というわけで、地平7月号に続き、地平8月号を読みました。届いた9月号を開封しないままに10月号が届きそうなので、ギュギュっと読みました。

「緊急」の特集は「極右台頭」だそうで、本当にそうなのか(極右が台頭しているのか)は、私にはよくわからない。これは、特集2の「奪われるフェミニズム」にも似たように感じるところはある。もっとも、これは私個人の問題である。なお、特集1は「戦争準備への対抗」だが、これは継続していくんだろうかな。

表紙デザインは、左を向いた海竜らしき存在だが、水上に見える範囲を覗いた部分は水面下なので、果たしてその全容は知り得ないということらしい。皮肉が利いていて、よい。ネッシー論争ってのはこれがあったというのを、ドラえもんで学んだね。なるほどね。

感想を残していく。

目取真 俊 腐り日本の多数意思に抗う——辺野古 たたかいの10年

紙面のレイアウトは、上に余白を大きく取っている。本誌にしては珍しく(まだ通算2号だけど)、複数の段組みとなっておらず、どえらい美的だ。内容については「腐り日本」であった。抗議船とカヌーは、海上保安官のゴムボートによって阻害されるらしい。海上保安官の人らはどこからきて、どこに帰っていくのだろうか。2014年から10年ということ。2014年、何をしていたっけな。

知層 News In-Depth

竹中千春 インド民主主義の課題——モディ政権とインドの諦めない民衆

いけいけどんどんに見えたモディ政権、そうでもないらしいという選挙結果でしたが。その内幕を説明してくれる内容だった。記事本旨とは外れるかもしれないが、個人的には3つの点、イスラム系のインド人らへの迫害にも思える政権のしぐさ、関連してヒンドゥーのノリがこのまんまなら行き詰まりは近いんじゃないのかな(大きくは絶えないフェミサイド)というのと、シーク教徒についてあんまり知らないなぁそう言えば、などが浮かんだ。

深草亜悠美 CO2を海外に投棄?——日本の気候無責任体制

カーボンゼロやカーボンニュートラルなどの施策ってのは、もちろん実装が始まったばかりの分野ということもあるんだろうけど、結局失敗じゃねーかという結果や疑問は所々で目にしている気がするが、本記事もそれを説明してくれている。大枠ではCCS(Carbon Capture and Storage)という名称の枠組みがあるらしい。

日本では海がその適地として見込みが多いが、当然、海なので開発は大変、元の木阿弥になりかねない、さらにその手法や実際の開発をするにも実は国は本腰ではない(というのは租税面において)という状況であり、四面楚歌だと。それでも突き進もうとしている状況もあると。というかまぁ、そもそも…。

高野 聡  核ごみ処分地と政治的思惑——玄海町文献調査は何が問題か

うーん、以下の記事をたまたま直近で読んで、なるほどなとはなりましたね。あとまぁ別件というか、中国がグリーンエネルギーの稼働目標をすばやく達成したというニュースをみて流石だなぁとなってましたが、日本はどうなんですかね。

緊急特集 極右台頭

工藤律子 スペイン 協同する市民——社会基盤としての自治と連帯

めちゃくちゃ面白かったが、極右台頭という特集に対しては、回答のひとつとして考えられるよね、ということなのだろうか。カタルーニャ、独立を志向している地域だし、それもあってのコミュニティ意識というのもあるんだろうけど、トップからとボトムからの両面作戦で、記事に書かれているような上手くいく施策というのもあるんだなと(ネガティブな面もあるにはあるんだろうけど)、これは勉強になりますね。

菊池恵介 極右の躍進は民意の反映か——欧州議会選挙の帰結と仏総選挙の行方

結局、揺り戻したというか、いわゆる左派(それも極左っぽいのかな?)の寄り集めが勝ったということで、いまは首相決めを中心に政権の樹立に焦点が移ったようだけど、なんやかんやマクロンは舵取りやってんなというのが個人的な印象ではある。

極右がまともな政策出してきたとしたら、それはその側面においては極右的とは呼べないはずで、それでそれなりの支持を集めるのも自然じゃろとというしかないだろうけど、そのへんで読んだ記事には、結局彼ら(極右)が支持を伸ばしたのは、見捨てられた地域に手を差し伸べたからで、それって2016年のトランプと似たような話であろうけど。

