2022年2月の国立新美術館を歩く

2022 年 2 月、国立新美術館にて開催されているメトロポリタン展に行った。そのついでに、同時に開催されていた公募展を散策したメモを残しておく。新槐樹社展、全日本アートサロン絵画大賞展、NAU 21世紀美術連立展を歩いた。メトロポリタン展については、別途、メモを残しておく。

第66回 新槐樹社展

メトロポリタン展の半券によって割引 500 円で入場できた。ほとんどが油彩の作品で、陶芸などもあったか。概要を確認してないが、同作者ごとに 2 作品ずつ展示されるケースが多い。出品の規約どおりに 2 作品を出した人が多いということなのかな?

それらの多くは関連性のあるテーマで描かれていたり、作品によっては合わせてひとつであったりした。割と抽象的な作品も多かったが、メトロポリタン展を終えたあとという状況もあってか、日本の風景画を目にできたのはホッとする。

それぞれの受賞作については、以下のリンクに掲載されていた。

東京都議会議長賞:栗原親史《鎮座》は馬の土偶が可愛くて印象的だった。努力賞:石黒千佳子《奏2022-Ⅰ》も好き。新人賞:濱井剛《コロナ禍「109号」93年目の引退》も印象に残った。コロナ禍のなか、引退を見届けたんだなという情緒がな。

東美賞:高木葉子《ラスベガスの夜》も色彩感覚が好きだった。マツダ賞:杉浦和彦《原始の森》も美しくていいなと思ったけど、これ水中に翼竜がたくさん居るのか。現地での鑑賞では気づかなかった記憶がある。

マツダ賞:坂井千鶴子《桜は秋も美しい》がもっとも印象的だった。というのも《桜は冬も美しい》が同時に展示されており、とにかく桜への愛があった。というのと、普通にいい絵だなとなったのよね。きっと、春夏の作品もあるんだろうさ。

サクラクレパス創業100周年記念 第31回全日本アートサロン絵画大賞展

文具メーカーである「サクラクレパス」が主宰(なのかな)の展覧会だそうで、創業 100 周年ということで気合も入っていたみたい。産経新聞も協賛しているのか新聞に取り上げられたと大々的であった。

自由表現の部門と写実表現の部門に分かれていた。それぞれの作品には画材なり手法なりが記載されており、油彩やアクリルのほかに、ミクストメディア、コラージュ、水彩、色鉛筆などがあったかな。珍しいところだと「日本画」となっている作品もあったかもしれない。

素人にゃミクストメディアとコラージュの差がわからんが、おもしろかった。受賞作は以下のリンク先で確認できる。けれど、これ URL がこのままならいづれは見れなくなりそう。

写実表現部門:芝茂雄《おお、なんという生命力》、画題の玉ねぎが面白かったが、この作品のほかにも玉ねぎを扱った作品があったような気がする。玉ねぎブームがあったのだろうか。

写実表現部門:Ananda《ミャンマーの僧院にて-3》も、時事的な面でも印象的だったね。この作品、この展覧会に限らず、海外での体験を題材にしている作品がチラホラあって、そういうのも面白いやね。

そういえば、栃木か群馬か茨城からの出品で、別々の作者が同じような海外の街角の景色を同じような描き方をしていて、確認したら名字が同じだった。親類が描いているんだろうな、などとメタ的な発見も楽しめた。

第20回 NAU 21世紀美術連立展

1 番手前の展示スペースで開催されていた。入場無料であった。「NAU」とは “New Artists Unite” の略称らしく、よくわからんが世界的に連帯もあるような感じっぽい。

絵画もあるが、インスタレーションだったり、立体の造形物だったりが比較的多い展示だった。

この字はなんて読むのか?

1 番奥、屋外の展示場との間口となる小さなエリアで、書道の創作が展示されていた。田畑理恵という方らしい。この記事を書くにあたって、プロフィールは以下のリンクで確認したが、書道には大学を卒業してから本格的に取り組んだらしい。すごい。

英題と漢字をリンクさせた作品があった。たとえば、「盡歓」と書いて”Joy of Life” というような-もはやうろ覚えだが、概ね誤っては無いと思うー、そのような作品たちだ。よかった。「とめはねっ!」を思い出させられる。

ほかには前衛書としていいのか、矢印を上に伸ばした作品もあった。これは上のリンク先の紹介に類作が掲載されている…、と思ったら無いな。あれれ?

あるいは扇面の紙に筆記体の英文で日記を書き、屏風に集めた作品があった。これも創作書道の類なのかな。ひとつには「お父さんがどうの」という内容をチラリと読めたが、解読に至らず。あまり頑張って読むようなアレでもないだろうと。

で、あらためて英題と漢字をリンクさせた作品たちを眺めると「雲」《Cloud》や「龍」《Dragon》などがあったが、《Clearing》と題された作品の漢字が読めない。ブワッてなってムワムワってなっている。読めない……。

幸いにも作者の田畑さんが現場にいらして相手をしてくれそうだったので聞いてみたら「断」だそうだ。ほほーぅ。

そもそもこれらの漢字作品は、漢詩からの抜粋というかインスピレーションのもとらしい。で、その漢詩が李白が「秋思」で、抜粋した箇所は「海上碧雲断」の「断」だそうだ。あまりキレイなリンク先が見つからなかったが、インターネットからは以下を引かせてもらった。

「海上碧雲断」のニュアンスは「湖上をゆく雲も切れ切れになって」というような解釈が主らしいが、「水平線を雲が断つ」みたいなニュアンスもあるのでは、みたいな考えもあるらしい。いずれにせよ、題となった詩全体からは「遥かに遠いみたい」な雰囲気がありそう。

一方、作品のタイトルとなった《Clearing》は、説明いただいた内容の記憶が確かであればセザンヌから引いたという。ほほーぅ。さっき、メトロポリタン展で見たじゃん、となった。

ということで、インターネットを漁った。発見に苦労したが、最終的には WikiArt にあった。灯台下暗し。《Clearing》(1867)だ。初期の作品だろうか。

説明もらったのが本作であっているか定かではないが、話を進める。そうは言っても、手掛かりははなく、ものの本なり解説なりに当たる余裕も流石に無いので、雰囲気の語りだ。

この画、画面の大方を占める緑と部分的な空、木々のあいだの陰となる黒がバランスをとっているっぽい。陰が在るその部分を、陰自体が縦に割いているようにも見えるし、画面の奥への侵入を拒んでいるようにも見える。陰のなかにちょっと覗いている青がまた絶妙というか。

本作の《Clear》の意味だが、「くっくりした」とか「雲のない」というニュアンスだろうか? となったところでイメージしてみると、なんとなく腑に落ちた気がした。陰の部分の黒が、なんとなく「断」の墨の残した印象にオーバーラップする。

というわけで、最後の最後で面白い体験をしたというオチになった。こういう身近な現代アートなりは、制作者の存在も身近で楽しいものだ。いつもこういくというワケでもないが、こういう出会いもバカにならないね。ありがとうございました。