ブライアン・デ・パルマの初期の傑作というのでなんとなく『悪魔のシスター』を見にいった。シスターって修道女かと思ってたが、冒頭のタイトルクレジットあたりの演出で、「あぁ、これ姉妹のことか」とわかり、なんとなく内容も察せられたのであった。どっちでもいいんだけど。

ヒッチコック愛による表現というのを見たかったというのもあったが、まぁナイフが妙な軌道で動くところが『サイコ』そのものであったりということなんすかね。覗きの機能が『裏窓』的であるという指摘も目にしたが、はぁなるほど。

へぇーと思ったのは画面分割で進行するふたつの状況を描いていた箇所で、現代的にはむしろ珍しくもないが(使われる機会は稀だろうけど)、こういうの使ってくるんやなという。Wikipediaの情報を読むと、こういう技法をよく使うと書いてあったが。

なんだっけか、最近だと『ルクス・エテルナ 永遠の光』でも見たわね。あの映画もピーキーだったけど。

さてここで、メタ情報になっちゃうけど、座席の選び方に挑戦して失敗したのと、体調があんまりよくなかったので、後半は記憶が飛び飛びである。そろそろ劇場での上映も終わるようだし、再視聴しようにも配信はないので、なかなかつらい。が、まあ嘘とならないように、続けて書く。

姉妹、最初は『ブラック・ジャック』のピノコのような存在だったのかと思っていた。『マリグナント 狂暴な悪夢』(2021)が該当する感じか。でも、そういうことではなかった。オチ事態の開陳は割と早く、要するにシャム双生児がネタなのだったということで、なるほど懐かしい。

で、このへんからうつらうつらとしはじめたのだが、英語版 Wikipedia のあらすじ解説を読んで割とびっくりしたね。なるほど、エミールの執着は度が過ぎたな。しかし、マジか。でも、たしかにダニエルがバスルームで苦しむシーンの様子、それを示唆していることを疑ったんだよね、なるほどなぁ。

エンディングでグレースがああいうことになってしまったのも、あらすじの解説を読んでなんとなくでわかる範囲としては、つまるところ発狂オチなんだろうか。そうすることで、たしかに後味としての恐怖感も強い。

探偵の存在はギャグなんだろうけどさ、いやビックリしたよ。最後のなんだあれは笑。似たような印象を受けるのはギャグ漫画のラストなど(当然でもあるがやはり古典的なギャグとして)だが、どういう系統によるインスピレーションでああいう演出になったんだろうね。

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メタ的な話を少しだけしておくと、最初の異変時の会話、声の在り方とかさ、衣装の変化とかさ、この手の、かつレトロな映画においては割と不合理さを無視するよな。理屈を捨ててくる。

全然悪いことではないし、結局、現代的にはそれを理解したうえで我々は楽しむことにするわけだが、それって高度なことなのか、あるいはある意味で怠惰なのだろうか。もちろん前者だろうけれど、これもなかなか面白い問題設定になるのではないかという気はする。

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