《薄氷の殺人》(2014)を観た。同監督(ディアオ・イーナン)および同主演(グイ・ルンメイ)の《鵞鳥湖の夜》の上映が始まるので、それを期した短期上映を利用させてもらった。また、どちらにもリャオ・ファンも出演している。彼は《帰れない二人》でも見た俳優であった。

原題は『白日焰火』、英題は “Black Coal, Thin Ice” となっており、どちらもよい。原題は話が進むにつれて決定的な意味をもたらす仕組みになっている。一方で英題は、本作の基調を表していると解釈して大方は間違いではなさそう。

ところで邦題の「薄氷の殺人」というのは、解釈のしようはあるとは思うものの、本作をミステリーと勘違いしてしまいそうだ。そういう意図があるのもしれない。この作品、ミステリーやサスペンスといった面もあるが、不幸で陰鬱、だが救いがなくもないようなという映画で、これがいわゆるフィルム・ノワールの系統である、らしい。まぁジャンルはどうでもいいが、ミステリーやサスペンスに主軸があると評すると、作品としては杜撰にみえてしまう強度か。

グイ・ルンメイがあまりに美しい、美しすぎる、といえばなんか感想としては七割くらい言い切った気持ちになってしまうが、さすがにそれだけでは味気ない。本作、私は何を楽しんだか。

この作品の舞台や年代はどうなっているのか

まぁどの映画でも気にするに越したことはないテーマだが、作品によっては舞台や年代を気にしても仕方ないパターンもある。本作は 2014 年の映画だが舞台となるのは 1999 年、および 2004 年らしい。どうしてこの年代を選んだのか、よくわからん。

舞台は中国北部、華北地方らしいが、詳細は特にないらしい。土地柄か時代性か、あるいは両方だろうけれども、田舎の中国らしいやや貧相で雑多な雰囲気が漂う街、画面となっている。リャオ・ファンの演じる主人公をはじめとした刑事たちも、花形職としてプライドはありそうだが、どこかマヌケというか杜撰さが否めない。

携帯電話やパソコンなどが一般化しつつあった時代と思われるが、中国の田舎としてほとんど登場しない。最近は話題にならないが、この頃の中国は Windows の海賊版が流通していたような状態だったのではないかな。逆に、あるシーンで中国などでよく目にするタイプのネットカフェのような設備が映るが、これは逆に 00 年代にすでにあったのか? やや疑問となる。まぁ、あったんだろうな。どっちでもいいけど。

不器用な男の、散っていく、なんだろうね

リャオ・ファンが演じる元刑事が主役ではあるのだが、まぁなんだか憎めない男であるように描かれるが、やってることは本当にクズ男そのものなんだよね。弁明の余地がない。彼の行動はいずれの状況でも一方通行なんだよね。

《帰れない二人》でリャオ・ファンが演じた男にも似たようなどうしようもなさがあったが、これは何なのかなぁ。中国映画にあまり明るいわけじゃないけど、主要な登場人物がそこそこにクズ男の割合がそこそこ高いような気はする。これはなんなのか。開き直りなのか。時代性なのか。

結末をどのように解釈しようが-まぁ目を逸らさずにしようとすれば、選ばれるのは決まっているように思うが、音楽と踊りという要素が本作のなかでどう作用しているのかはよく分からんままだ。

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