あるいは日常系マンガとは。
ということで、ダラダラと文言を垂れ流す。言うまでもなく、これ、自分のなかでのギャグマンガの歴史という位置づけの話なので、マンガ史だとかギャグマンガ史の正統的な話ではない。なんならギャグマンガの定義もしらん。
で、私自身はギャグマンガとして意識して読んでなかったが、私のギャグマンガ史は『ドラえもん』に始まる。否定のしようがない。そしておそらくは『ドラえもん』で終わる。あるいは残念ながら。
ついで、藤子・F・不二雄の作品を漁るように読むことになり、雑に上げると『キテレツ大百科』『21エモン』などだろう、これらもギャグマンガなんだろう。小学生くらいのあいだの時期のことだ。傑作『モジャ公』との出会いが大きくなってからのこととなったのは、手軽に読めるバリエーションが書店から消えていたことが理由となる。いい時代になった。
しかし、小学館の学年誌や月刊コロコロコミックを買ってもらってはおり、すべての作品に目を通してはいたが、掲載のギャグ作品、ほとんど覚えていない。ポケモンの作品などを辛うじて覚えているくらいだ。『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』はまだプロ野球に興味もなかったので意味不明だったし、『学級王ヤマザキ』とか流行っていた気がするが、特別に面白いと思って読んだ記憶もない。
余談というか、少し前の世代になると思うが、『おぼっちゃまくん』『つるピカ ハゲ丸』はアニメで少し知っていたかな。古本で『のんきくん』を買ってもらったこともあった。方倉陽二も亡くなるのが早かったんだなぁ。最後に「ステーン」みたいになるコテコテのギャグマンガだと逆にわかりやすくて嫌いじゃないよね、面白いかは別にして。
ほいで、ギャグマンガとして自分史上初めてそれと認識して笑ったのが、『魁!!クロマティ高校』になる。時代が飛んだな。
つまるところ、中学生くらいの時分にいわゆる三大少年誌をほぼ読んでこず、『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』『とっても!ラッキーマン』なども、たまに耳目にするくらいで、特に興味も持てなかった。で、時は飛んで、どこかのタイミングで親戚の家で単行本の『魁!!クロマティ高校』に出会ったんだな、これがギャグマンガと自意識が向き合い始めた時だ、大仰に言うと。
当時は池上遼一も読んだこともなくて、むしろ池上遼一のギャグマンガなのか? とすら思ったが、これはたちまちにパロディ画風だということには気づいた。が、これだけシュールで、ややダウナーなギャグに出会った衝撃は強かった。1巻の冒頭のエピソードで鉛筆を喰ってる同級生という謎のコマで腹が捩れるほど笑ったときの記憶はいまでも鮮明だ。
このあたりから週刊少年マガジン、ジャンプをちょろちょろと読むようになる。『ピューと吹く!ジャガー』を先に読んで、「マサルさん」に戻って、小学校当時の同級生がセクシーコマンドーで騒いだりしていたのを思い出すなどしていた。これらも面白かったなぁ。
とりとめがない。
ちょっと、ここで冒頭に書いたように「日常系」マンガを軸に話を広げたい。
言うまでもなく『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』に代表されるような作品だろうし、直近であればまさしく『日常』という作品もある。もう少し前だと『クレヨンしんちゃん』『あたしンち』なんかもか。言うまでもなく、いずれもアニメ化してヒットしている。いや、これらはもともと日常系マンガではなかったろうけど、逆説的に日常系の地位をアニメ化によって築いてしまった作品たちと言えるだろう。サザエに至っては4コマ漫画出身だし。