そう考えると、これらの例と比べうる日本の極右、あるいはそれが拾おうとなる人たちって、いまどこに居るんですかね。

ウォールデン・ベロー 反革命——極右運動のグローバルな台頭(抄訳)

右翼というのはもともと保守であるというのが前提だと思うが、その流れのうえで「反革命」ということだっけかな。ハンガリーのオルバンについての記述が特に印象的だったけど、そのハイブリッドな独裁という統治体制って、中国共産党も大いにそういう面があると思うけど、実はメリットもバカにならないんじゃないのというか。そのへん切り込んでみたいですね(もちろん建前上は認めがたいわけだが。

大屋定晴  積極的連帯をどう築くか 

本記事のタイトル、おそらく紙面上では「新自由主義国家の権威主義的転換」になっていると思われる。この感想の目次は、基本的にはWebサイトの告知にある目次をベースにしているが、本誌の目次も「積極的連帯をどう築くか」のままだったで、それに従った。私の思い違いだったら、すんません。

というわけで、上の記事の解説として、訳者の大屋定晴の専門は社会経済学(というらしい)だそうだが、この分野って意識したコトなかったけど、めちゃくちゃ面白そうですね。当記事では監訳されたらしいデヴィッド・ハーヴェイの『反資本主義』に触れられているが、ハーヴェイは新自由主義を「資本主義的階級権力の回復・強化のための一つの政治的プロジェクト」と定義したらしい。あるいは「資本家階級を優遇する「新自由主義国家」」だとか。なるほどなぁ。

でまぁ、ベローの「反革命」はこのように定義されるところの「権威主義的転換」と重なるところがあるわけだが、それをもっと歴史的な観点から捉えようという態度だとのこと。本文では最後に日本に言及し、その反革命的な傾向にどう立ち向かおうかという筋になっていくわけだが、非常に面白かった。ふーむ。

古谷経衡 日本保守党の研究

メタゴシップというか、笑いながら読んだけど、別に左翼的な雑誌にも同じことは言えるんじゃないのと疑問に思わなくもなかった(同じような人が同じような内容を述べているという点)。実際にそういうことは無いのだろうけれど。

しかし、名前は見たことあるけど、なるほどそういう構造になっているのか。本記事中で扱われているような手合いにどれだけリソースを割かなきゃならんのかが問題と思うが、実際に彼らに惹かれているひとたちが社会の手綱にかかわる側に少なくないという構造は、これは確かに革新側がなんとか対抗しなきゃならないんだろうな。大変ですね、他人事のように言うけど。

今回の特集を読んでいて思ったのは、自分の帰属意識というか、主体性というか、そのへんが希薄な人間はどうすりゃいいのかなというか、そういう難しさは感じた。別にリバタリアンを気取っているわけでもなく。

特集1 戦争準備への対抗

前田哲男 米軍従属の到達点—統合作戦司令部の本質

これ、あっさり決まっていくのは流石に驚いたよね。統合作戦司令部がどういう構想で成立していこうとしているかという勉強にはなった。もうほぼ忘れたけど。

平和構想研究会  加速する戦争準備と溶解する立法府——2024年前半の安保・外交政策を振り返る

時代を知らない個人の感覚で言うけど、90年代に日本が良いバランスの外交を展開できたこと自体が、アメリカによってもたらされた平和と、諸々の経緯で経済が反映した結果にすぎないんじゃないのかって疑問があるんだけど、どうなんでしょうか。で、どちらも揺らいでる今、どうやってバランスのいい外交を築くのかって議論を読んでみたいです。

【座談会】川崎 哲、猿田佐世、杉原浩司 平和への市民側の課題をめぐって

座談会ということなんで、脇の甘いというか、そういう部分もあるんだろうけど、へーって思ったことだけ書き出しておくと、岸田政権の支持率について、これも私にはわからないところが大きいのだが、支持率(と呼ばれる調査が従来はそれなりに信用されていたようだし、そこに根拠はあるようだが)が低い政権が本当に弱い政権なのか、それが最早よくわからない。大体、結局倒れなかったわけだし。

