《チタン/TITAN》を観た。監督の前作《RAW〜少女のめざめ〜》も劇場で観たけど、なるほどね。前作のタイトルに冠された “RAW” が象徴した生々しさは、本作で更にパワーアップし、しかもそれが或る意味で反転されていた。
なんという倒錯か。この歪みっぷりは容易ではないというか、よくやった。拍手したい。
マーダーシーンも多いし、お産というか妊婦がむやみやたらと自分の身体を苛め抜く描写も多いので、グロテスクというか端的に奇怪な画面が多く、あんまりひとには薦められる作品ではない。全然、そういう作品ではない。
あらすじのような説明をする
ヒロイン:アレクシアは、幼少時から車が好きだったようで。父の運転中、喧嘩みたいなことになって事故にあう。自損事故だ。で、彼女は右耳の周囲にチタンを埋め込む。その生々しい傷跡は成人してからも残っている。そして彼女は、ダンサーとなった。
車が好きだった彼女は、ある晩、車と交わる。なんだか抽象的な映画だなと思うが、メタファーなんかじゃなくて実際にヤるのだ。どういうことなのか…。
で、なんかしらんけど殺人衝動も持ちあわせていた彼女は、いろいろと人もヤッてたが、最後は両親を燃やして地元から逃走し、長年に渡り行方不明の息子を探しているヒーロー:ヴァンサンの家に潜り込む。まぁ、ファンタジーな展開というか、話は単純だ。
ヴァンサンは、地域の消防隊の隊長らしい。フランスの消防システムってこういう感じなのか? という疑問はあるが、まあいい。周囲は彼女が隊長の息子であるはずがないことに気づきつつも、なんか受け入れる雰囲気が醸されつつあった。
が、いかんせん彼女は妊娠している。さて、どうなる?
父と娘、あるいは息子の関係とは
アレクシアはずっと父と仲良くなかったみたいで、燃やす晩の最期にチラッと邂逅する。ちなみに、これはクライマックスで対比されている。
父はアレクシアになるたけ触れようとしなかったという描写も端的ながら、これもヴァンサンとは真逆であることが強調される。スキンシップに溢れたヴァンサンのボディランゲージには、見覚えのあるような気さえする。
親のスキンシップが子の心理や成長に与える影響などはしらぬが、アレクシアは次第に絆されていく。やっぱり展開としてはベタなんだよね。
アレクシアは発声によって息子でないこと、女であることがバレるのを恐れているが、ある程度まで関係が進んだ時点で危険を忘れてまで「病気なの?」と尋ねる。あまりに自然だった。ヴァンサンも気に留めてもいない。家族があった。よい。
そんななか、いろいろと限界が近づく。そりゃお腹に子供が居るからな。
車と踊ることの意味とはなんだ
終盤にて、あるキッカケで消防車と踊ることになったアレクシアはついつい本気を出してしまう。
序盤と終盤のそれぞれの交わり、そもそもアレクシアは対物性愛というか性的倒錯というか、車に興奮してしまうらしいんだけど、これが何を象徴してるのか、これがサッパリわからない。最初に交わった車が妙なクラシックカーだったのもよくわからない。父性への渇望なんだろうか。
また消防車との交合を試みたシーンで、彼女が達することができなかったとすれば、それはもはや車への倒錯がなくなったと考えるのが自然だろうか。悩ましいな。
だが、だとすれば、それはなぜか。父との関係が、これは単純に家族愛でいいと思うが、成立したことに尽きるか。
だが、腹には子がある。
祝え、新たなる生命の誕生を
重大なネタバレというか、物語の中盤くらいから徐々に、そしてクライマックスでは決定的に物語の主軸が実はヴァンサンになっている。
圧倒的な交代劇だ。
これは覆しがたい事実で、ラストカットを見れば明らかであるし、なんならキャストのクレジットも見ればいいし、とにかくそうとしか言えない。
アレクシアの腹の子は、ヴァンサンのもとでしか生まれ得なかったと、結果論かもしれないが、そうとしか言えない。
この新しい生命は、本当に文字通り新しい生命であり、言うなれば「ゴシックSF」とでも言いたくなるような展開なのだが、そういうサブジャンルがあるのか知らぬ。
お産のシーンというのは、不可侵さがあるというか、それだけで神聖な気がしてくるというか、とにかく特別なのだが、今回はそれに輪をかけている。常軌を逸している。
「見捨てないで」と叫んだ息子(妊婦)の願いを、父は最期まで捨てることはないだろう。いやー、やっぱり圧倒的な倒錯だな。
補足的な話をする
ヴァンサンは、消防隊員の食堂調理場で「ここでは自分は神だ」と言った。これはもちろん言葉通りの意味でもあるし、喩えでもある。いずれにせよ彼は神として君臨している。
ということは、アレクシアは神の子であり、それが生む子もやはり神の系譜に連なることになる。
鑑賞時こそ、これは神とキリストの関係の寓話かなと感じたが、よく考えると、ギリシア神話的な要素のほうが大きいだろう。
父との交流によってこそ結果的に子を成しえたというのは、ゼウスもろもろによって喩えられるエピソードを連想させられるし、なによりも本作のタイトルが「TITAN」なのであった。
語源としては、いうまでもなくタイタンであって、ギリシア神話における神の係累を指している。このいわゆるタイタンという神らから作品をさらに掘り下げても面白かろうが、まぁいいか。
ただまぁ、アレなんですよね。ギリシア神話は大らか? なので神と人間以外との交わりエピソードも割と多い。そういうニュアンスは意図されているでしょう。
当然、描かれたことには奇妙さしかないのだが、人間の系譜とか時代の変化というのは、そういうことなのかもしれん。なんだこの話の展開は……。
もしまた思い返すことがあるとすれば、新しい時代の神話のひとつと思って、本作に向き合いたい。
父に、ありがとう、母に、さようなら。また、このオチか。
Last modified: 2022-06-10