映画:《レベッカ》

ヒッチコックをできるだけ見ていこう特集、3 作目《レベッカ》を観た。この作品にも小説の原作があるらしい。ここまで 2 作を観てきたが、Amazon Prime で見られるイギリス時代の 作品は前回までとなり、本作からアメリカ時代となる。

ここまで鑑賞してきたヒッチコック作品の作品評などを眺めてきて「導入が長い」、という意見をいくつか見てきた。イギリス時代の 2 作についてはそこまで感じなかったが、本作については私もそのように思った。

物語の主人公である「わたし」があまりにも純朴で、良くも悪くも子供らしい、ということを表現するための間であったのかとは思うが、逆に、無知で無能である側面が強くみえてしまい、単純にツラかった。レベッカの幻像と対比されることにもなるので、効果的ではあるのだろうが。

仮面舞踏会で失敗した直後の嵐のシーンから事態は急転し、真相に向かって一直線に話が進んでいく流れはヒッチコックの得意とするところだろう。解決編からエンディングまでの時間が相変わらず短く、シークバーが目に入るとハラハラしてしまう。

最大のハイライトは、やはり西棟のレベッカの部屋をダンヴァース夫人が案内するシーンではないだろうか。ダンヴァース夫人にとって、レベッカというのは太陽のような存在であったことが思い知らされるし、その崇拝は 1 点の曇りも無いものであったように思う。

原作で明示されている設定を含めた詳細はわからないが、ダンヴァース夫人とファヴェルの不仲というのも、軽薄な男をレベッカに近づけたくなかったというのが彼女の望みで、レベッカの奔放さについてダンヴァース夫人ににどこまで自覚があったのか。

エンディングの彼女の放火も、マクシムとわたしの今後の幸せな人生が憎いというよりも、幻像としてのレベッカを象徴する美しい部屋、居間の様子などを自身とともに完璧なまま葬り去りたいというのがダンヴァース夫人の願望であったと捉えたい。

レベッカの部屋で最も不気味だったのは、彼女の真の姿である淫らさと対立するように美しいベッド周りで、彼女の寝間着や下着類をどうしてかダンヴァース夫人があそこまで執拗に見せびらかしたのか、演出上の意図がおもしろい。