あと、どの方かわからないけど、立憲民主党をすごい推してて、まー他にアテもないのだろうから頑張ってもらわにゃならんのだけど、すごいなぁと感心した。あるいは、最後には『はだしのゲン』を国民が買って子や孫に読ませるのが平和教育だみたいな発言と読んだけど、どれくらい本気で言ってるのかよくわからないのが残念でしたね。この発言を締めのように終わるんだけど、その編集意図もよくわからない。ほんなら丸木美術館の画集でもいいんじゃないのけ。

海渡雄一 経済秘密保護法は何が問題か

読めばなるほどとわかるが、これを感想としてまとめようというとき、とっかかりが難しい。「政府委員の頭から、自ら定めたこの運用基準すら消し飛んでしまっている」という(大きな問題を説明した)箇所があるが、つまり関係者もよくわかんないままやってんだよなと、そう思わざるを得ないよね。頭のいい人たち(ととされる)が決めたことに従うだけで、(予定通りに)運営されているだけというか。もちろん矢面に立ってる担当者らも頭のいい人たちのはずなんだが。

新聞メディアが如何に触れたか(触れなかったか)についての説明もあり、参考にはなったが、なにかね、こういうのも全然わからないのだが、メディアの社内の体制って当然理念とともに会社の歴史や金銭的な利害関係が形成していくんだろうけど、どうしてこうなるんだろうね。これもやたらと詳しい人と、まるで知らないひと(自分のように)の乖離が大きいように思うんだけど、なんでなんだぜ。

特集2 奪われるフェミニズム

全体感として、私はそもそも「フェミニズム」がなんなのか、原義的な部分の朧げなイメージを除いては、とても把握していない。本誌の読者はみんな、 “This is フェミニズム” って感じの理解があるのだろうか。それ(理解)を助けてくれる記事も特にないように思った。いろいろな切り口はわかったけど。また、いろんなアスペクトで、それぞれの立場が抱くフェミニズムが良くも悪くもいがみ合っている部分があるらしいこともなんとなく知っているが、それがもうよくわからない。

あるいは、ジェンダーや性的マイノリティの問題が、フェミニズムと隣接している(のだろう)としても、やはり個別に論じるべきケースが多いだろう。これは、掲載されている対談が勉強になった。または、妊娠中絶が取り上げられた記事もあったが、これは私にはフェミニズムを主軸に議論すべき問題か際どいのではと思える。もちろん、女性の主体にかかわる問題である面は、当然として存するけれど。

特集として「奪われる」とネーミングしているけれど、誰から誰に奪われているという前提の見出しなんだろうか。いや、私には全然わからないんだけど、誰が奪うのか、誰のフェミニズムを。センセーショナルではあるんだけど、誠意のある見出しかなぁこれ。

菊地夏野 女性活躍の「光」が落とす大きな影

ネオリベラリズム・フェミニズムが中心的に取り上げられていると読んだけど、たとえばタイトルにある「女性活躍」を著者は何を指すのだろうか。

ざっくりとした理解としては、男性中心的な、ホモソーシャルな社会やフレームにて女性が活躍しても、それはフェミニズムがそこに落としこまれ、女性という概念が便利に使われているに終始している、という問題意識と捉えたけど、では逆に、そうならなかった場合の理想形というか、着地点がわからない。

一種のアポリアというか、もはや再帰的な議論にしかならなそう(というと、この態度が問題ということになるのかしら)。

【対談】水上 文、清水晶子 「フェミニズムの敗北」を乗り越えるために

やー、なるほどね。個別の具体的なトピックとして語られると身近と感じられますね。笙野頼子は、またなんか何とかって雑誌で問題になってるみたいだけど、詳細は全然知らんのだが、ハリーポッターシリーズの著者みたいな感じなのかな。

インターセクショナルなフェミニズムってなに? って思ってちょっと調べたんだけど、なんというかこの辺の議論って転倒してる部分があるような気はして、もちろん究極は各論なんだろうけど、それってフェミニズムが担当すべき問題なのか? と冷静になるべきシーンはあるんじゃないのかな。

BL好きにミソジニーがあるというのは、なるほどなと思った。そういう視点は考えてみたこともなかった。しかもそれは、現実で押し付けられた女性性に嫌な思いをした結果だというのだから、大変だ。でもこれも、それは悪い原因があったとはいえ、最終的には倒錯ではないという立場になられたら、そう受け取るしかないものな。

