《1秒先の彼女》を観た。
台湾映画だ。台湾映画を観るのははじめてなんじゃないのかな?
原題は「消失的情人節」、英題は “My Missing Valentine” となるようだ。「情人節」が「バレンタインデー」なので、単純に「バレンタインデーの消失」というタイトルだろうから英題もほぼ直訳なんだろう。邦題の工夫も納得しやすい。
作中では「消失」の効果によって原題をスクリーン上で言葉遊びしていたようだが、字幕も無かったかあるいは一瞬かだったので、意味がよくわからなかった。中国語を勉強したいね。
美しい台湾の風景
行ったことないのだけれど、台湾の都会の風景と海辺の田舎町の風景がとても美しかった。作中でキーとなる海岸とそこに向かう道中、都会に戻る道中があまりにもよく撮られていて、大胆にいえばこれだけでも鑑賞する価値はある。
最後のほうで、メディアなどでよく目にするバイクのすごい流れなんかも目に入ってきた。これは美しいとは言えないが、ある意味で現実に戻ってきたことの象徴なのだろうな。ギャップを生み出す効果があった。
なにより、ドローンで上空から撮影されたであろう海岸線が見事だ。同監督の前の作品でもこのあたりが舞台になったことがあるらしいという情報を目にしたけれど、これだけ美しい景色は、それは何度でも使いたくなるだろう。
ヘアメイクの重要さがわかってきた
主人公、ヒロイン:ヤン・シャオチーのころころと変わる表情豊かな演技がとても印象深い。これも間違いなく本作の魅力のひとつだろう。父親の失踪という不幸な生い立ちから都会の郵便局の窓口案内になり、下町風のエリアの小汚いアパートに暮らしている。が、文句を垂れながらも彼女なりに幸せそうだ。
しかし、当然と言えばそうなのだが、人物の髪型でそれぞれのキャラクター性がガラッと変わってくるのがスゴイなと、最近は映画をみていると、そう実感させられる-もちろん本作に限った話ではないけれど。シャオチーがクライマックスで、田舎に引っ込んだのに垢ぬけた感じになってしまう逆転的なギャップには、クスッとなりつつもグッときた。彼女も成長したのだ。
しかしどうにも偏狂な愛だなぁ
シャオチーに想いを寄せる登場人物の愛が、まぁ彼なりの愛が、ああいうかたちを取らざるを得なかったのは納得はできるが、これが別に原則的にはいい話ではない、はずで、そういう意味では何とも歯痒い。
しかし、決定的な設定であったが、それらを相殺し合うような-実際にはぜんぜん相殺しないし、むしろ差は拡がる-、そんな不器用な 2 人がくっつくというのは、ある意味では収まりがよいような気はする。
どう考えても狂ってはいる状況なのだけれど、ツーショットを撮るにあたって、パントマイムのような演技を導入していたのは、おもしろかったね。
《TENET》と同じ年の映画として本作は
鑑賞後にふと、この設定とそれを生かした大胆な撮影は、《TENET》あるいはクリストファー・ノーランへの挑戦なんじゃないか? と勝手に妄想した。だが、どちらも 2020 年の作品であった。
これはどなたかの感想からの孫引きなのだが、予算の都合もあって特殊効果(CG)は極力使われなかったらしい。奇しくも、この点も類似している。ノーラン監督の場合は拘りゆえであるが。
本作のトリッキーなシーンは、ところどころ俳優さんがプルプル震えてしまったり…、ということが見えるので、あぁ、これは演技しているのだなと判明するのが微笑ましい。いや、でもかなり魅力的な画なのでこれもスクリーンで観られてよかった。
ついては、ヒロインだけ日曜日をすっ飛ばした原因が、鑑賞後も自分のなかで怪しかったのだが、よくよく考えて判明した。こわいわ。
なんかキャストがおもしろい
公式ページでキャストを読んだが、個性的な面子が多くユニークだったので、端的にメモしておく。
ヤン・シャオチーを演じたのは、リー・ペイユー(李霈瑜) またはパティ・リーという女性だが経歴をみるにマルチタレントだ。服飾デザインを学び、モデルデビューし、TV に出演するようになってから俳優としても出演しはじめたようだ。
ウー・グアタイを演じたリウ・グァンティン(劉冠廷)は、大学で演劇を学んだがいったんは夢をあきらめて 3 年間は体育教師として働いたらしい。公式ページの説明によると「いま台湾で最も注目を集める実力派俳優」とのことだ。
郵便局の後輩:ペイ・ウェンを演じたヘイ・ジャアジャア(黒嘉嘉)またはジョアン・ミシンガムは、どこかで見たと思ったら、美しすぎる囲碁棋士として有名になった子だった。本作が初の映画デビューらしい。
シャオチーに言い寄っていたリウを演じたダンカン・チョウ(周群達)は香港出身で台湾に移住した経歴の持ち主で、どちらの地域でも活躍しているとのことだ。こういう状況の人が今後の香港で活躍する機会があるのかは不明だが、こうなると香港問題も身近に感じるね。
一言だけネガティブなことをいえば、セクシャルなネタ? ギャグ? が割と多くて、これは良い意味での現代的な大らかさなのか、単純に旧時代的なのか、途中で訳がわからなくなった。が、冷静になると旧時代的ってことで間違いないと思う。上述の偏狂な愛もそうだが、これらが決定的に苦手なひとにはキツそう。
最後に。
ラジオのパーソナリティーから発せられた「恋が記憶を成立させる」みたいなのと「愛は自己欺瞞(自己陶酔だっけ?)」みたいなのの 2 つの台詞が妙に印象的で、これらのキーワードとイモリのおじさんの忠告をうまく掘り下げていくと、別の味わいが出てくる気がする。どうだろうか。
Last modified: 2021-07-15