『夜明けのすべて』を観てきた。フォローさん達が絶賛だったので、そういう経緯だ。で、間違いなく素晴らしいんだけど、まぁ素晴らしいんだよなということで、少しだけ、手ばなしには楽しかったとは言いづらい、みたいな話をする。超絶賛! ネガティブな意見なんてカケラも見たくない! ってひとには申し訳ないけど、読まないほうがいい。まぁ誰も読まん、記事だけど。
三宅唱監督、『きみの鳥はうたえる』(2017)はめちゃくちゃ好き。『ケイコ 目を澄ませて』(2022)も高評価を得ていたように思うが、これは見ていない。とはいえ大筋は耳にしているので、なるほどこういうラインがテーマなのかなとは勝手に理解している。ちなみに監督、映画美学校と一橋大学を並行して通ってたんか? すげぇな。
主演の2人は連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で共演したらしい。タイトルは知っているが、こちらも未見でゴザル。どちらかというと、上白石萌音が『君の名は。』、松村北斗が『すずめの戸締まり』の主演であったことのほうが、目に留まる。新海誠もコメントを寄せてることも確認した。皆さん、旬の俳優をアサインするの上手いな。
小さな変化を捉えていきたい
フィルムの画面にはやっぱり味わいがありますね。ノスタルジックではあるんだけど、それはそれとして生活感があるというか。序盤で河川か海岸を手前に遠景の都心(おそらく)の夜景を映すカットが何度か見えたが、無機質な感じが強い。殊更に強調したいワケでもなかろうが、藤沢や山添がかつて居た場所であることは確かで、まぁなんか文字通りの遠景なんだよね。
この物語は、冒頭のエピソードを除けば、新年を挟んでおよそ2か月間(おそらく)ほどのエピソードであることが朧気にわかるが、転機は山添の発作から訪れるわけだ。それほど親しくもない人物の家に上がりこんで特に経験があるわけでもない散髪を買って出るというのは、お話らしくてよかったですね。山添がユニークな人物でよかったやん。
このへんから作品の方向性は決まったなぁ(事前に耳目してた通りだけど)という感じで、藤沢の母がケアセンターに通っており、右足を麻痺しているらしいという様子が明らかになる。妙なリアリティというか、押し込んでくるなぁ。山添の同期の女性や、藤沢の大学時代の同期、転職エージェントの女性なんかは、寄り添ってくれるものの、やっぱり対岸の人間なんだなというのも地味に沁みる。
年明けくらいから、栗田科学の立地はよくわからないが(おそらく千葉方面か)、職場やそこへの導線、藤沢の通勤経路、山添がバイクで駆けた街並みなんかが、とても自然に、それなりに美しく見えてくるわけだ。山添が公園沿いの道をグルーっと回るところなんて、おそらく本作で 1 番カメラが動いてた。これはわかりやすい転調だ。
するとまぁ、プラネタリウムというネタに絡めて、帰路で夜散歩しながら星を探す2人とか、天体を彼らなりに研究するとか、タイトルに沿うことになるわけだけど、夜が身近になってくる。後半はもう彼岸の景色には興味が薄れ、地に足の着いた町の夜の灯かりが私たちの心を虜にするってワケだ。よくできてんだ、(おそらく)原作も、映画も。見事すぎる。
いい話なのか、あるいはロマンスについて
心の片隅に残っていることは 2 つほどあって、それについて触れる。
これも未見なので例に出すのも烏滸がましいことだが、ヴィム・ヴェンダースの『PERFECT DAYS』が絶賛されている一方で、画面が彼の生活をあまりに美化しすぎだ、現実離れしているという意見もあった。そのことを思い出した。もちろん、そんな視点は必要ないのだろうけれど、このやさしい世界があまりにもよくできすぎていて、ほろ苦さが否定できなかったという話だ。
奇しくも役所広司を介して『すばらしき世界』も連想される。あの作品の主人公も、それこそより強烈に社会のレールからずれているひとだった。安易に並べることもすべきではないが、ベースの根本的な問題は、そこまで遠くないはずだ。
残念ながら、PMSやパニック障害にどれだけの苦しみや難しさがあるのか、私は実感できる立場にはないし、あるいは街場の清掃員である中年男性、ひいてはヤクザ者の行き先も身近に感じることはしづらいが、やっぱりどうしても前者のほうが自然と身近な問題に感じてしまうのは、どうしてなんでしょうね。さて。
ただまぁ、ちょっと話は変わるけれど、この3作品、おそらく撮影地がかなり近いんだよな。それは予算や座組やらによる制約というよりも別に、首都圏における生活、足元の物語というか、そういう文脈で語りえる気もする。あの映画とかこの映画とか、いくらでも挙げられるだろうけど。
もうひとつは、私より上の年代の男性による評価で多かったのが、ロマンスにならない、彼らの 2 人の関係に解決を求めないところがいい、というような言であった。これ、世代によって視点がズレるのか、どの世代でも共通に感じることなのか難しいように思うが、それってつまり面白いよなと思った。
どちらかというと前者の場合、これが現代の若者なり、それを切り取った視点なりのスタンダードなロマンス的な距離なんじゃないのか、という問いかけを自分にかけたい。作中で微妙にそのことに触れる箇所はあって、しかし、2人はさもそんなこと気にするにも及ばないという風に話を続け、流していくし、言うまでもなく結末まで、彼らのプライベートは、(皆が思うように)過分には踏み込まれない。
なんかそれをもってすばらしい、新しい、みたいに言うのはどうかなって話になっちゃう。別にそれは人それぞれだけどさ。ただまぁ、それを含めて、ただただ美しいんだよね。これがこの作品、ということではあるのだけど。
あの、お天気雨は、なんだったんやろか。
Last modified: 2024-02-20