「カルチャーは、基本的にはただ楽しい」「理論的な蓄積ではない」「とにかく違和感に寄り添ってくれる」というのは、確かにですね。それで救われる個人がいるからこそのカルチャーなんだけど、日本の村的な道徳ってそういうところなんだろうかね、とか。

塩田 潤 一九七五、放棄/蜂起するアイスランドの女性たち

この運動が可能となった要因のひとつとして、アイスランドの人口の小ささが挙げられてはいたが、翻って、コトバを復興するにあたってのコミュニティのボリュームってのは考えるべきだとは思うんだよね。それって逆に、難しいことではあるんだろうけれど。ってところで、話はアイルランドなんだけど、以下の記事はうーんってなりましたね。男女平等(?)への道のりは遠い。

趙慶喜 拡張するフェミニズム——正しい敵対と連帯のために

韓国で女性嫌悪がここまで深刻とは、薄々と知ってはいたが、これはいったいなんなんだろう。韓国に限らないアジア的な社会の習慣が(旧来の家父長制的なそれという以上に詳らかに)そういう土壌ではあったんだろうか。上に挙げたようなヒンドゥーの感覚も近いところはあるのかな。それは、特定の地域が先進、あるいは後進だと結論付けるものでもなかろうが。

もちろん、そういう研究はあるんだろうけど、それ(なぜこういう社会になったか、どういう社会だったのか)を学ぶことって大事なんじゃないのかね。いや、それもやってるんだろうけど。

藤高和輝 「顔をそむける」——(トランス)フェミニスト・キルジョイ、あるいは「対話」の困難さについて

後半に至っては、権力構造の問題であると言っているが、そうなると、もはやフェミニズムの問題ではないと考えたほうが益が多そうな気もするが、そこは譲れないポイントもあるんだろう。これも個別の議論について適用していくべきなんだろうけど。それを言ったらおしまい、そしてこういう態度こそが問題なのかしら?

田中美津さん、ちょうど訃報が出ており、なるほど無学にも知らない方だった。ウーマン・リブとその運動というのは、おそらくフェミニズムとの両輪として機能してきたんだろう。評価が分かれるという面もあるらしいが、それはかの人が活動家だったからなんだろう。どれかひとつ、読んでみたいな。

広渡清吾 学術会議「法人化」の本質とは何か

お金がないというに尽きる気がしますが、どうなんでしょうか。9月号の記事を読んで、また次の感想を捻りだします。引き続いての共同声明「再び、岸田文雄首相に対して日本学術会議の独立性および自主性の尊重と擁護を求める声明」も掲載されており、最後には吉川弘之さんからのメッセージも1ページ半ほど載っているのだが、これは内部の方が読むとどう感じるんだろうか? 私はなんだかなぁとなりましたが。

大矢英代 立ち上がる米国の学生たち

この記事と次の記事は前号からの引き続きの内容なのかな。直接の関係は特に明示されてないけど。朝日新聞の記事のひとつで、向こうの偉い先生にインタビューして、ベトナム戦争時の学生の運動と今回のそれはくらぶべくもないウンタラみたいな内容があったけど、まぁ、やっぱりそういうことでもないよな。

ジェレミー・スケイヒル・ライアン・グリム 流出したNYT紙の内部メモ(ガザ報道をめぐる用語統制)

すごいね、結局のところ巨大メディアってのは資本の論理だかに巻き込まれて自縛されていくということなのか。それだけコトバの強さ、あるいは弱さを実感させられる内容だ。そんなニューヨークタイムズですが、なんかデジタルの登録者数が節目を迎えたとかで、めでたいですね。ははは。

セラジ・アッシ この狂気はいつ終わるのか——ラファ 暴力と排除の歴史

ワシントンDC在住のパレスチナ人ライターの方の本年2月、5月の記事の抄訳らしいのだが、その記事がどうやってパブリッシュされたのかはよくわからない。調べることはできるだろうけど、まぁやめておきます、許してください。ラファに焦点が当てられているのはタイトルのとおりだ。イスラエルとエジプトの緩衝地帯のように扱われ、やはり現地のひとたちは延々と虐げられてきたということ。

