権利関係で配信から消え、鑑賞のハードルがあがるとの情報を耳にし、2023年の末に『バグダッド・カフェ』を観た。著名なパッケージのビジュアルは記憶にあったが、こういう作品だったのかという驚きが強い。なるほど、カルト的な良さがあるタイプやな、ってなりました。

冒頭、荒野で小水を足す男女、機嫌が悪い。特にこのあたりのカメラ回しは挑戦的で絵作りがヤバい。何もわからん。喧嘩しつつも車は発進したかと思いきや、女と黄色い水筒(ポッド)が置き去りにされる。えぇー。てか、バグダッドというかアメリカの荒野やんな。

ロードサイドのカフェ&モーテルが「バグダッド・カフェ」であることはわかった。置いていかれたふくよかなドイツ女がオーナーの黒人女性とその家族を懐柔して仲間入りしていく展開もわかった。まるでおとぎ話のように展開されるイイ話であることもわかった。

最近に観た映画で言うと『アステロイド・シティ』も(本作よりはやや規模が大きいが)荒野を舞台とした、通り道に据え付けられた物語だった。人びとがたまたま出会い、別れ、それぞれに生きていくという装置として荒野のオアシスというのはピッタリなのだ。

主軸は、ドイツからの旅行者? ジャスミン、カフェ兼モーテルのオーナーであるブレンダの友情(あるいはそれを超えた何か)ってことでいいんかなと思う。

赤ん坊がブレンダの子供かと思っていたら、なんとサロモの子供だったことには驚いたが、たしかに思い返すとそういう台詞回しだった。ジャスミンは赤ん坊をはじめ、サロモ、フィリスとも仲良くなり、その経緯でブレンダと決定的に喧嘩するが、途端に融和する。

現代的な作話だなと思う、尺の都合であるだけかもしれないが。少し話を逸らすと、昨今のヒューマニズム系の作品におけるネガティブなシチュエーションの演出って、葛藤などの描写が端的だよね、大体。ウジウジするなどの時間が少ない。そこに鑑賞者の気持ちを引きずり込もうとしない。

まぁ、そんなわけでジャスミンはカフェの一員となってロードサイドを盛り上げていく。重ねて、彼女らをさらなる不幸が襲うが、やっぱりこれも観客を弄ぶかのようなスムーズさで解決することになる。

おもしろいのはカフェ&モーテルはブレンダ家の物件のようだが、立場的には逗留人であるルディ、デビー、エリックはいわゆる白色系のアメリカンで、店員のカヘンガと保安官のアーニーは先住系アメリカンなんだよな。

土地に根を下ろしているのはブレンダ家だ。場合によってはいつでも居なくなるのが、トレーラー暮らしのルディ、モーテルの一室に暮らしている(そして去った)デビ―、テント暮らしが長いこと居ついているエリックだ。そしてカフェの秩序、街の秩序を守るのがカヘンガであり、アーニーとなる。これ、見事だよな。

どういう発想なのかわからないが、給水塔をぐるりと巡るエリックの操るブーメランが、いいよな。

そうか、ドイツ版の原題は “Out of Rosenheim” なんだってさ。そこは当時の西ドイツの鑑賞者に魅せるアメリカン・ドリームみたいな側面があったのかねぇ。

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