年を越して継続中のヒッチコックマラソン、全作品を見る意図はないものの、視聴ハードルが低い作品は見たい、という基準でやってきたがようやくゴールが見えてきた気がする。というわけで『ダイヤルMを廻せ』《Dial M for Murder》を見た。

はっきり言って主人公、言うなれば『汚名』と同じように悪役側に、多少なりとも同情しがちになってしまうストーリーだった。それは勿論、そういう計算のもとに作られているのだろう。本作はサスペンスだし、それはそれとして面白いのだが、犯人の夫と被害者の妻の愛憎の関係にどうしても気が向いてしまう。

資産家であるマーゴは、元花形テニスプレイヤーで世界中を駆け回っていたトニーに対し、寂しさからだっけか引退を頼み、実現した。引退後のトニーは、スポーツ用品の商いをしているという。それでも徐々に 2 人はすれ違いが大きくなっていったらしく、ある日トニーは、新しいパートナー候補であるマークと、マーゴが幸せそうにスパゲティを作っている、つまり彼女の浮気現場を目撃してしまったらしい。

こんな悲劇ありますか? この時点で、殺人よりもよっぽどの悲劇だよ。そりゃ仕事を変えたらトニーだって変わらざるを得ないさ。自分からそれを望んでおいて「彼は変わってしまった」と繰り返すマーゴのどこに同情の余地がある? そう思いませんか? とまぁ、こういう構造になっている。

そもそも間男であるマーク:推理小説家も一応は重要な役割を果たすが、なんというかパッとしない。これも冒頭では彼が活躍するんだろうなと思わせておくための伏線なんだろうか。だが、マークはどちらかというと滑稽なんだよな。

一方、ヒッチコックの作品にしては刑事が珍しく優秀だ。役者のジョン・ウィリアムズは、本作の他、『パラダイン夫人の恋』『泥棒成金』に登場している。名脇役といってはそれまでだが、最後のワンピースを埋めてくれる俳優っていう感じがする。

展開はいつも通りと言ってはなんだが、ギリギリまでトニーがやり過ごせるかにかかっており、まぁ失敗するのだが、やっぱりというか上手いよね。最後に刑事が窓からトニーの行方を観察するシーンがあるのだが、そのトニーの最後の逡巡がいい。

ここ、ほぼ窓越しにトニーを眺める構図なのでほぼ無音となっており、トニーの動きにすべてが掛かっている。うまいんだよなぁ、なぜドアが開かないのか、カギが違っているのではないか、頭を巡らせ気がつき、迷い、それでも再度確認に戻る。このシーンが 1 番心に残っている。

次いで言えば、本作は舞台っぽいのかな。作中で登場するシーンはほとんどがトニー&マーゴ宅なのだよね。カメラの向きも入口のドアを正面から映した方向が大半を占めるかな。ドアとカギが作品の問題点、ヒッチコック流に言えばマクガフィンなのかな、これ。だから、ドアが主役なもんで、とにかくここを中心に映すのだろうね。

また、私は酒と酒瓶の扱いが気になった。序盤にマーゴとマークが室内でいちゃついているシーンがあるのだが、あるカットで並んだ酒瓶が画面下に入っている。最初はこれは、入り口のドア脇にあるトニーがよく利用している酒瓶たちと同じだと思ったが、別のものだ。入口ドアの奥にある。最初のシーン遺構はほとんど映らない。 2 人はこの棚から選んで酒を飲んでいたようだ。

クライマックスの最後で、観念したトニーはドア脇にある棚から 2 人に酒を勧めて、2 人もなんとなくそれを受け取っちゃうんだよね。なんかもうこれは、ある意味でトニーの勝利なんじゃないでしょうかとすら思っちゃうよね。彼の掌の上で 2 人は十分に踊り切ったという。というわけでちょっとトニーを応援したくなるというほろ苦いサスペンスだった。

ところで、花形テニスプレイヤーと資産家の娘が結婚する、というベースの設定は『見知らぬ乗客』とも微妙に重なるところがある。この 2 作品に限らず、なんというか別の作品のある要素を取り入れているケースが多いように思うが、これは省力化のためなのか、単純にそういうクセがあるのか。ヒッチコック廻りの知見として、定まった見解はあるのかね。

Comments are closed.

Close Search Window