【シリーズ コトバの復興】

花田達朗 第三のジャーナリズム 第2回

あぁ、こういう感じで連載が進むんですか、次回で最後みたいだけど。『News Kochi』の話題と、映画『生きる』(東日本大震災関連)、そして地平社の立ち上げの原因となった問題について触れられているが、全体としては、ジャーナリズムと身体性が軸にされている。

日本新聞協会の「新聞編集権の確保に関する声明」というのは、目にしたことはある気がしたが、こういう構造というのは意識する機会があんまりなかったな、近年までは。ひとり版元だとか、ヤメ記者(9月号で扱ってるのかな)だとか、微かな希望的な話題もある。

吉田千亜 言葉と原発 尊厳ある「復興」を返せ

福島でエフレイ(福島国際教育研究機構)というプロジェクトが発進していることも知らなかったが、シリコンバレーをたとえて発展させようという脳天気なメッセージングにはたしかに顔をしかめざるを得ない。しかし、最近知ったのだが、福島ってサッカーに力を入れていて、Jヴィレッジってのがあるんですよね。国内最初のナショナルトレーニングセンターらしい。最近、そこに競走馬の育成施設ができるらしいという報道があり、これも面白いなとなった。

【好評連載】

後藤秀典 司法崩壊 第2回 巨大法律事務所の膨張

スリリングだ。こういう連載、最終的には単行本になると思うけど、雑誌を読んでこなかった人間なので、単行本になる前に連載を追うときの気持ちって、エンターテインメント作品と違って、心地が悪いね。

上に挙がっていた「新聞編集権の確保に関する声明」もそうだけど、日本社会はまったく戦後から脱してないじゃんねぇという気持ちになることばかりだね。日本の弁護士の萌芽が戦後日本における海外との渉外で生じたというのは、なるほどな。アンダーソンって誰やねんと思ってたけど、そういうことやったんか。

学歴的な競争における優秀者(処理能力の高い人間)が、およそ複雑なルールを駆使する現代社会のキーポイントで駆け引きを行使するに適しているのは確かだし、そうやって社会は発展してきたわけだけど、なにかね、この不幸は。長島安治『自由と正義』も気になるが『日本のローファームの誕生と発展』も気になる。

樫田秀樹 会社をどう罰するか 第2回 ネクスコ中日本 笹子トンネル天井板崩落事故②

「会社をどう罰するか」というタイトルの通り、日本には会社を訴えるための仕組みがない、というのが抽象的な軸となっており、前号に続き、経緯が語られていた。奇しくもというか、法律という建前に対して個人がどう立ち向かっていくのかという話題になり、「司法崩壊」とあわせて読むと渋さが増す。

山岡淳一郎 薬と日本人 第2回 向精神薬 認知症と発達障害の闇

暗い笑いが出る内容だった。認知症についてはなるほど、勉強になったなぁというか、ADAS-Jcogというの試してみたいな。良くも悪くもわかりやすい図で、薬の効果を示されているが、へぇーってなる。そしてこの薬を打ってみたくなる。日常的に、実感するようなところはあるのだろうか。

発達障害の話題の方は、完全に闇というか、これは地獄ですよね。生活してればこの問題はどこそこで耳に届いてくるものではあるが。社会的な人間のつながりという面で、認知症についても「人と人の関係」であると述べられていたが、子供についても、同じことであると。いや、その通りですよね。

前号の記事の結びについては私は半信半疑だったが、今号の結びは納得した。グローバル資本主義、許すまじ。

尾崎孝史 ウクライナ通信 ドンバスの風に吹かれて 第2回 爆死したジャーナリスト

ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のフランスの記者アルマンが現地で負傷し、亡くなるまでの足跡を追った内容だった。現地で彼といたコーディネーターの方と邂逅して受けた説明がベースだ。東面は現時点でかなり大変なことになっているらしいが、ウクライナの反攻も今後どういう事態になるのか、評価されるのか、まったくわからんですね。

佐藤 寛 イエメン 忘れられし者の存在証明

ホーシー派というのがどういう存在なのか、ある程度はわかった。はー、なるほどな。正当性があろうとなかろうと、彼らは政権を担おうという意思があるのか、どういう確度なのかは、よくわからない。どうなんでしょうね。どこまでの見通しを立てているんだろう。アフガニスタンのタリバンも似たようなところを感じるけど、9月号のハイチのギャングについてもそう。統治の正当性とは。

