《雨を告げる漂流団地》を Netflix で見た。上映もされているが、台風の迫るなかでの時間の使い方のひとつだったのでした。許してください-誰にともなく。

《ペンギン・ハイウェイ》と同じく、石田祐康が監督を務める。その他、プロデューサーの山本幸治は目にしたことがあるが、クレジットで存じている方は、それくらいでした。

解体前の団地とその元住人、姉弟あるいは兄妹のように育った航祐と夏芽を中心に、ひと夏の不思議な体験を通して、小さな成長を遂げたのか? 主人公らは小学 6 年生らしいです。

オープニングは、まだ住民が居た頃の団地の様子が描かれ、主人公らがまだ低学年くらいまでの時期を映したり。ある部屋の窓から、おじいさんがフェードアウトしていく。キーパーソンじゃんと思ったら、たしかにそうでした。

冒頭から航祐が不機嫌であり、夏芽との関係を何かしら拗らせていることが伺える。のっけの情報だけだと、恋愛のたぐいくらいしか想定できない。恋愛脳かな?

で、最後まで見てもそこは否定しきれないけれど、かなり抑制的というか、とりあえず現状では恋愛と呼べるそれではないけれど、くらいのエクスキューズが付くような描写だろうか。制作側がそれを意識していないはずはないので、なおさら。特別な関係にあった 2 人だけに、様子がね。

彼らの蟠りだが、航祐の祖父-つまり OPでフェードアウトしていったおじいさんが亡くなったときのすれ違いに原因があった。さらに作品としては、その根本に、夏芽が普段の外見上の装い以上に生きる意味を見失っていることを扱っていました。

この問題が割とエグい。マイルドに描かれているようだけれど。 物語の 2/3 くらいの地点だと思うが、彼女は死に惹かれているといっていいくらいの態度を明らかにする。

ホラー映画味も強まる。

考えてみれば、本作のホラー感には明確な理由があって、彼女は本当は 1 回、死んでいるハズなのだった。これも実は、かなり問題とできる演出だろう。深入りすると作品自体から離れていく気もするので、深入りしないけれど。

さて、一瞬の豪雨によって漂流しはじめた団地での生活は、奇怪なモンスターなどこそ出てこないものの、なかなか大変なのは事実で、大方はコミカルに描かれてはいるが、これもこれで恐い。当たり前である。

航祐と夏芽は、主役だからこそ注目しやすく、いろいろと能動的に行動するが、別に決定的なリーダーシップ性を備えているワケでもなく、ようよう 2 人も仲直りして仲間たちと溶け込む。

だが、要所ではやはり、相互に憎まれ口をたたくことを止めない。そういうもんなだろうな、この 2 人の関係性は、という納得感もある一方、じれったいというか、こういう状況が本来の 2人の状況といわれても? みたいな感情も湧く。これは演出の意図がよくわからなかった。

別に喧嘩するな仲良くしろってワケではないが、いかにもしょーもない減らず口の叩き合いが、現場の状況に則しているとは思えないのだ。漂流してるんだよ? 団地が沈むで? という瀬戸際ですよ。

考えうるとすれば、子供向けとしては、これがウケ狙いというか、自然体なのかもしれないが、どうなのか。

まぁいいか。

「雨を告げる漂流団地」というタイトルについても考えたい。「雨を告げる」という部分だが、雰囲気だけだろうか。どういう意味合いなのか。これもわからない。考えたいと言ったけど、考えるのを諦めた。

海底のモヤモヤもよくわからん。

誰にも顧みられない部分があそこに取り込まれるのか?

まぁいいか。

最後に、漂流についての類話について、知っていることをまとめておく。

いうまでもなく、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』が挙げられる。原題に近いタイトルとしては『二年間の休暇』となるワケだが、冷静に考えると暢気で前向きなタイトルですね。

で、漫画だと『漂流教室』がある。楳図かずおだね。いやぁ、よくこんなことを 1970 年代にコミックとしたと思うけれど、Wikipedia に記載の説明には、やはりというか『十五少年漂流記』が念頭にあったとあります。

忘れちゃいけないのが、「機動戦士ガンダム」であり、あるいは『銀河漂流バイファム』だったりである。サンライズの方針なのか、富野監督など何方かの意志の反映なのか知らぬが、これらも『十五少年漂流記』の影響が大きい。特に『銀河漂流バイファム』はいい。

あるいは、ドラえもんにこれぞ漂流というタイトルのイメージはあまりないが、一応は映画に『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』というタイトルはある。すまんが、内容はほとんど覚えていない。居住可能な星を探しているという感じの話だったっけ?

そういえば『日本沈没2020』でも漂流の描写はあって、これは白眉だった。ということを思い出したら、ヒッチコックの『救命艇』も漂流モノとは言えそうだなと気づく。そして、なるほど、『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』という映画もあったな。

なんだかいろいろと思い当たるけれど、吉村昭の『漂流』もまったく漂流であった。とはいえ、ここまで名前を挙げなかったが『ロビンソン・クルーソー』などと同じで、漂流自体というよりは孤島のサバイバル生活という面が強いんだっけかなとは。

なんでか人間は漂流というテーマに惹かれるのだろうかな。

最後にひとつ。物語についてまだ疑問があったのを思い出したが、夏芽は小さい頃に 1 度ここに来たことがあると言ったが、あれは皆を安心させるための嘘だったのか?

まるっきり嘘という雰囲気でもなかったし、それにしてはその後のフォローも無かったが、仮に彼女の発言が真実だとすればどういうシチュエーションだったのか。

いろいろと疑問が尽きない。

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