《1917 命をかけた伝令》を観た。まだいくつかの劇場で上映しているようだが、まぁ感想をあげてしまおう。

ワンカットで撮影された(ようにみえる)作品という話題性が先行していたが、それなりにはおもしろかった。実際にカメラは途切れないようにみえるが、遮蔽物や暗転などを使って状況の切れ目は表現されているので、あまり違和感はなかったものの、どこが切断点なのかはハッキリわかるところもあれば、ここじゃないかと推測できる点も多々あった。

カメラという点では、いくつかの感想にある 1 人称視点のゲーム(FPS)っぽい雰囲気もたしかにあったが、ところどころで主人公らから十分に遠ざかりもするので、同じ場所にいると仮定された人間の視点としては撮りようのないショットもいくつかあり、FPS 的なゲームっぽさはそこまで喚起されなかったかな。

それよりもゲームに近いという意味では、物語の目詰まり感のほうがよほど気になるもので、話を完結させるべく目まぐるしいくらいに色々なイベントが起こる。「事実は小説よりも奇なり」という言葉もあるくらいなので、ある人間の人生のひと時にはこのような瞬間もあるのかもしれないが、それにしても異様に思えた。そういう違和を残せただけで、本作は成功なのかもしれない。

ひとつだけ。

主人公は壕のなかの爆発で目を傷める。そのときに水筒の水をほぼ使い切ってしまう。少し歩みを進めると、平原に一軒家に放置された乳牛。ふーん、まぁ不自然とはあえては言わぬが、というシチュエーション。搾りたてのまま放置されたミルク。水筒に補給する主人公。まぁな、水分が必要なのはわかるけどいつ腐るかわからないものを入れるか? と思う。まぁいい。

しばらく経ち(3 ~ 5 時間程度だろうか)、目的地付近の町に着く。町は何が燃えているのか分からないくらいの異様な炎に包まれている。劇中でもっとも幻想的なのはこのシーンではないか。敵兵に追われた主人公は空き家に逃げ込む。あぁ、女性が出てくるシーンだなと思ったら、本当に出てきた。逃げ遅れた女性と置き去りにされた乳児が居た。マジか、このフラグを回収するためにお前はミルクを入手していたのか、となる。

まぁ、こんな作品だ。

個人的に気になったのは、この家屋を去るとき、主人公が扉をきちんと閉じなかった点で、状況の臨場感のためか、あるいは彼の心理状態までを反映したうえでの演出か、なかなか判断しづらいのだが、私はきちんと扉を閉めてほしかった。そこは、カメラを先行させる、別ルートから移動させるという手段をもってしても、そうしてほしかった。

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