JANOMEといえばミシン針だが|『まほり』

『まほり』を読んだ。高田大介という方の作品らしい。人に薦められた。この記事のタイトルは、ただの連想遊びで、本題とは、まったく関係がないです。ネタバレ味はしますので、読んだ人は読んでね、という感じの感想文になります。

民俗学的という触れ込みで読みはじめたが、たしかにそうで、史料批判のような内容にそれなりにボリュームが割かれている。ので、資料を照らし合わせて事実らしきものの解明に向かう、といった内容に不慣れであったり、興味が無かったりすると、ツラい読書になりそうではある。

文献学ってこういうジャンルだっけ??

本作のノリだが、マンガで言えば、それなりに現実的な結末を用意したパターンの宗像教授シリーズ(星野之宣)のような雰囲気で、諸星大二郎ほど怪異寄りでもない。というよりも、山口譲司『村祀り』のような怪奇モノだとか小川幸辰の『みくまりの谷深』を連想したが、『村祀り』がそれっぽいかもしらん。

小説だとどうだろうか、と思うが、このタイプの小説はほとんど読まないので、あまり具体的な例は挙げられない。伝奇SF だが半村良の作品を読んでいるときの興奮には近いかなぁ。

いずれにせよ、本作はミステリー分類のようだが、個人的には伝奇モノに近いなという感触で楽しんだのだった。

あれやこれや

主人公は小学生と大学生と 2 人に大別できて、どちらの動きもよかった。「ひと夏の冒険」といった調子のちょっとしたジュブナイル小説のような雰囲気もある。

冒頭から主人公が切り替わるとき、時代が飛ぶようなトリックがあるのかと勘ぐってしまったが、これは別に無かった。気のせいだった。普通に同じ時間軸だった。

しかし、ミステリーの感想なんてあまり書かないのでアレだけど、ネタバレへのケアが他のジャンルとは違うなやっぱり。下手なことが書けない。いや、読み返してみると、書いてる気がしてきたけど、もうどうでもいいや。

風習あるいは伝承の手段と目的(結果?)が転倒したという事実に迫っていく描写はスリリングで面白く、これは実際に起こりえることなのだろうが、事実として、起こりえることなのだが、覆すのが難しいのだろうなぁ。

この覆しがたさは、日本人特有の性質なのだろうか、あるいはある程度まで条件が整ってしまえば人間の集合体がどうしようもなく背負う業なのか、気になるところではある。いや、後者は前者を内包しているけれど。

間引きという旧時代の習慣とその規模感の恐ろしさというのは、本書の醍醐味のひとつであって、この問題はハッキリ言って直視し難く、厄介なテーマでもあるが、良くも悪くもエンターテインメントというフィルターを通して向き合えたことは単純に好機ではあった。

日本に限らなければ、現在進行形で世界の至る所での問題であることは確かであるし、日本にしたって中絶も広義の間引きであるし、似たような問題として赤ちゃんポストの問題をどう見るかという話に敷衍しうる。というふうにすると、本作の問題は、別に過去の恐ろしい話というだけのことでもなさそうだ。

だが、そこまでいくと感想文としては話が逸れるか。

大学生の主人公の出自については、ある程度の段階で目星がついたが、それはそれとして、その事実があるいは不幸の末に辿り着いた幸福であったのか、絶望の産物でしかなかったのか。そういうところは気になる。そういう後味はあった。しかし、なれば実はショートカットできるルートがあったのでは? という疑問も生まれる。

ほかに、気になった点といえば、宜しくない風習に利用されていた建物というのが、ひっそりと忘れ去られたようにどこかに残っている、というような事例は過去か現在にあるのだろうかと気になった。が、そりゃ忘れ去られてりゃ残ってても知らんよなという、まさに本作の探るところと一致する問題があるね。しかし、なんらか事例はあるのかね。パッとは思いつかないけれど。

最後に、主人公の台詞に「猖獗を極める」って、2 度ほど使われていて、たまに目にする表現だけれども、口語で使う子がいる-という設定が、面白いなってなりました。

まる。