あるいは、ジャンプお得意の『ジャングルの王者ターちゃん』や『銀魂』のようなギャグあり、それなりに重厚なストーリーあり、日常回ありとが入り混じった作品をどうカテゴライズすべきなのかも迷うし、厳密にジャンル分けする意義もそこまででもないだろうが、いろいろと思いは巡る。ていうか、ジャンプ系は明確にギャグ単体としうる作品のほうが少ないのか? こち亀、アラレちゃんとかかね? 近年だと『磯部磯兵衛物語〜浮世はつらいよ〜』はちょっと興味あるんですけどね、読んでない。
それはそれとしてだ。
ギャグマンガに限らずフィクションとは、物語が続く限りは、それなりに世界観に厚みが増していくもので、人物の関係や背後の設定があるいは作者が意図しなくても構築されていくもんだろう。そこに異論はないと思う。
いわゆる日常系マンガがジャンルとして定着し始めたのは、2000年くらいからっぽいが、細かい分析は置いておいて、これってギャグマンガの亜種のような存在だったんじゃないのかという推測は正しいだろうか? いずれは萌えや癒しに収斂していったにせよだ。
何が言いたいかというと、あらゐけいいちの『日常』というタイトルは、まさしくそれを意図してのこととすら思う。どうでもいいけど、はじめて目にしたときは、これで敢えて「ひじょう」とでも読ませるのかと思ったくらいだ。別にこのことを強く言いたいわけではないが、そういう推測を伝えてはおきたかった。
ということで、数多のギャグマンガの係累に目は通しているハズなんだが、野中英次を越して、うすた京介を越して、次にギャグ作品として意識して記憶に残ったのは『日常』になるかもしれない。この作品はアニメから入ったが、その後に漫画も読んだ。完結したと思ったら、最近になって再開していることも知った。つまり、いまなお、読んでいる。平たくいうとあんまり得意じゃない傾向の笑いなんだけど、クセになる作品ではある。
あるいは、『月刊少女野崎くん』も 2014 年のアニメから入って無事に原作読者になった作品だが、これもコメディ、ギャグマンガとして本当に秀逸だ。わたし、4コマ漫画はあまり得意ではなく、あるいは本作が正統な4コマ漫画かというと実はそうでもないかもしれないが、それでも本作は4コマという特性を生かしてギャグを取りにきてる、その手腕は見事だ。
こういうことは普段はあんまり思わないが、原作者(椿いづみ)の物語の作り方とかすごく気になる。読んでいてそういうことに気がいってしまう。サインください。
さて、ダラダラと書いてきたが、ちょっとだけ『モジャ公』全3巻という奇跡の傑作の話をします。
「宇宙に家出」という実に下らない前提からスタートしつつ、少年の冒険っぽい展開、そのベースとなるどうしようもないギャグ、ほんのりSF風味。こんな傑作は空前絶後で「自殺集団」「天国よいとこ」といったSF味の強めの秀作もさながらに最強にバカバカしい「アステロイド・ラリー」の笑いと感動は、唯一無二で、これは笑いの殿堂入りです。
いわゆる「すれちがい」系のギャグが展開されるのだが、これがどこまでもしょうもなくて、神々しいほどにバカバカしい。この展開を漫画で表現するという天才の所業を見逃してはならない。いや、この傑作をうまく説明できない自分の非力さに原稿が濡れている。とにかく、この駄文を読まなくていいから『モジャ公』を読んでくれ。
だが、『モジャ公』といえば『バビロンまでは何光年?』を忘れちゃなんねぇんだ。道満晴明は直球のエロも描くし、話の組み立てからして秀逸な作家だけど、本作のベースはあきらかに「モジャ公」であるし、どちらかというとシュールさが勝つSF作品であるが、しかしシニカルな笑いがベースになっていることは確かで、ついでにこれも読むべきであって、大変に面白いのである。
いや、絶対にもっと自分史に爪痕を残したギャグマンガは在るのだが、とりあえずパッと思いつくのはこの程度なので今回はここまでにする。ちなみに、少なくともこの記事でピックアップして面白いとした作品は単行本で買って読んだ。一部は古本だったりしたけど。
おっと『落第忍者乱太郎』を忘れていた。あるいは、尼子騒兵衛の『はむこ参る!』は作者のマスターピースではないだろうか?
Last modified: 2024-01-15