2019 年のアニメ『ケムリクサ』を暇つぶしがてらに視聴しはじめたら、一晩で最後まで観てしまった。2012 年頃に制作された同人作品のほうは皆目知らなかったが、それがリメイク、拡張されたのが本作と言っていいのかな。

あらすじだが、あかぎり(赤霧)というモヤに包まれた大小の島々が幾つかの壁に隔てられている。主人公である「りん」の姉妹は、闖入者にしてもう 1 人の主人公である「わかば」とともに、水源を求めて危険な島へと移動することを決意する。

さて、監督の前回監督作品も似たような設定でポストアポカリプス様の世界だったが、いわゆるまともな人間は存在しない。「ケムリクサ」という能力をまとった草のようなアイテムと、それを行使できる姉妹がいる。そこに わかば という人物が合流した、という具合だ。

ここまで書いて思ったが、この作品を魅力的にしているバランスってすごい繊細なのかな。まぁ、世に出される作品というのは、ヒットするにせよ否にせよ、そういうものか…。これがおもしろいんですって言いづらいけど、ついつい先が気になってしまう。そういう作品ではある。

本作についていえば、「世界の謎と物語の結末が気になる」といえばそうなのだけれど、ではそれを魅力的にしている材料はなんだ? ケムリクサの存在や設定の見せ方の巧妙さか? 姉妹の可愛さや格好よさが魅力か?

とは言ってもやっぱり「砂漠でオアシスを探す」というのが大きな魅力だな。類作としては『BLAME!』などが思い当たるが、命かながらに旅を続け何と出会うのか、目的の成果が見つかるのか、途中で断念するのか、不幸にて断絶するのか、別の結果に至るのか、などなどである。

オチについてだが、彼らが現実から別の層にあるメタ(あるいはデータ的な)存在であり、そこでの消滅が更なるデータの海への一体化なのだと解釈すれば、ネタを明かされたうえでひっくり返してみれば、時間はとてもかかるが事実上はずっとコンテニューできるゲームのようにも見えた。

これをどう捉えるのかは、なかなか難しいような…。

とりあえず置いておく。

ところで本作、閉じた世界観と植物というモチーフがそこそこの抽象度で設定されているので、話を拡げるには割とフックが少ない。が、個人的には「ケムリクサ」というネーミングがよく分からず、気になっている。漢字にすれば「煙草」なんだろうけど、これではタバコになっちゃう。意図はあるのか?

こじつけるなら-と言うほどのつもりもないが、姉妹が求める生存条件としての水を元として「あかぎり」は水から生成されて、「ケムリクサ」は水をエネルギーとして機能している。

つまり“霧”と“煙”はさまざまな意味で相反しているわけだが、一般に“霧”や“煙”は視界を遮るように、空気中を漂って拡がる存在である点については同様だ。

これらの醸すイメージというのは、一般に幻想性とかだと思うのだが、まぁつまりそういう所与があって「ケムリクサ」という名前になったのかな、とか。結論めいたものはないけれど…。

アニメーション自体には特に述べたいこともないが、姉妹のキャラクターの個性の出し方、伴って ED のビジュアルがカッコよかった。さて、ざっと見る限りでは、タツキ監督(尾本達紀)は 2020 年は発表された作品には名前を出していないようだけど、次は何をしてくれるんだろうか。楽しみが尽きない。

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