パレスチナ情勢が、ホーシー派の立場についてあらたな局面を与えたというのも、なんだかな。どう向き合うだろうか、私は。

天笠啓祐 フッ素の社会史 PFAS問題の淵源 第2回 原爆開発と環境汚染

原爆の開発にウランとフッ素を反応させる必要があり、またフッ素を利用するにあたっては、それを擁するためのフッ素化合物が必要であり、ところでフッ素化合物は、アルミの精錬で排出される。なるほど。ついては日本では環境問題がネックとなり、アルミの工場は2014年に無くなったらしい。うーん、つまりは、暗い話にしかならないのだろうが、続きが気になりますね…。

栖来ひかり 台湾・麗しの島だより 第2回 「移行期正義」の練習帳② 植民地台湾の「日本人」

『流麻溝十五号』という映画、たまたま観に行ったら、この連載で触れられていた。まさしく映画で扱われていた女性のモデルとなった方、その方について触れられていた。周縁の人たちの生活というのは、どういうものなんだろうか。あるいは中心とは。映画の感想も載せたいんだけど、買ったパンフレットをまだ読めておらず、足踏みしている。

【Independent Book Review】 

高井ゆと里 ここは言論のアリーナか、それともコロシアムか——『トランスジェンダーになりたい少女』と出版における表現の自由

観客席からの感想なので、誰かが読む必要もなければネットに上げる必要もないんだけど、メタ的なところだけ触れておくと、この記事が書籍の刊行と流通という軸をとったのは、なるほど、わかりやすい。

さらにメタ的には、今回の問題、そもそも話題の拡散は X を中心になされていたと見るけど、そここそが問題として扱われるべきだとは考える。…ただひとつだけ、「書店にヘイト本が「ある」のは、福島ら書店員がそれを発注しているからだ。」というのは、正しいのか疑問だが、どうなんでしょうね。…あんまり意識してなかったけど、タイトルの「ここ」って書店を指してるんだよね。

松尾隆佑 大事なのは政治だよ、おばかさん! ……でも、どんな政治が?

これも面白い。書評だ。主に1960年代にアメリカで活躍したらしいロシア系ユダヤ移民ソール・アリンスキーという人物についての書籍が、北海道大学出版会から2021年に出版されたらしい。6000円である。いわゆる専門書の類だろう。

アリンスキーは、コミュニティ・オーガナイジングという運動で民主主義を再構成するとのこと。オーガナイザーという存在がキモらしい。これらはリベラルではなく、ラディカルであるらしい。プラグマティズムとの関連も説明されており、なるほどやっぱりプラグマティズムは重要だよなとなりますね。

「薬と日本人」の連載でも感じることだが、身近な、生活の範囲における人間関係が希薄なのが問題の根のひとつであると、そんな気がすることばかりだ。この記事のタイトルは、なんなのだろうか。ユーモアがあって好きだけど。あと、この記事は、スペインの記事と同じような観点から載ってるんだろうかな。

森本浩平 個と場と本 第2回 沖縄で本と出会う——『リメンバリングオキナワ 沖縄島定点探訪』 

「個と場と本」が「コトバと本」になっているのに今更気づいたのと、この連載は本にかかわるひとの連なりで形成されるということを今号で理解しました。沖縄のジュンク堂のエグゼクティブ・プロデューサーの方、森本浩平さんだそうです。沖縄書店大賞。大賞ね。

本を読む人を増やすということをつらつらと考えていたら、本を読むってどういうことなんだっけとなってきました。本(雑誌)である必要とはなんだっけか。

石田昌隆 Sounds of World 第2回 トーマス・マプフーモ

この内容もスリリングだなぁ。とはいえ過去の体験記という体裁なので、そこはそれなりに気楽に楽しめるけれど。ジンバブエ出身のミュージシャン、彼の凱旋ライブを2002年に鑑賞した際の記録、写真。闇レートでの日本円換算がしつこく記述されており、ついつい笑ってしまう。

というわけで、なんやかんやと読み切ったので、9月号へ行く。

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