ヒッチコックマラソンです。『裏窓』《Rear Window》を観た。

まず、よくわからないのがタイトルで、単純に「裏窓」とはおそらく住居、建築物の正面に位置しない窓を指すのだろう。今作、舞台となっているのはおそらく大通りに面していない、謂わば中庭のようなエリアに面した部屋たちが舞台で、そこに覗く窓たちが主役と言ってもいい。これらを指して裏窓としてよさそうだが、人々の生活を覗く主人公自身であるジェフリーズを、あるいはそこで垣間見える悲喜劇を指しているとも言えそう。

次にだが、どうもサスペンスというよりは男女のサガというか、そういった構図を映し出していることが気になってしまった。『ダイヤルMを廻せ』でもそうだったので個人的には視点を変えてみたいけれども、やはりこの辺は完全にテーマのなのかなぁ。となると、サスペンスはサブテーマのようにすら思えてしまう。

つまるところ、窓から覗けるほとんどすべての人間関係は男女関係に収斂している。

1 組ずつ挙げていくと、まずは左隣の窓のパートナー。序盤はとても幸せそうで新婚ほやほやだ。彼らの様子の描写は 1 番少ないし、本筋の展開とも最も関係しない。この 2 人の関係は途中から少しずつ雲行きが怪しくなってくるのがユニークで、最後は「こんなことなら結婚しなかった」と女性の罵りすら聞こえてくる。なんなら主人公のカップルの未来像としては 1 番近くもある。悩ましい。

2 組目、右手上階のピアニストと正面 1 階のミス・ロンリー、この 2 人がくっつくとは私は予想できなかったし、なんだか夢のようだが、出会いというのは夢なんだよな、これでいいんだよな、ロマンチックだ…。ミス・ロンリーは失意の人で、これはパートナー探しに恵まれていない結果が続いていることを示しているが、一方のピアニストの彼は何なんだろうね。パーティーとか友だちとかは多いようだが、彼にも 1 度も明確なパートナーは描かれなかった。繰り返しになるが、出会いっていうものを表しているのかな。

3 組目、正面左のアパートの踊り子は独り身のようで、仕事仲間や付き合いがあるのだろうか、幾人かの男を部屋に招いたりはしていたが、エンディングでは兵役帰りの彼氏が帰ってきたようだ。短いシーンだが、踊り子の方が彼に溺愛しているようには見えた。幼馴染だろうか、彼の方が年下のような描写もあったが判別できなかった。たしかに、こういうカップルもカップル像としては典型だろう。踊り子としての出世と彼氏との幸せを天秤にかける日が来るのか、来ないのか。

4 組目、正面 3 階の夫婦はベランダで寝起きしている奇矯な夫婦だ。それでも理由があって、なぜなら本作、めちゃくちゃ暑いのだ。他人の生活を覗き放題という無茶な舞台設定も、この設定を担保にしている。この強引さは嫌いじゃない。話を戻すが、この夫婦の振る舞いなどは、完全に戯画的というか、コメディ部分なんですよね。とはいえ、悲喜劇のある部分を一手に引き受けている貴重な存在でもある。

さて、問題の正面は 2 階の部屋。夫:ソーワルドは営業寄りのビジネスパーソンであるらしい。一方の妻は病気がちらしい。 2 人の仲がそこまでよくないことは、序盤から暗示されていた。そこである晩、女の悲鳴が響く。翌朝から病気の妻の姿が見えない。さてどうなる? ここでは、本筋については触れない。

結局、事件の深夜に夫と外に出て行った女性は誰だったのか。それは明かされないし、本筋としてはどうでもいいのだろうが、描かれていない背景を想像する余地でもある。結論としては、おそらく犯人の男、ソーワルドには愛人がいたのだ。そう理解するのがおそらくもっともシンプルではないか。

と、ここまで書いてちょっと調べたら、序盤あたりでソーワルドが電話していた相手は愛人だったという話を目にした。確かめないけれど、そうであれば尚更、邪魔になった妻を処分してしまって、生活をやり直そうとしたソーワルドという構図が成り立ちやすいのかな。なお、以下の掲示板への投稿にあった。

さて、さまざまなパートナー関係が描かれるが、主人公のジェフリーズと彼女リザの関係はどうなったのか。リザがただのお嬢様じゃないことは終盤の描写で強調され、最後のシーンではむしろ彼女の方が主役だったのではくらいの表現を感じた。

過去作にも女性の方が活躍するパターンは多かったが、この作品のリザは、危険な仕事に従事する男のパートナーになるという意思、その前提が明確なのでその分だけ新鮮だ。また、前作の『ダイヤルMを廻せ』と比べておくと、今作は世界中を駆け回る男に付いていくことを躊躇わない女という意味で、パートナー像が真逆になっている。

美術とか衣装まわりに言及しておく。クライマックスの大捕り物でリザの纏っていたワンピースがきれいだった。てか、衣装に関してはそれだけ。画面を構成するジェフリーズの部屋、そこから臨める景色はすべてがスタジオセットである。まぁ、こんな都合のいい環境が見つかるはずもないし、不自然なので流石に気がつく。

とはいえ、正面のビルは 4 階以上もありそうだ。ちょっとセットの大きさが想像しづらい。インターネットは便利なのでさまざまな情報を提供してくれる。以下のページなんかを見ると、全容がなんとなく窺える。直接見学してみたかったものだ。

あとまぁ、なんか珍しく学術系の論考が引っかかったので、読んでみるかな。成城大学の映画学の先生、木村建哉「古典的ハリウッド映画における不自然な「自然さ」:ヒッチコック『裏窓』(1954年)の冒頭場面を例として」の論考が PDF で転がっていた。冒頭をざっと眺めたけど、内容はおもしろそうだ。

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