右か左か、丘か家か|《ラム/LAMB》

《ラム/LAMB》を観た。

この作品は、どれかの映画の感想で書いた記憶があるが、予告期間が長かった。

その予告がよくできていた。なんとなくこういう程度(良くも悪くも)の映画なんだろうなという予感と期待を裏切らない出来で、それなりに誘われる雰囲気はあった。

で、蓋を開けたら期待通りの作品だ。

舞台はアイスランド、制作はアイスランド、スウェーデン、ポーランドとなっている。監督はヴィラジーミル・ヨハンソンという方だそうで、特殊効果なんか出身なのかな。脚本には共同でショーンという方が入っているようで、こちらは小説がメイン仕事なのか知らぬが、アイスランドの方だ。ビョークとコラボレーションしたりしているらしい。

直近でアイスランドとフィクションというと『北北西に雲と往け』が思い浮かぶ。それっぽいことをいうと、人智を超えた大自然の驚異がそれなりに残る当地において利用しやすい設定というのは感じられるところで、それはこのマンガも、今回の映画も似たようなところはあると思う。

また、あるいは獣面の人間、あるいは半神みたいなモチーフは、特にギリシア神話だとネタに事欠かないんだろうけれど、今回はどうなのだろう。どちらかというと北欧なんだろうけれど、北欧の神話にはあまり興味も無くて、ほとんどわからない。あるいは日本ならだが、個人的には小松左京の『くだんのはは』などは直さに連想されるが、いかがでしょう。

前置きが長くなった。

作品自体は、明確に 3 章立てになっていて、発端、展開、収束というステップを踏む。発端となる第 1 章は、アイスランドの山間部の田舎、ご近所さんすら確認できない山腹で牧羊を主な生業としているらしい夫婦を映す。ジャガイモも育てている!

第 1 章は、会話らしい会話もほとんどない。これがよい。

雰囲気だけで画面は進んでいくが、アイスランド山間部の大自然、淡々としつつも大変そうであり、また、それなりに充実していそうな暮らしが晒される。お昼の鑑賞だったというコンディションも含めて、寝落ちすることもなく画面に集中できた。

話は冬から始まり、第 2 章で春口となると思われるが、第 1 章の冒頭-つまり作品の冒頭では雪山に暮らす馬の群れが映された。また、これも 1 章の途中と思うが、こちらも山中で生存しているらしい羊の群れが映されたことを記しておく。

前者の馬の群れ、ニュアンスは判然としないが、当地には野生化した馬がいるらしいので、それはそれとして映されたのだろう。それを踏まえると後者の羊の群れも野生化した其れと思われる。オーストラリアなんかだと、年に何度か迷子になって何年も彷徨ったと思われる羊が毛むくじゃらで見つかったりする。似たようなもんだろう。

さて、アダが行方不明になったとき、夫:イングヴァルは迷わず川を探しにいった。最後らへんの夢中を示したカットでも小さいながら表されているが、どうも本来のアダは水難事故でなくなったらしいことが地味に伝えられてくる。とはいえ、その過去の悲しみ自体は、やはり表面化はしない。

第 2 章、イングヴァルの弟:ペトゥールが都会から追い出されて帰郷するとビビる。アダが食卓に座っているから無理もない。ペトゥールとアダの見せかけか、あるいはそれなりに本物の融和は、どう解釈したらいいんだろうね。その交流に嘘は無かろうが、これも地味に巧くて複雑な感情の交感がある、みたいな読みとり方をせざるを得ない。

ペトゥール、基本的にはいいやつだが、そこはやはり客であり、闖入者ではあるので、問題を引き起こして去る。

これも微妙なところがあって、イングヴァルの不能性みたいなところに話が及びかねない気はするが、一方で、クライマックスの描写は投げ出されており、此れも何とも言えない気がする。有り体に言って気持ちが悪いプライバシーの話題になってくるので、ここではやらない。

さて、終章だが、上述のようにペトゥールが去る前後から始まったんだっけかな。

展開に意外性はなくて、あるべきものがあるべき場所に無かったり、犬や猫が周囲の異常を察知しているということの繰り返しが利いてきて、しまいには犬が犠牲になった。アダはその事実と存在を確認しているはずだが、それに怯えた様子もなく、またイングヴァルに伝える様子もなかった。

だが、アダはそれに引かれていくのをたしかに拒んだ。彼女が往くのは、家か、丘か。

残る問題はマリアだが、というか、マリアしか問題でなかった気もするが、落としどころをどこにするかは鑑賞者次第という懐の深さは本作の美点か、あるいは汚点か。そういった雰囲気の中で作品は終わるので、まぁいい映画かというとそうでもないという気分にはなる。

好きだけど。

穿ってみれば、アイスランドという土地、人間と羊がどうやってこの国土に広がったか、みたいな視点はありそうで、しかし、だからってそれを人間と羊の対立軸にせんでもなぁという気はする。そこがうま味なんだろうけれど。

ところで何と言ってもよかったのは、ワンコです。牧羊犬としてボーダーコリーの子が画面に映るのだが、これが何となく居る以上の意味があって、イングヴァルに非常によく従って、よく動いて、活躍していた。

さきに書いたイングヴァルの夢中でのアダを探すシーンの幻想的な水溜まりを駆けるシーン、いったんイングヴァルがコケるんだけど、並走していたワンコが地味に上手い。なんなら作中でこのカットが最好きまである。

今作は、このワンコ、可哀相な最期を迎えるけど、それだけで鑑賞の価値があった。おおまじめ。

最近観た映画のなかだと《聖なる鹿殺し/Killing the Sacred Dear》や《アネット/Annette》などと並べてみたい雰囲気はありますね。

あと、どうでもいい味なんだけど、ペトゥールを乗せた乗用車が左車線を走っていた気がした。実際の交通ルールはどうだったっけなとググると、以下のブログ記事がサジェストされる。

やっぱりである。1964 年に右側通行になってるよな。運転手はそれなりの年齢いった妙齢の女性だったが、64 年より前の生まれという風にも見えなかった。

どう解釈すればいいのか。