたのではないか。

さて、ヅード族の異様さ、ところが何となく愛着を感じさせる様子、もしくは彼らとウルナ達との交流(とも呼べないようなそれ)もあったのかもしれない。前半の前振りの作用の仕方が、気がついてみれば割とありきたりな話(設定)とも思われるが、どういうわけか、あまりにも驚かされた、こういう話だったのかと…。

タイトルでもあり主役でもあるウルナの運命や決断は、言うまでもなく主題として物語りを牽引しているのだが、なんというか全体感としてはウルナッー!! という感じではなくて、群像劇というほどでもないし、個別の人間関係にフォーカスして思いを抱く気分にもならず、読後感としてはちょっとした爽やかさと、それに随伴する後ろめたさとが表裏にあって、なかなか得難い体験であった。

この感覚は、端的な形容詞で表すと「切ない」がもっとも近いような気もしたが、その切なさがどうやって紡がれているのか、どういう理路によって生成されるかも、良い意味でハッキリしてこない気がしている。そう結論した方がいい気分である。

あるいは戦争文学、映画などに類するような虚無感や寂寥感が同居する、と言ってもいいのかもしれない。まぁ、戦争を扱ってる作品なので、当然とも言えるのだけれども…。逆に言えば、コミックでこの感触を残すのは凄いのでは? とも思え、似た作品で同じような読後感の作品はちょっと思い当たらず。

この感触を味わいたいタイプの人間には、とてもよい作品だわね、という感じでオススメしたい。

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